奇特
風になびく木々の葉の音や、チョロチョロと聞こえる水の音に反応して僕は意識を取り戻した。ぼんやりとした意識の中で土の匂いが鼻をかすめて太陽の光が僕を意識を覚醒させる。
…とんでもなく体が重い…なんとか動く顔を横に向かせると横にはとてつもなく大きな湖が広がっていた。太陽の光を反射している水面が眩しい。湖には柳のような木がいくらか茂っていて、中には誰かいるように見えた。よく見えないが白い布様な姿が一瞬見えた気がした。
声を出そうにも声を出す力がない。口をパクパクさせてみたが特に声が出るわけもなく地面に横たわるしかなかった。周りには湖を囲むように大きな木々が視界を遮るようにしていた。
パシャリ…パシャリ、と水をかき分け進む音が聞こえる。もう一度音のする方に目をやるとそこには、イエローベージュに癖のある髪、夕焼けのような瞳を持った女の子が立っていた。
「ん?なんだ、生きてるじゃん…」
凛と響く声で女の子は告げた。
「悪いけどぼっ、あっ…声が出る…」
「もしかして声が出なかったの…?まぁしょうがないよね…君、変化の能力者でしょ?…喉でも溶けてたんじゃないの?」
「??ウァーム??の、喉が溶ける…?」
「体の大きさが変わったり形が変わるのを変化型といって…別名ウァームというの。拾われた時、君…砂になってたらしいからね…砂の能力者…じゃないかな?」
「っ!…もしかして助けてくれたのは君なの?そして君は一体誰なの!?」
彼女は横たわる僕の体をまじまじと見ながら僕の前で座り込んだ。
「説明が遅れたね…私はフラン・レインのリーダー、柊木茜。そして…残念ながら拾ったのは私じゃないよ。…私の仲間が拾ってきてくれたの。」
「君の…仲間って…ディスピールのこと?」
「っ!まとめないでっ!…あんなのと、一緒にしないで…」ディスピール、そういった瞬間彼女は、おっとりとした目を見開いて突如として立ち上がって怒鳴った。
「…ごめんね…今のは気にしないで…」
「…うん、その、それで…君の仲間って?さっき言ってたフラン…レイル?のこと?」
「違う…フラン・レイン。いい人達が集まってるから…みんな、この国を守る大切な運命を背負ってるの…どうせ…きみには、緑川翔としての居場所はないでしょ?」
「なん…で、僕の…名前を知ってるの…」
「手首…それ病院の…でしょ?」
はっとして手首を見てみるとそこには、患者番号と僕の名前がフルネームで入っている紙製のリストバンドのようなものがついていた。慌ててそれをちぎってポケットに突っ込んだ。
「どちらにせよ、君には入ってもらいたいの。ここで、私たちと君の…大切な人を守るのか…一人で逃げるか…選んで」
そう告げると周りの木々は、まるで僕の回答を急かすようにザワザワと揺れた。
大切な人…そう告げた彼女は僕を透かして誰かを見ているようだった。彼女の素性も僕を求める理由も分からない。この選択が将来…いや、これからの人生が決まることは目に見えていた。僕にはもう守るものもないのかもしれない…けど…
「平和に過ごしたい、けど…みんなの平穏を守れるなら、僕はそこにいたい」
「よし…なら、そこの道をまっすぐ進んで…ずっとまっすぐだよ…」
「えっ、なんで…」
声をかけようとした瞬間だった。地面が揺れるような深い重低音が響いて、後ろの木々どころか湖さえも消えていた。消える…と言うより移動してしまった。
地形が変わったのだ。きっと彼女の能力だろう。なんとなくそう感じた。
…もう後戻りできない。塞がれた道がそう物語っていた。残る一本道、後ろに行くことは出来ない一方通行。この先に何があるのか分からないけど…それでも嫌な気は自然と消えていた。
さっきまで怠く軋んだ体の痛みは無くなって、入院する前より動くような気がした。
ゆるい患者服の紐を結び直しながら、道の沿って歩いていった。
道は本当に一本道で迷うこともなく歩いていた。正直、何を目指せと言われたわけじゃないから道なりに歩いていた訳だが、すぐにそれは見つかった。
いつか、男の子なら夢見たことがあるだろう。とても大きなツリーハウスが僕の目の前にはあった。
ツリーハウスの神々しく、佇んでいるその様はまるで本当にアニメとか漫画の世界に入ったようにさえ思えた。
