未衣3 (1)
1.
彬の機嫌がやたら良い。
いや、機嫌がいいというより浮かれている。
何を言っても言わなくてもヘラヘラしてて、はっきり言ってキモチワルイ。
まあ、あたしには関係ないことだけど。
あたしはため息をついて書きかけのスクリプトのバックアップを取り、PCをシャットアウトした。
夏合宿までになんとか上げないと。
皆、読んで文句ばっかり言って、全然協力してくれないんだからなぁ…
彬はデートとバイトが忙しいとか言って、殆ど部室に来なくなってしまった。
このスクリプトも一緒に書いていたのにもうそんなこと忘れちゃったみたい。
この調子じゃあ公演にだって参加するかどうか判んないわ。
試験が終わって夏休みになっても来なかったら、先輩たちにちょっと言ってもらった方が良いかな。
あたしは参考にしている文献や脚本を片付けながら、ふと思いついた。
豊島さんに相談してみようか。
文芸部だし、英文学部だけど古典も強そうだし。
よしそうしよう。
あたしはちょっと元気になって、部室を出た。
今日は4限が終わったら豊島さんが渋谷まで行こうと言っていて、校内の掲示ボードの前で待ち合わせている。
先に着いて、暇つぶしに掲示ボードに貼ってあるアルバイトの情報を見る。
ん~、そろそろ夏休みのバイトも考えないとな…
球場のビールの売り子さんとか良いかな。あ、でも神宮かぁ。野外は暑そうだなあ…
彬はどうするんだろ。今のバイト先でシフト増やすのかな。
思わずのめりこみ真剣に見ていると、後ろからポンと肩を叩かれた。
「バイト探してるの?」
振り向くと豊島さんが優しく笑っていた。
「あ…えっと、そろそろ夏休みのバイト探そうかなって」照れながら豊島さんの方へ向き直ると、豊島さんはあたしのブックバンドをさりげなく持ってくれる。
「そうなんだ…そう言えば、僕の叔母がバイトしてくれる人探してたな」
思い出したように言った。
「え、何の?」
「三茶で小さなケーキ屋をやっていてね。
いつも来てくれてるパートさんの息子さんが夏にオペすることになって、まあ秋口には退院できるだろうから夏休みだけって話で」
えーっ。なんか願ってもない感じのバイト先?
「僕にも大学の友達で誰かいないかって言われてたんだけど、そんな女友達いないし。
まあ、気が向いたら考えてみてよ」
「ケーキ屋さんのバイトってしてみたい…」あたしは両手で頬をおさえ、うっとりと言った。
「三軒茶屋なら近いし…。あ、でも毎日はいけないかもサークルあるから」
「うーん、そこらへんは僕には何とも…」困ったように笑って「あ、じゃあ、これからちょっとお店に行ってみる?」とあたしの顔を覗き込むように言った。
「え、渋谷は?」あたしは驚いて言った。心臓がバクバクする…
「ああ、渋谷行きたい?」豊島さんは笑う。
「いや…っていうか、豊島さんの叔母さまにいきなり会うのは心の準備が…」
あたしが胸に手を当てて正直に言うと、豊島さんは微笑んだ。
「叔母っていっても、僕の母とは年が離れていて僕の姉みたいな人だし、気さくでざっくばらんな人だから大丈夫と思うよ」
「そう…?」
まあ、バイトするんならいつかは会わなきゃいけないわけだしね…
あたしは心を決めた。
「じゃあ…良かったら連れていって」
「判った。じゃあ行こう」機嫌よく言って、あたしの肩をポンと叩いて歩き出す。
学校から電車で少し行って、三軒茶屋で降りる。
10分弱、歩いて住宅街に差し掛かる辺り、それほど大きくはないビルの1階にお店はあった。