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BUMPY ROAD  作者: 若隼 士紀
12/38

未衣5

 あたしは最近疲れている。

 勉強、バイト、サークル、そして彼氏。

 この4つを繰り返すループにはまり込んでいる感じ。

 

 まあ、大学生なんてみんなそんなものかな。

 あたしは昔から弱音を吐くことが苦手で、誰かに甘えることができない性格なので余計に自分の中に疲れをため込んでしまう。

 嫌と言えない性格もこの疲れに輪をかけているようで、とにかく毎日やらなきゃいけないことをこなすので精一杯だった。


 スクリプトは、豊島さんの全面的なバックアップのお陰で、まさに劇的なスピードで出来上がりつつある。

 書くことが好きなんだろうな、と思う。

 瞬く間に第5稿まであがって、…あたしはラストに違和感を覚えた。

 

 第5稿は部室まで豊島さんが届けに来てくれた。

 他に誰もいなかったので、豊島さんは勝手知ったる部室の備品でコーヒーをふたつ淹れてくれた。

 ふたりで並んで座り、プリントしてくれた原稿を読む。

 なんか、距離が近すぎる感じなのが気になるけど…

 

 え?ここにきてハッピーエンドに改稿?

 豊島さんに訊くと「うーん。やっぱり、ラストには何らかの結論を出した方が良いような気がするんだよね。僕が不条理劇が好きじゃない、っていう理由もあるんだけど…」となんだか歯切れが悪い。

 「そう…でもねえなんか、これだと落ち着かないっていうか。結局のところ、四十七士は切腹を命じられるんだし」あたしは原稿をなぞりながら呟いた。


 「なんか書いてるうちにそうなっちゃったっていう感じなんだよね。

 吉良上野介に感情移入しちゃったのかも。

 もう一度僕も考え直してみる。君も考えてみて」

 と言って、豊島さんはバッグからゴディバチョコレートの箱を取り出した。


 「まあ、とりあえず第5稿あがったし。お疲れ」と言ってタブレットチョコレートの紙包みを剥がし、「はい、口開けて」と言ってあたしの口にチョコレートを突っ込んだ。

 

 あたしが訳の分からないまま、とにかく口にチョコレートを収めようと前歯で噛んだ時「僕にも」と言って顔を近づけて来て唇にキスして、チョコレートの欠片を噛んで離れた。


 「・・・・!」

 あたしが驚いて何も言えずにいると(チョコレートが口の中にあるし)豊島さんは「チョコと君の唇と、両方もらっちゃった」と少し笑った。

 

 「作戦成功だ。ただキスしようとしたって絶対拒否られるし」

 髪をかきあげて天井を見上げる。

 「なんか僕って本当に未衣ちゃんの彼氏なのかな…

 好きだっていう気持ちを押し付けて、ただ束縛してるだけのストーカーなんじゃないかって最近思うんだよ」

 

