《大人になって思い返してみた『スーホの白い馬』は、こういうことだった気がする異世界編》
2024.03.21 誤字報告ありがとう御座います! (>_< )訂正しました。
街の城壁を出てしばらく街道を進むと、野原の大岩の上でトカゲ亜人たちが身体を丸めて日光浴をしている光景が青年の目に入る。
見た目に反して無害だと聞くトカゲ亜人を横目に、城壁の外の畑を荒らすウサギの魔物を一匹、二匹と退治していく。今日はリンゴの木に突進してその実の落下を狙ったイノシシと出くわし、目が合うなり突進してきたソイツを、青年は勇者の剣で倒した。
「勇者の剣」の無駄遣いであるが、頼る相手のいない異世界の土地で生活していくには十分な活躍である。ちなみに転生時に神から授かった。
人間が手間暇、時間、お金をかけて大事に育てた野菜や果物を食い荒らす害獣は、その身をもって被害を補填するべく、こうして青年のような依頼を受けた駆け出しの冒険者に退治され、持ち込まれた肉屋で解体され、売られた飲食店でシチューや串焼き肉となり、人間様の栄養に還元されるのが常である。
青年は魔物ではない普通のイノシシが、畑を耕す野良の人に襲いかかり、その牙を突き立て指を食いちぎり、ときに命まで奪ってしまうということを、この異世界に来てから身に沁みて知ることとなった。
転生前の世界でもイノシシはイノシシであり、山近くの農家を襲う危険な害獣であったはずだが、トラックに轢かれて一度目の命を失うまでこの青年は、日本の都市部で生まれ育ち、どこにでもいるようなサラリーマンだったので、野生動物の驚異を身近に感じることもなかった。害獣という言葉は知っていても、その実態は全く知らなかったのである。
原始的な生活を送るこの中世ヨーロッパ風の異世界では、一匹の小さな野生生物の習性でさえ、即座に生活や命に関わるのだった。
農家の子供が畑でダンゴムシを踏み潰して回っているのを見かけて、「弱い者いじめは良くないぞ」などと良い大人風に声をかけてしまったのも、青年にとっては赤面するしかない思い出である。ダンゴムシが野菜の根を食べ、野菜を弱らせる害虫であることを、小さな男の子から真面目に説明されるのは、辛いものがあった。
こんな風にして最初は危うげだった武芸素人の異世界転生生活も、半年が経過すると、それなりに身のこなしも様になり、勇者の剣の性能の助けもあって、日本の生活では考えられなかった魔物退治がルーチンワークである。今日も無難に仕事を終えて、青年は顔馴染みになった居酒屋で夕食を摂る。ほどよい充実感に浸れる一時に、気になる情報を隣のテーブルから漏れ聞いた。
「隣の領地で三日後に領主が武術大会を開くらしいぜ」
「へえ、首都で開催されるのはよく聞くけど、隣の領とは珍しいな」
「なんでも誰でも参加可能で、優勝者は領主の娘と結婚できるらしい」
「領主の娘婿になれるのかあ! そりゃまた、豪華な景品だなあ」
「結婚して貴族の一員になるまでは望まないから、副賞の盾とか甲冑とか貰いたいねえ」
「騎士でも冒険者でもないお前がそれ貰ったって、使う機会ないだろう」
「使わなくても売りゃ良い金になるだろ」
「道具が泣くねえ……」
青年は自分の武器と身体を見比べた。毎日の魔物退治で筋肉はそれなりについてきた。剣の癖もわかるようになったし、相手の動きの予測もできる。腕試しが出来そうだと考える。
武術大会!! 商品は領主の娘!! さすが剣と魔法の異世界だ、とムクムク気持ちが膨らみ、興奮に鼻の穴も広がる。
