彬 15
夏休みが終わり、また授業とバイトと部活の日々が始まった。
美乃利ちゃんのLINEはいつの間にかブロックされていて、連絡が取れなくなっていた。
嫌われても仕方ない。
すべて自分の責任だ。
あの時確かに、俺は美乃利ちゃんより未衣を選択した。
嫌われずに別れようなんてムシが好すぎるよな。
俺は夏休みにシフトを増やしたバイト料がたくさん入ったので、未衣を誘ってどこかへ行こうかと考えていたが、演劇部がめちゃ忙しくなってきてなかなか誘えずにいた。
男手が足りないということで、連日大道具作りに駆り出されて汗だくになりながら大工作業の日々。
だけど女性陣が気を遣ってお茶やお菓子を用意してくれたり、小道具・衣装を作っている未衣と話がたくさんできたのでまあいいか。
炎天下、ランニングシャツに短パン、タオル鉢巻き、両手に軍手という異様ないでたちで木材を運んでいたら、偶然美由紀さんに行きあった。
思わず美乃利ちゃんも傍にいるのかと緊張すると、美由紀さんは立ち止まって俺を刺すような視線で見た。
「お久しぶりです。美乃利は今ここにはいません。幸いなことに」にこりともせずに言う。
「あ…そう。久しぶり」
俺も立ち止まって木材を降ろして汗を拭く。
しばらく向かい合ったまま黙り込む。
「その…美乃利ちゃんは元気?」沈黙に耐えかねて俺は訊いた。
美由紀さんの眼光が更に鋭くなる。こわい。
「元気なわけないじゃないですか。
毎日泣き暮らしてますよ。
私の大事な美乃利に何てことしてくれたんです?
LINEだって絶対に消したくないというのを無理矢理ブロックさせたんですけど、もう本当に大変でした。
あなたなら大丈夫だと思ったのに…」大きくため息をつく。
「大丈夫って…何が?」俺は恐る恐る訊く。
「美乃利の王子様幻想につきあってくれそうな、気の弱い優柔不断な男ってことですよ。
中野さんに対する自称友人って言葉を信じた私がバカだったわ。
まさか美乃利より中野さんを取るなんて。そんな決断力のある人だと思ってなかった。
そこが私の敗因です」
悔しそうに言う。
なんだそりゃ…俺は絶句する。
それじゃまるきり、美由紀さんが美乃利ちゃんをコントロールして俺とつき合わせたみたいじゃないか?
俺の表情を見て、美由紀さんはふっと笑った。
「あなたの思っている通りよ。
私の大事な美乃利を託せる男は私が選ぶんです。
もちろん、美乃利の好みの人の中からですけどね。
美乃利はまだお子ちゃまで、アニメの王子様みたいな男が実在すると思っているので困るわ」
「中野さんもあの、イケメンの彼と別れたそうですね。
夏休みに中野さんのバイト先のケーキ屋さんに行ったとき、美乃利が彼にちょっと興味を持ったようだったので彼のことを少し調べてみました。
頭脳明晰で性格は優しく穏やか、容姿はあの通り端麗で申し分ないわ」
「もともと渋谷辺りの地主で、今は一族でいくつか会社を経営なさっているようですね。
松濤にご自宅があって、彼自身も大学か院の卒業後は将来の経営者候補としてどこかの会社に入社なさることが決まってるようで。
そういうところも美乃利の実家と釣り合います」
ああ、そうなんだ…
俺は今までのことを思い返し、妙に腑に落ちた。
俺や未衣のような、地方出身の庶民代表みたいな人間に釣り合う人たちじゃなかったんだな。
「大学の友人や同じサークルの人に話を聞いたら、とにかく中野さんを溺愛というかベタ惚れしているようで、これはちょっとハードル高いかなと半ば諦めていたのですが。
どういう理由か判りませんが別れたのなら、美乃利にもチャンスが生まれるってことですよね。
美乃利もあなたとつきあって、少しは現実の男女交際の何たるかが判ったようですし」
「いや…でも豊島さんは…」俺は言いかけた。
優しそうな外見に似合わず強引だし、気に入らない人間には辛辣なところあるし、失恋の痛手で身体と精神壊して入院中だし、これから外国の大学に編入しちゃうし。
でもこれ、俺が言っちゃっていいのかな。
「美乃利のこれからについてあなたに意見する権利はないし、あなたの意見を聞くつもりもありません。
それでは、ごきげんよう」
一方的にまくしたて、長い黒髪を翻して美由紀さんは颯爽と去って行ってしまった。
うーむ。まあいつかは知れることだし、俺がこれ以上彼女たちに憎まれてまで伝えることでもないか。