こんな空間が本当に存在するんだから、この国も捨てたもんじゃないんだよなぁ…ふとそんなことを考えてしまった。
しかし、入口はどこだろうか。入口を探して木の周りを回っていた時だった。
「じゃあ、俺は帰るからな…ってあいつ誰だよ。」
ちょうどツリーハウスの裏側に階段があって、そこの上には入口らしき扉があった。そこの中から赤髪の青年が出てきた。
…不良?少し怖いなぁ、ここが優しい人達の集まるアジトには思えないけど。
「どうしたんだい?…おや?昨日の。」
扉の奥からもう一人黒いパーカーの青年が出てきた。
「知り合いか?」
「いや、昨日森の手前で倒れていて、体が半分消えていたんで放置してたんだよ」
「お前は鬼か」
「鬼じゃないよ、死神」
なにを見せられてるんだ僕は。僕を置いて二人は淡々と話を続けてしまっている。話が済んだみたいだ、赤髪の青年はどこかへ歩いていってしまった。
「あ、あの…」
二人だけになってしまった。黒パーカーの青年はこちらをじっと見つめて目をそらさない。…とても気まずい、ここについて詳しく知らなければいけないし…不本意だけど聞いてみるか。
「ここってもしかしてフラン・レインのアジトで…あってますか?」
「そうだよ、もしかして茜君に会ったりしたんじゃないのかな?」
「茜さんを知ってるんですか!?」
「知ってるも何もフラン・レインのもう一人のリーダーだからね。なら、話が早いよ、アジトについてお話しよう。中に入りなよ。」
「はっ、はい。」
言われるままに入っていってしまった。中は木の匂いが優しい部屋で、4人ほど人が入っていた。思っていたより中は広いようで階段も見えた。どこまであるのだろうか…
「ようこそ、フラン・レインへ…歓迎するよ。君たち、新しく加入した仲間だよ。」
「えっ」
「挨拶が遅れたね、僕は死神。フラン・レインのリーダーだよ。」
「その前にここについて説明してあげた方がいいんじゃないですか?」
そういってくれたのは、奥で椅子に座っているセーラー服の女の子だった。
「死神さんの事だから説明もなしに引き入れたのでしょう?私は葉月透華フラン・レインの部下よ。そして、隣にいるのが…」
「狐珀って言います!年が近そうな子が増えて良かった!」
透華と名乗る女の子の隣には黒のロングでストレートの女の子が座っていた。見た目とは違って明るくて元気そうな子だった。
「あと、そこにいる水色髪のツインテールの女の子はギル。フラン・レインの幹部ですよ。本人があんまり喋るのが好きじゃないんですの。」
「…よろしく」
水色の髪の女の子なんてほんとに存在するんだな、現実味のないギルさんを見て思う。ここは非現実に溢れてて目の前で次々と起こることに動揺するとともに、僕は入っては行けないそっちの世界に入ってしまった事実にゾクゾクする。
「妹にあったのか?」
「妹?…もしかして茜さんのこと?」
「やっぱりか、俺は柊木 華楓、茜の兄だ。」
「茜さんのお兄さん!?きょ…兄弟で入ってるんですか?」
「別に変な事じゃない、ここはそういうところだ。」
そういうものなのか?ますます分からない、遺伝性だからおかしい訳ではないのかも。僕の、お母さんも…能力者だった?生きてるかも分からない、僕を捨てた親の事なんて考えたこともなかった。
「さてと、君の名前を聞こうかな?」
ニッコリとした笑顔で死神は聞いてきた。まるで転校生に名前を聞くように、そんな感じで僕の周りでにこやかに聞いてくるものだから。不意に僕も笑ってしまったのかもしれない。
「僕は緑川翔、高校二年生でした。」
「高校二年生でしたって…今は?なんかあったの?」
狐珀は僕の顔を覗き込んで聞いてきた。自分で言っといて少し恥ずかしい…なんだよ、高校生でしたって…
「えっとね、実は少し前に事故にあったんだ。」
これまでの経緯、崖からの転落の話から茜さんとの会話まで事細かに話した。みんな特に話に割入ることも無く静かに聞いてくれた。そんなに集中して聞く話かな?まじまじと聞かれると逆に恥ずかしい。
話が終わると皆が怪訝な顔で見てきた。
「そんなに辛いことが…あったんですね…」
オーバーリアクション過ぎないか…ハンカチで目を抑えて泣く素振りを見せる透華さん…ギャグなの?