小さな魔物ばかり倒して日銭を稼ぐ日々は安全だが、そろそろ飽きてきた。かといって巨大な魔物を倒しに行くのはまだ怖い。相手が人間なら負けても命は奪われない。致命傷にだけ気をつけて戦って、相手との実力差を感じたら、とっとと降参すれば良いんだ。癒やしの魔法だって俺は使える。
青年は隣の領地へ旅立った。
隣の領地は大きなイベントを前にして、人が集まり、店が連なり、賑わっていた。笑顔が溢れ、誰もが浮足立っているように見えた。
情報通り、武術大会は平民でも参加可能だった。特に審査もなく青年は参加資格を得る。立派な甲冑を身に着けた騎士の姿を多く見かけたが、武器も装備も心許ない冷やかしのような参加者の姿もあった。お祭りだからそれもありなのだろう。ただ獣人やその他の亜人の姿を参加者の中に見ることはなかった。街中では何人かすれ違ったので、参加不可なのかもしれない。
参加者とそれを囲む大勢の見物人の前で、高台に立った領主が娘を横に武術大会の開催を宣言した。
領主の娘は大勢の人の前に立たされて恥ずかしいのか、父親の横で頬を染めて俯いている。インドのサリーのような赤い民族衣装を身に着けた若い娘は、目立つほどの美人ではないが、控えめな様子が可愛らしい。
あれなら悪くない、と青年は思った。自分は身の丈を知っている。世界の危機を救って美しい王女様と華々しく結婚だなんて、高望みはしない。国中から尊敬を集めて伝説にならなくてもいい。
少し良い服を来て、少し贅沢なもの食べて、控えめな妻とほどほどの生活ができれば満足だ。自分のような平凡な男には、地方領主の娘で十分だ。
場所を少し離して設置された二つの試合会場は、見物人に埋もれて行き来が困難な状態となった。さらに参加人数が想定を超えたのか、それぞれの試合場が真ん中で区切られて、同時に四試合が行われることとなった。面積に問題はないのだが、早めに決着がつけば、横で別の試合が続いていても、空いた場所で次の試合が始まる。冷やかしと思われた参加者は、試合開始の合図と同時に降参を高々と宣言するようなありさまで、誰がどこまで勝ち進んでいるのかよくわからないまま、多くの試合が消化されていった。
近所の力自慢や若い騎士にファンが付いているらしく、たまに歓声が集中する中、誰にも注目されなかったが、青年は調子よく勝ち進んでいった。
何人目かで青年は立派な甲冑の凛々しい老騎士と対戦することになった。歓声から伯爵家に仕える武勇で有名な騎士らしいとわかる。
何度か剣を交えて、相手の実力を知る頃、お互いの剣を
て力比べになったタイミングで老騎士が話しかけてきた。
「……この武術大会は家柄が良く、それなりの地位なり役職を持った者が勝ち進むことが望まれている。君は腕試しのつもりなのかもしれないが、今回は名声など望まずに、トーナメントから外れるべきだ」
「なに云ってるんだ、爺さん! 誰でも参加可能なんだろ! 実力者が評価されるべきじゃないか」
「君は試合をいくつか勝ち抜いてきただけのことはあるが……身のこなしが騎士のそれではない。恐らくその君の実力に不釣り合いな立派な剣が、動きを補正しているのではないのか」
「……」
「それを君は実力と云い張るのか」
お互いが一旦距離をとったあと、連続した剣の打ち合いになった。高い金属音が続く。
「俺の成果が武器の性能に助けられているとしてもな! 家柄とか役職とか、試合中の取り引きで勝ち抜こうとするアンタに云われることじゃないさ!」
「儂はある程度勝ち進んでから、優勝に相応しい若者に勝ちを譲るつもりで参加している」
「わけわかんねーカッコつけだな、爺さん!」
「わかって貰いたかったが……仕方がない」
