消え失せた紫水晶(アメジスト)
おお、これはこれは探偵さん、お初にお目にかかります!
いやしかし、ずいぶん変わったお姿ですな……。黒魔術師かとみまごうほどの漆黒のローブを羽織ってらして、お顔半分をすっぽり隠す黒い仮面、右半分のぞかせている美男子のお顔にぱっちりとした翠の瞳……。
あなたさまは、異世界を渡り歩いて旅しては、道々で出くわした謎を解決していらっしゃるとか……。わしは全く運がいい! よくぞ我が屋敷の前を通りかかってくだすった! 実はあなたに解決していただきたい謎がたった今、持ち上がったところなのです!
謎というのは、今あなたさまの目の前にあるこれでして……。
『ただの綺麗な水たまりじゃあないですか』なんぞとおっしゃらないでくださいよ? 実はこのチェストの上には、ついさっきまで見事に巨きな紫水晶があったのですよ! 水晶なんてあんまり上等な部類の宝石じゃあありませんがね、それは素晴らしく美しくて、しかも冗談のように巨きくて……!
そのアメジストはつい一週間ほど前に、旅の美人から買い上げた品物だったのです。彼女は異世界を渡り歩く宝石商で、そのアメジストもこことは違う世界から持ち込んできたものだったそうで……。
ああそうだ、そう言えば彼女もあなたと同じような格好をしていましたよ。黒魔術師の愛用するような黒いローブに、顔の半分を白い仮面で覆っていて、ローブのフードからのぞく顔の左半分は震えるように美しく、ぱっちりとした蒼い瞳……!
いや偶然も偶然ですな、そんなおかしな格好をした人物が短い期間に二人も現れ……ああ、いやいやとんだ失礼を……!
……しかし探偵さん、一体どういうことでしょう? 屋敷の警備をかいくぐって、何者かが水晶を盗んだとしても、その後を薄紫色の綺麗な水でびっしょり濡らす必要はない! わしには訳が分からない、これは一体どういうことで?
僕はちっちっと貴族の前で指を揺らして、「ごく初歩的なことですよ」とあおるような台詞を吐いた。ちょっとむっとした様子のお金持ちのおじさんに、薄紫の水たまりをさして分かりやすくレクチャーする。
「まずあなたが買ったのは、巨きなアメジストなんかじゃない。ただの氷の塊です」
おじさんは僕の言葉を聞いて、くすんだ灰色の目を飛び出んばかりに見開いた。僕はそれを気にも留めずに、つらつらと言葉を重ねていく。
「実によくある手口です、氷の魔法を使うやつらの! やつらは綺麗な氷の塊を魔法でさまざま生み出して、それを薄い魔力の層でぐるっとコーティングするんです。例えるなら、お菓子の飴がけみたいなもんだ。一定以上の時間が経って、魔力が薄れて消えたから、元の氷も溶けて消えたと……ただそれだけのことですよ」
「何てことだ! わしは……わしは……騙されたのか?」
芝居がかってショックを受けるおじさんに、僕は右手を差し出した。訳が分からず手のひらを見つめるおじさんに、僕は「にっこり」と音の出るような笑顔を向けて言い放つ。
「つまりはそういうことですよ。盗まれた訳でも何でもないので『アメジスト』は戻りません。でも謎はしっかり解決したので、その分の料金はいただきます!」
「……何だって! そんなバカな話があるか! たかが一介の探偵ふぜいが、このわしのことをナメくさって!」
「じゃあ言いふらしてさしあげましょうか? 金と権力でいばり放題のおじさんが、どこの馬の骨とも知れぬ旅人にまんまとだまされたんだって。アメジストと思い込んでただの氷の塊に、阿呆みたいに高いお金を払ったって!」
おじさんの濁った灰色の目が、なおさらに暗くよどんでいく。ぎりぎりと噛みしめる灰色のひげの生えた口もとに、噛みしめすぎて血がにじむ。ただでさえ少ない白い髪がますます抜けてしまうくらいに、広いひたいに青筋立てて怒りながらも、おじさんは僕にたんまりとお金をくれた。
僕はたいへん豊かになったお財布を手に、ほくほくと屋敷を後にした。しばらく歩いて人通りのない田舎道に来たところで、すっと黒い仮面を外す。その時を待っていたように僕の口が動き出し、可愛い女性の声が聞こえた。
「うまくいった? キプリング?」
「ああ、完ぺきにうまくいったよ! 君の水晶はずいぶん出来が良かったみたいだ。僕が説明してやるまで、あのオヤジはニセモノだって気づかなかったよ!」
「本当? だったら嬉しいわ!」
