彬 6
未衣を抱きしめてしまった。
バイト先の厨房で皿を洗いながら、俺は自己嫌悪に陥った。
よく突きとばされなかったよなあ…
それだけ、悩みが深かったってことなんだろうけど。
未衣は、男女を分けて考えるということをしない、性差という意識がとても低い人だ。
自分でも、こんな性格だから男友達の方が多いの、と笑っていた。
豊島さんはなんでそこを解ってあげられないのか。
未衣のことが本当に好きだったら、まるごと受け入れてあげるべきなんじゃないのか。
未衣の、柔らかい身体の感触を思い出して、俺は赤くなってしまう。
思ってた以上に華奢だった。あんなに細かったんだ。
良い香りがして温かくて、なんていうか…女の子だった。
すごくドキドキした。
俺は頭を振って仕事に集中する。
ぼーっとしていると手を切ってしまう。
だけど俺だって、美乃利ちゃんをまるごと受け入れているかと言われれば…そうでもない。
美乃利ちゃんの独占欲っていうか、どんなときも美乃利を最優先にしてっ!という考えには、正直辟易することもある。
豊島さんだったら、もし未衣がそう言ったら嬉しいと思うんだろうな。
未衣にはあんな偉そうなことを言ってしまったが、俺には美乃利ちゃんを説得できる自信なんて全然なかった。
美乃利ちゃんには、いつも可愛らしく笑っていて欲しい。
美乃利ちゃんがいつも笑顔でいられれば、それは俺が「良い彼氏」だってことだ。
俺は「良い彼氏」になりたい。
未衣のことは抱きしめたくせに、俺は美乃利ちゃんには一切手を出していない。
家に遊びに来た時には我慢するのが大変だけど、やっぱり嫌われたくない。
美乃利ちゃんは俺を2次元の「王子様」と見ているフシがある。
そんな男、現実にいるわけねーだろ!と思うが、しかしだからと言って、俺がむりやり現実を教える勇気も度胸もない。
俺は大きくため息をついて、洗い終わった皿を食洗器に並べていった。
「どうした?なんか悩みか?」
バイトリーダーの井上さんが声をかけてくれる。
「いや、なんでもないです。大丈夫です」
俺は笑って言った。
「お前、夏休みも結構たくさんシフトいれてるだろ、彼女大丈夫なのか?
どっか連れてかなくていいの?
こっちは助かるけどさ」井上さんは心配そうに言ってくれた。
「ああ、なんか彼女もイベントがあるらしくて。
その後、家族で旅行に行くとかで、結構いないんですよ」俺は苦笑いする。
本当は旅行じゃなくて、別荘なんだと。おっかねもち。
「そうか、じゃあたくさん働いて金貯めて、秋にはどっかいけると良いな」と言って、井上さんは扉を出てフロアの方へ行った。
俺はオーダーを確認して、調理の方へ入る。
秋か…
芝居、やりたいな。
未衣と一緒に書くはずだったスクリプト、ひとりでやらせちゃって悪いことした。
大変だったろうなぁ。
第5稿を一部もらって、ぱらぱらっと目を通したけどすごい面白かった。
ラストはちょっとアレだったけど。
俺も書きたかった。
なんで忘れてしまったんだろう。あんなに演りたかった題材だったのに。
豊島さんって文芸部だったか。
だから未衣も彼にお願いしたんだろう。けど…
俺はポテトフライを揚げながら、唇をかみしめる。
忘れてた俺が悪い。それは重々承知している。
だけど、妬けて仕方ない。
未衣とあの脚本を二人で書いた、豊島さんに。
芝居そのものと、それから未衣を横取りされた気がした。
違う違う。俺は強いて考え直す。
俺は未衣とは友達なんだし、豊島さんは彼氏なんだから横取りとかいう表現はおかしい。
嫉妬ってのも変な話だ。
俺はポテトとパセリを盛りつけて、ちょうど入ってきたフロア担当の女の子に「15番のポテト上がったよ」と声をかけた。
「はぁーい」と女の子は言って、ポテトと伝票を照合して持っていった。
夏合宿、行こう。秋の公演は参加する。
未衣が行かないなら、美乃利ちゃんもそううるさくは言わないだろう。
俺は、さっきの女の子が下げてきた皿を片付けながらそう決心した。