そう云うなり、老騎士が渾身の力で打ち込んできた一撃を、青年は勇者の剣の加護で絶妙なタイミングで受け止め、相手の剣を高く跳ね飛ばして試合が終了した。剣は地面に突き刺さり、老騎士はなにか云いたげに青年をじっと見つめていたが、青年は相手にも自分にも大きな傷をつけずに勝ち進めて悪くない気分だった。
やがて参加者の人数もかなり絞られてきたようで、連続して試合に挑まなくてはならない勝ち抜きの参加者の休息の時間を取るためか、片方の試合場が空いたままになることが多くなった。
そろそろ順々決勝かというところで、青年は若い騎士と対戦することになった。兜をかぶる前に見えた顔は、青年より整っていて会場から女性たちからの甲高い応援が飛んでいた。
こちらは中古の兜を慌てて用意したのに、若い騎士の兜は骨太な鳥が翼を広げたカッコいい家紋が入ってピカピカしている。
青年は思った。
うん、不愉快。とっても不愉快。
こてんぱんに倒してやるぞお、と試合を初めて、青年は相手が先程の老騎士より実力がないことにすぐに気がついた。その上、鍔迫り合いに持ち込んで取り引きするのがここでの騎士の作法なのか、こう云ってきた。
「……もし試合の勝ちを譲ってくださるのなら、十分なお金を用意します」
なんだそれ、そういうありきたりな脇役の台詞の入った台本でも渡されてるの?
「平民のあなたが生活するのに十分な金額です」
「……」
「お願いします。……私にはこの武術大会で優勝したという結果が必要なのです」
「……ヤだよ」
こいつ、これまでの試合もこれで乗り切ってきたんじゃないのか、と呆れと怒りが同時に湧いた。
青年は剣から左手を離して相手の横っ面を殴りつけた。兜があるのでダメージは少ないだろうが、若い騎士は土煙を上げて三メートルくらい地面を浅く削った。
そのく若い騎士の腕を踏みつけて、喉元へ突き立てるべ剣を構えた。問うように間を作ると相手は察して、兜の隙間から涙を光らせて悔しそうに降参を宣言した。
会場はざわついたが、なんか定番のイベントをこなしたなー、程度の気分の青年だった。
あとはエリンギのような兜を被った騎士とか、やっぱり取り引きを持ちかけてくる若い騎士とかを倒して、青年が優勝した。
領主は優勝者の前に立ったが、兜を外した青年の顔を見るなり忌々しそうに試合の無効を云い出した。
青年が正当な報酬を要求すると、領主の指示で衛兵が集まって青年を取り囲み、ゴミを掃き出すように引き摺られて城壁の外へ放り出された。勇者の剣を持った実力者でも、数には勝てない。連戦後で疲労もあった。その青年を衛兵たちは囲んで滅多打ちにした。兜はひしゃげ、腕の骨が折れ、剣は地面に落ちた。
意識朦朧となった青年を魔獣が集まりそうな荒野に放置し、衛兵たちは背を向けた。立ち去る衛兵の一人が勇者の剣を拾い上げたが、手が痺れるような感覚に取り落とす。もう一度拾い上げたものの、結局衛兵は勇者の剣を捨てて城壁の中へ戻っていった。
青年は血を吐き痛みに呻きながら、大の字になって空を見上げていた。領主の顔が浮かび、対戦相手たちの顔が浮かんだ。不当な命令で衛兵に引きずり出されていく自分を見ても、領主を非難しなかった群衆の姿も浮かんだ。
俺がなにをした。卑怯者。卑怯者……
許さない、復讐してやる。復讐してやる……
青年は咳き込みながら「ヒール」と唱えた。衛兵も領主も、卑しい平民が癒やしの魔法まで使えるなど考えなかったのだろう、と思うと皮肉な笑みが浮かんだ。回復効果は少なく、二度で魔力切れとなる。気を失いながら、数時間おきに繰り返せば、わずかずつ身体の痛みは遠のいた。
心配した弱い魔物や野生動物は、血の匂いに引き寄せられても勇者の剣から発せられる稲光のようなものに追い払われた。