俺はよっこらしょと再び重い材木を持ち上げた。
美乃利ちゃんと美由紀さんの関係って…結構複雑だったんだ。
歪と言っても良いかも。
まあ、俺と未衣の関係だって、傍から見れば歪なのかもな。
変だって、皆がそう言うから。
美乃利ちゃん、毎日泣き暮らしているのか…
美由紀さんの言葉を思い出して、胸が痛んだ。
ごめんな…俺がもうちょっとうまく立ち回れれば良かった。
美乃利ちゃんの意思でLINEをブロックされたのではないことに、俺は安堵したような申し訳ないような変な気持ちになりながら、部室に続く外階段を登っていった。
俺と未衣が偶然にも同じ時期に彼氏彼女ができて、また同時期に破局したことにクラスメイトや演劇部のメンバーはどう思っているのか、よくは解らないけど(なにせ、そういう噂には疎い俺と未衣だ)おおむね好意的に受け取られているようだ。
俺たちが授業などでまた隣に座るようになって、あれやこれやくっだらない言い合いをしているのを見てニヤニヤしてる輩がいる。
その代表が今泉と千佳ちゃんだ。
もともと夏前まで、俺たちは4人で行動していることも多かった。
今泉と千佳ちゃんの仲がどの程度のものなのかは定かではないけれど、俺と未衣が離れていた時期に二人で行動するということはなかったみたいなので、俺と未衣あっての4人グループってことなんだろう。
と、思っていたんだけど…。
今泉はどうやら千佳ちゃんを最近かなり意識しているようで、何しろ俺や未衣が気づくぐらいだからクラスメイトはおろか千佳ちゃん本人もとっくに判っているようだ。
俺と未衣が一緒に登校し講義室の隣の席に座ってスクリプトを広げ、稽古について話し合っていたある日、千佳ちゃんはいつもと変わらない明るく捌けた調子で俺たちの前に座りニコニコしながら言った。
「未衣、彬くん、また隣に座れるようになって良かったね~。あたしや今泉も心配してたから嬉しいよ」
「つきあう予定はないから」未衣が台本に目を落としたまま冷たく言う。
俺が驚いて未衣を見ると、未衣はため息をついた。
「千佳と今泉君って、どうもあたしたちをくっつけたがってる気がする。
千佳はどうなのよ。今泉君の気持ちは判ってるんでしょ、つきあうの?」
「さあ、どうかな~」千佳ちゃんは歌うように言って首を傾げて上目遣いに俺たちを見る。
そういう芝居がかった仕草がサマになる。
「未衣と彬くんがそういうことになったらね。考えないでもないかな」
パチンと俺にウインクし、俺はドキッとする。
「なにそれ。ずるいわよ!」未衣は怒り出し、俺は思わず頷いた。
それはずるい。俺たちは俺たち、お前らはお前らだろ?
そこへ今泉が眠そうに欠伸しながら「おふぁよ~」という感じで現れ、千佳ちゃんの隣に座った。
「千佳、昨日LINEしたんだけど」今泉が千佳ちゃんの顔を直視せず、何でもなさそうに言った。
「え~気づかなかったぁごめんね~」と千佳ちゃんはマイペースに答えている。
嘘つけ。
俺と未衣は顔を見合わせた。
その夜、俺はバイトが終わってから未衣にLINEをした。
『お疲れっす。千佳ちゃんと今泉のことなんだけど。未衣はどう思う?』
すぐ既読になって返事が来た。
『お疲れさま。どうって言われても。
今泉君を見てると可哀相だなあとは思うけど、千佳は女子力高くてなかなか自分の本心見せないし。一筋縄ではいかないっていうか、正直今泉君の手に負える娘じゃないような』
うーん。そうだよな…
俺はまた返事した。
『それはそうだろうけど、俺たちにゲタ預けられるようなのって困るだろ』
『あれは千佳流の冗談よ。自分でちゃんと決める子だから、それは考えなくていいよ』
あ、そうなんだ。
ちょっとガッカリしてる自分に驚く。
『俺、夏休みの間のバイト代入ったんだけど、結構な額になってたから未衣を遊びに誘おうと思ってたんだ。
4人でどこか行くか?』
少し間が開いて、返事が来た。
『そうね。4人で大学の外で会うことも遊びに行くこともなかなかないしね。
誘ってみようか。あたしは千佳に声かけてみる。
彬は今泉君にお願い』
『判った』
未衣とのLINEトークを終了し、俺は今泉のトークに送信するメッセージを書きながらすごく気分が浮き立っているのを感じていた。
本当は未衣と2人で行きたかったけどな。
今泉の恋の応援をするのも良いかも。
面白そう、なんて言ったら今泉と千佳ちゃんに悪いかな。