「ねえ、次はどの手を使おうか? ハチミツを結晶めた『虫入り琥珀』? 海の水でこしらえた『蒼綺石』にする?」
「なんでも良いわ! それとも次回もアメジストにする? キキョウの花の色水で作った氷の塊、なかなかに出来が良かったみたいだし!」
きゃらきゃら笑う僕の体の左半分に、僕はしいっとささやいた。
「――ねえプティング、そろそろ仮面をつけていいかい? 道の向こうから人が来る。まだあのオヤジの屋敷に近い、怪しまれるといけないから……!」
「あら! 分かったわ! じゃあまた後でね、キプリング!」
きっと蒼い瞳をいたずらっぽく光らせて、妹のプティングは僕もろともにうなずいた。僕は黒い仮面を手にして、そっと顔の左にはめる。プティングはその瞬間に眠りに落ちて、すうっと穏やかに静かになった。
僕は何事もなかったように黙り込み、淡い微笑を浮かべながらすれ違う人に会釈した。
――そう。僕らは二人で一体の『意思持つからくり人形』なのだ。少しおかしな趣味の研究者に、『一粒で二度美味しい』というコンセプトで造られた、兄妹のからくり人形なのだ。
もう二十年も前に生みの親の研究者は、歳をとりすぎて亡くなった。
でも僕らだって物こそ口にはしないけど、機械油もささねばならない、銀のネジだってたまには取り換えなきゃいけない。
だから僕らはそれぞれの得意分野をフルに使って、こうして旅を続けながら、バカな金持ちから金を巻き上げて「生きて」いるのだ。よくよく見ないと機械と分からない人間そっくりのこの見た目も、ずいぶん商売に役に立つ。
顔半分を覆う仮面は起動と休眠のスイッチだ。黒い仮面で左を覆えば僕になる、白い仮面で右を隠せば妹のプティングが目を覚ます。誰もいない場所ならば、堂々と仮面をとれば良い。そこで初めて僕ら兄妹は、はばはばと二人で会話できるのだ。
僕は黙って道を歩いて、目についた小さな教会に足を向けた。白い塗装のはがれた壁に、錫で作った素朴な十字架。緩やかな凹凸でしかない磔刑られた救世主の顔でさえ、微笑んでいるように思える色ガラスごしの優しい日ざし。
僕に気づいた若い牧師が、「旅のお方ですか?」と柔らかな笑顔を向けてきた。「昨日少年から青年になったばかりです」と言われても納得してしまいそうな若い男性。キャラメル色の髪を揺らして微笑む表情は穏やかで、芯から素直に良い人そうだ。
僕は重くなった財布から金貨を二三枚取り出して、財布の方を牧師さんに差し出した。一週間前にプティングが稼いだ分も入っている、不自然なくらい重い財布。
牧師さんは金貨の方を頭を下げて受け取ろうとし、財布の方を差し出されて切れ長の瞳を見開いた。とっさに受け取ったその重みになおびっくりして、栗色の目をまん丸にして僕を見る。僕は軽い口ぶりで「献金です」と微笑って告げて、あわてて呼び止める声を振りきってだっと外へと駆け出した。
しばらく走って人気のない場所で足を止め、そっと黒い仮面を外す。再び起動した妹に、僕は見えないウィンクで報告した。
「プティング、いつもの通りお金は『還元』してきたよ! とても感じの良い教会に献金してきたんだ。あのバカな金持ちのオヤジが使うより、きっとずっと綺麗に使ってもらえるよ!」
「本当? それは良かったわ!」
上機嫌に笑う左半身の妹に、僕はピューイと口笛を吹いて宣言した。
「さあ、プティング! 僕らの仕事も終わったことだし、次の異世界にワープしようか!」
「さんせーい!!」
きゃいきゃいはしゃぐ妹と両手でガッツポーズを決めて、僕らは一緒に呪文を唱える。一つの口で二つの声が重なり響く不思議な呪文で、ぐるぐると異世界への扉が渦を巻いて現れた。
「よーし、決めた! 次のアイテムはハチミツで作った『虫入り琥珀』! 虫が可哀そうだから、中に入れるのはえらく出来の良い虫のおもちゃだ、いつもみたいに!」
「アイアイサー!!」
そうして僕らは二人で一つの機械の体で、迷いなく次の世界に飛び込んだ。
罪悪感? そんなもの欠片も感じない! バカみたいに自分で金を貯め込んで、本当にそれを必要としている人たちに分け与えもしないやつら! そういう金持ちから金を奪い、困っている人にバラまく仕事! 何て、なんて素敵な商売!
待ってろよ、金しか能のない金持ちども! 僕らが稼いでちゃんと貧しい世の中に還元してやるからな!
大胆不敵にそう考える頭の中を、きらきらの「虫入り琥珀」が祝福のように彩っていた。(了)