さすが神様から貰ったありがたい武器だと青年は実感した。
日が沈み、夜空に星が輝き、空が白み……
青年は足を引きずりながら立ち上がれるほどに回復した。
怨みつらみが籠もった瞳で街道を通りがかった商人を脅し、深いフード付きのマントを手に入れた。壊れた甲冑を捨て、それを身に着けて商人の連れに紛れて城壁の中へ戻った。
街の人混みに入り込み、情報を集めて悪徳の領主の居場所を知るために耳を澄ます。
丁度、とある立ち飲み屋の前で、エールを飲みながら無駄話に花を咲かせていた男たちの口から領主の話題が出ていたので、旅人が休憩するような素振りで立ち止まり、少し距離をとって建物の壁に背を預けた。
「領主様のお嬢様、ショックで寝込んでいるらしいな」
「ああ、可哀想になあ……あんなことがあった後じゃ、悪い噂が広がってもうまともな縁談は来ないかもな」
無理もない、と青年は思った。自分の結婚相手となるべき優勝者が、父親の勝手な判断で優勝を無効にされて、権力に任せて暴行を受けたんだ。誰でも参加可能の建前があんなに醜く大人数の前で暴かれたんだ。この武術大会は失敗だ、台無しだ!!
憎い領主の娘とはいえ、青年は自分と同じように傷付けられた娘を哀れんだ。領主の気まぐれにふり回された被害者だ。
「なんでアイツ出しゃばったんだろうなあ」
青年は顔を上げた。言葉は曖昧だったが、自分が話題に出された気がした。
「そりゃ単純に優勝したら豪華な商品が貰えると思ってたんだろ。途中で試合結果のことを相談した対戦騎士もいただろうに、話なんか聞かないで」
「バカだな」
「大馬鹿野郎だよ、ただの平民がちょっとばかり剣の腕が良いからって、領主様の大切なお嬢様と本当に結婚できるなんて思うなんて」
「どこの馬の骨ともわからぬ野郎に自分の娘を渡すわけないだろ。物じゃないんだぞ、お嬢様は人間だぞ。領主様は父親だぞ!」
「せっかく領主様や奥様が選んだ有望な若い騎士様が集められてたのに、どなたも優勝出来なかったなんてな……お嬢様と仲の良かった幼馴染の騎士様もいたらしいぜ……なんでだろうな、こんなことになっちまうなんて」
「伯爵家に仕える有名な老騎士様も、大会を盛り上げるために領主様からの依頼で参加してくださっていたそうだぞ。立派な方だよなあ……。他にも遠くの土地からも評判の良い騎士様を招待して、旅の疲れが影響しないよう何日も前から滞在してもらって、もてなして……こんな大掛かりな大会、領主様は二度と開けないだろうに……」
「領主様はお嬢様に相応しい家柄の若者を集めて、武術大会で優勝した、って名誉で飾って娘婿に迎えるつもりだったのにな。娘のために精一杯の晴れ舞台を用意した親心なんて、ソイツはわからなかったんだろうな」
「ああ、台無しだよ。自分のことばかり考えてたんだろ。お嬢様のことを愛してなんかいないし、お嬢様の気持ちなんて考えもしない……」
青年は密かにその場を離れた。
すれ違う人々の口から漏れ聞こえてくるのは、この領地の人々の多くが、今回の武術大会が参加者の為ではなく、領主の娘のために開かれていると知っていたこと。
褒美が領主の娘ならば、そうと知らされなくても、これは婿選びのイベントなのだと、察して当然であるらしかった。
「…………」
街の中心、その人混みの賑わいの先にあるのだろう領主の城から青年は顔をそむけた。
一度高く空を見上げ、俯いて深くフードを被った。
背を丸め、足を引きずって青年は、ゆっくりとゆっくりと城壁の外を目指した。
《終わり》
しっくりくるタイトルがどうしても思いつかなかったので、仮タイトルです。
他に思いついたら変更するかも知れません。