彬 9
未衣が彼氏を連れてバイト先に来た。
俺の頬にキスしたのは間違いだったと言わんばかりの対応に、俺は傷ついた。
何だよ。すごい嬉しかったのに…
イケメン彼氏は店中の女性の視線を集めていて、スタッフの女の子は話かけられたとはしゃいで報告に来た。
俺が出て行くと、豊島さんはあからさまに俺を邪魔にし、未衣が申し訳なさそうな顔をしている。
俺は早々に退散した。バカバカしい。
だけど二人の様子が気になってちらちらとキッチンから見てしまう。
豊島さんはべったりと未衣にくっつき、未衣は時折困ったような表情をしている。
困っていると思いたいだけなのかな。本当は嬉しいのかもしれない。
俺にはそう見えたけど…
俺が二人を見るたび、豊島さんだけが俺に気づいているのが判る。
髪を撫でたり頬にキスしたり、見てられねえ…
未衣に俺を気づかせないようにわざとやってるだろ、あの野郎。
性格悪っ!
その夜、未衣からLINEがきた。
豊島さんの非礼を詫びてくれている。
別にいいのに。美乃利ちゃんだって、ケーキ屋さんでは褒められた態度じゃなかったし。
それから、真美ちゃん先輩に豊島さんのことを相談してみると書いてあった。
おお、と俺は両手を打った。それが良い。
真美ちゃん先輩には、あのストーカー男が未衣の彼氏になった責任の一端がある。
俺は返信し、ちょっと迷ってから『豊島さんが未衣にべったりくっついて、頬や髪にキスしながら話しかけてるのを見てたら妬けちゃったよ』と書いて、何やってんだ俺、何で豊島さんに嫉妬したことを未衣に告白しなきゃならないんだと消去しようとして送ってしまった。
うわっ…やば…
慌てて『俺も美乃利ちゃんにトライしてみるww』と書き足して送信する。
リカバリーできただろうか。
ああ、もうバカだな俺…
未衣が豊島さんとのことで悩みを打ち明けてくれたのは、俺を友人だと思ってるからだろう。
未衣はそもそも、誰かに弱音を吐くようなヤツじゃない。
よっぽど辛いんだろうな、と思うと居たたまれない気になるが、俺にできることと言えばせいぜい友人代表として豊島さんに話すことくらい。
しかしそれは逆効果だと言われれば、今日のファミレスでの豊島さんの態度を見てもそりゃそうだなと頷かざるを得ない。
あーあ。俺は無力だ。
友達があんなに苦しんでいるのを救えない。
手を束ねて見ているだけなんて。
いっそもう別れちゃえよ、と言いたかった。
だけど苦しみながらも別れるとは一度も言わないのは、未衣がやっぱり豊島さんをすごく好きだからだろう。
良い方に向かうといいな。
俺はそう思うしかない。
オーディションには思ったより部員が集まってくれた。
未衣と豊島さんの書いたスクリプトのお陰だな。
部長が、飲み会にしか参加しないような部員にも声をかけたらしい。
あまり顔を知らないような部員もいる。
顧問の先生まで顔を出してくださったのには驚いた。
良い公演になるよう、頑張らないと。気合が入る。
オーディションが終わってから、皆でどこかへ行こう、ということになった。
俺は明日、美乃利ちゃんが部屋へ来るから掃除をしなきゃなので辞退した。
未衣が真美ちゃん先輩と一緒に会議室を出て行く。
頑張って話しろよ、遠慮せず。
思いを込めて見つめていると、未衣は頷いた。
翌日、美乃利ちゃんがお土産をたくさん持って俺の部屋へ遊びに来てくれた。
長野の蓼科に別荘があるそうで、信濃に実家がある俺は、懐かしくお土産の品々を眺めた。
うーん、たまには帰らないといけないかな。でも金かかるし…
アイスティーを出し、エアコンをかけて美乃利ちゃんの土産話を聞く。
違う大学に通うお姉さんとその彼氏も来ていたそうで、今度は俺にも一緒に来てと言う。
いや…どーだろ。俺、場違いじゃね?
酒は強いけど、酔うと吐くし。
未衣に送ったLINEとバイト先に来た豊島さんの姿を思い出し、手を伸ばして美乃利ちゃんの髪に触れ撫でる。
美乃利ちゃんは嬉しそうに俺にもたれかかってきた。
肩を抱いてみる。
「彬くんは…」美乃利ちゃんが少し拗ねたように俺をみあげる。
茶色の瞳が窓ガラスから差し込む光を反射して、透き通るように見える。
綺麗だな…俺は見惚れてしまう。
「美乃利とキスしたいって思わないの?」言ってから恥ずかしそうに俯く。
「えっ?」
まさかの発言に、俺は美乃利ちゃんの顔を覗き込む。
美乃利ちゃんは顔を背ける。
「だって…つきあってから結構経つのに…美乃利がくっついても全然平気な感じで」
と言って俺を見た。瞳が潤んでいる。
「美乃利のこと、好きじゃないの?」
俺は美乃利ちゃんを抱きしめた。
「好きだよ…」
そのまま唇にキスをする。
柔らかい美乃利ちゃんの唇に時間をかけてキスしていると、美乃利ちゃんが「…んっ」と声をあげた。
俺はその声を聴いて今まで我慢していたリミッターが外れてしまった。
床にそっと寝かせて、髪、額、頬、耳、首筋にキスしていく。
意外に豊かな胸に触れると、薄いブラウスの下のブラに触る。
ボタンは外さず、服のギリギリまで肌にキスしながら、スカートの裾から中に手を入れようとして、
ひっぱたかれた。
…何で?
俺は呆然としながら起き上がって、美乃利ちゃんを見下ろした。
美乃利ちゃんは泣きながら震えている。
やべ…俺は真っ青になる。
「あ、…ごめん美乃利ちゃん、俺…」
起こそうとした手を振り払い、美乃利ちゃんは泣きながら起き上がってそのままバッグをひっつかんで出て行ってしまった。
俺の中で、追いかけろ!引き留めてちゃんと謝れ!という声がする。
そうした方が良いのは判る。
でも俺はそうしなかった。
一時の感情に流されて、美乃利ちゃんをひどい目に遭わせようとした。
未遂で終わって良かった。
俺は頭を抱えた。
豊島さんのこと怒れない。俺も同じだ。
いや、豊島さんの方が全然マシだな。
だって未衣のことあんなに愛しているが故の暴走なんだから。
俺は…美乃利ちゃんを本当に好きなのか、愛してるのか。
判らない。
今まで気づかないように避けていた、そのことに気づいてしまった。