「そ、そんなに泣くような話でしたっけ?」
「透華くんね、こう見えて結構年くってんだよ」
「黙ってください、死神さん」
「ごめんなさい。翔くんが訳ありなのと一緒だよ、ここにいる人はみんな訳ありなんだ」
なるほど。確かに個性が強いだけじゃなくて、色々事情があるんだな。そう考えれば、死神さんが偽名?みたいなのを使ってるのも納得がいくものだ。
「そのうちゆっくり話をしていくよ」
心配するように死神さんは僕の顔を覗き込んだ。暗い顔をでもしてしまっていたのだろうか?本当に名前に似合わない優しい人だな。
そのうち…まだ、話せない事情がある。
僕が受け入れられないかもしれないから?有耶無耶にされる理由は様々あるだろう。
…僕も仲間にされたいな。
そんな事が頭をよぎって、ダメだよ、僕は人間だからなんて事を思ってしまった。
もう僕は人間じゃない。分かってるけど否定したいのかわからなくて、思考と感情が追いつけないと言うか…
よく分からなくなった。
ドロリ
心が、身体が溶けるような感覚だった。
溶けるような、それは事実上コントロールしきれない砂の力の小さな暴走によるものだった。
指先からスルスルと崩れていく。まるでこの現実から離れたいように見えて、このまま世界の塵となってしまおうか。そんなことを考えてしまうほど意識が外へ向いていた。
「翔くん、おいで」
形の定まらない僕の手を握って、しっかり真っ直ぐな目で僕を捉えてくれた。
そこにいたのは死神さんだった。
その目の中には僕がちゃんと存在していて、僕の居るべき場所を作ってくれた。穏やかな口から漏れる。「おいで」その言葉は、僕の中に意識を戻すのにぴったりの言葉だろう。
なんて、言えばいい?色々言葉はあったのかもしれない。感謝や安堵の言葉。その中から僕は…
「ただいま、死神さん」
僕の形は綺麗に戻っていた。ようやく意識できた。
この身体はもう自分のものだから。
心の拭いきれない穴を埋めてくれるような温かさがあった。
「はぁ…」
どこからがため息が聞こえた。
「おかえり…なのかな?よくわかんないよ、この挨拶。大丈夫?翔くん」
死神くんの隣から狐珀ちゃんが覗き込んできた。顔に少し冷や汗をかいている。周りの人からも少しだけだけど、不安の気持ちが伝わる。
「大丈夫だよ。心配させちゃってすいません。」
「良かったわ。少し外でも歩いてみたらどうかしら?頭すっきりするわよ?」
「そうした方がいいかもね。どうする?翔くん」
ここの周りどうなってるんだろう。一人で歩くのかな…
「一人で行っていいんですか?」
「えっ…一人がいいの?…」
ダメだったのだろうか。死神さんが周りをキョロキョロし始めた。
「今なら平気かも…心配だからこれを持っててほしいな」
そう言うと、死神さんはポケットから紐のついた青い石を渡してきた。…ラピ〇タの飛〇石だ…
「な…なんですか、これ。空飛べるんですか!?」
「残念ながら、空から落ちてきた女の子の物じゃないよ。これは、透華くんの能力に応じて操れる石さ」
「操れる?石をですか?」
「明確には青いものを操れるんですよ、私」
そう言うと石は突然動き始めた。
「今、私が操っているのよ」
「すごい、操れるんだ…視界外でも?」
「操れますよ」
すごいな…と思ったと同時に森の中では使いにくそうだなと思った。青いものって何があるんだろう。
「何かあったら紐から石を抜いて、私達がすぐにそっちに向かいながらあなたの事をこっちに飛ばすから。」
そうすればすぐに合流出来るのか、すごいなこの石は。
「分かりました!…では少し散歩に行ってきます。」
僕は扉を思い切り開けた。