 申し訳ない…、あたしはチョコレートを飲み込んでうつむいた。

 「豊島さんのこと、カッコいいな素敵だな、と思うの。

 好きって言ってくれるのはとても嬉しいの。

 でも…あたしって19歳になってもコドモなのかなあ。友達にはカマトトって言われたけど。

 なんかまだ受け入れる準備ができてないっていうか」


 豊島さんはあたしをじっと見つめている。

 切ない瞳が、表情が、つらい。


 「でも努力する気持ちはあるの。

 受け入れたいとは思ってるんです。

 だから…もう少し待ってくれますか?」


 豊島さんは組んだ自分の両手を見つめて「努力…か」と呟いた。


 「僕は、去年真美ちゃんに連れられて、演劇部ここの飲み会に参加して、君に出会ったときから世界が変わったんだ、大袈裟じゃなくて。

 無彩色だった世界が、ぱあっと明るくなって色味が鮮やかになった。

 人を好きになるって、こういう感覚なのかとすごく驚いた。

 本でいくら読んでも実感として解らなかった世界が、ここにあると」


 「君に会いたい、近づきたいと思って、毎日のように部室ここへ通った。

 部員でもないのに迷惑だろうなと思いながらも、来るのを止められなかった。

 彬くんと仲よく笑い合ってる君を見るのは正直つらい時もあったんだけど、それでも愛しい君の笑顔を見たいと思う気持ちを止められなかったんだ」


 「君の、異性に対する距離感が同性に近いっていうか、非常に垣根が低いなっていうのは初めから思ってた。

 僕にも最初から、とてもフレンドリーだったし。

 先輩まみちゃんの友達だからって、初対面の男にそんなに親しげで良いのかってビックリしたよ。

 もちろん嬉しかったんだけど」


 豊島さんは顔を上げてあたしを見、手を伸ばして頬に触れた。

 「だから君とつきあうことになったとき、まずそれが一番心配だった。

 お試しで良いとか言いながら、矛盾してるよな。

 だけど…」

 手を降ろし、あたしの手を握る。


 「つきあってみたら、思ってた以上に君は素敵な人で。

 もう絶対に手放したくないという思いが日増しに強くなっていく。

 同時に僕だけのものにしたい、他の男に取られたくないという気持ちも。

 僕は未衣ちゃん以外の女の子と話したいとか、全然思わなくなった」

 

 ぎゅっと目を瞑って、歯を食いしばるように言う。

 「僕以外の、世界中の男という男に接触させたくない、本当は。

 だけどそんなことは不可能だって解ってるし、僕の考えがおかしいのは解ってる」


 大きく息を吐きだして、目を開け、微笑んだ。

 「未衣ちゃんは、たまに僕が女の子と話してても全然平気そうだよね。

 何の話をしてるかとかもまったく興味なさそうで、僕はまるきり他の男友達と同じノリだなあって。

 不安になるんだよ。

 僕の想いとの、あまりの温度差に」

 

 「でも、こんな僕を受け入れようと、努力してくれるって言ってくれてすごく嬉しいよ。

 うん。待つよ。ときどき暴走しちゃうかもしれないけど…」

 握った手を上下させる。

 

 「しかし、カマトトってすごいな…実際に聞いたのは初めてだな。

 誰が言ったの?」と笑った。

 「千佳っていう、クラスメイト。仲良しで、いつもお互いに遠慮なくなんでも言い合ってるんだけど。

 あたしもビックリした。昭和か!って突っ込みそうになった」

 あたしもやっと笑えた。


 

 それからは豊島さんはあまり思いつめたような言葉は言わなくなったが、あたしは執行猶予がついただけのような気がしていた。

 待ってるだけ。待たせてるだけ。

 あたしの、異性に対する価値観を認めてくれたわけじゃない。


 第5稿を少しずつ手直しして、ラストどうしようかなあ…と考えていたら、ものすごく久しぶりに彬が部室にやってきた。

 相変わらずバカなことばかり言って、あたしを呆れさせる。


 秋の公演のスクリプトをすっかり忘れている彬に、無性に腹が立つ。

 去年の公演後、来年は一緒に脚本書いて演ろうぜって、あんなに楽しみにしていたくせに。

 いろいろふたりで考えて資料集めて、いざ書き始めた途端に彼女ができて、そしたらもうほんっとーにまったくおくびにも出さなくなってしまった。

 まるで最初から、二人で書くスクリプトなんて存在しなかったかのように。


 あたしは一人で、彬と一緒に書いているあたしの亡霊を追いかけるように、このスクリプトを書いてきた。

 どうにも間に合いそうになくなって豊島さんにヘルプを求めたけど、本当は、彬と一緒に書きたかったんだ。

 だから彬が、第5稿のラストに疑義を呈して、あたしの意見に共感してくれた時すごく嬉しかった。

 やっぱり判ってる、そんな気がした。


 「彬は夏合宿どうするの?あたしはバイトで行けないんだけど」と言って彬の方を振り向いたら、PCを覗き込もうとしていた彬と顔が触れそうになって、ものすごくドキドキした。

 なんで…こんなに激しい動悸が全然治まらないのか…

 しばらく顔があげられないほどで、あたしは動揺した。

 

 秋の公演に参加するのかしないのか、決めかねているような彬に、あたしはイライラした。

 彼女に遠慮してるのがありありと判る彬を見ていたら、自分でも驚くようなキッツい言葉が出てしまった。

 「あたしがいるサークルに顔出したら、彼女に何か言われるの?

 ノートもレポートの資料も何もかも、LINEで送れって、ビックリしたわよ。

 彼女すごい束縛するのね」


 彬は「何だよ、未衣は豊島さんが他の女の人といても平気なのかよ」と怒ったように言った。

 そうじゃないのが当たり前だと思っているようだった。


 あたしは、何と言っていいか判らなかった。

 彬も、豊島さんと同じように、彼女が他の男と話してたら妬くのかな。

 彼女も彬があたしや他の女と話したら嫌がるみたいだし。

 だとしたら、あたしはやっぱりおかしいのかもしれない。

 涙が出そうになって両手で顔を覆った。


 あたしは彬に、自分の思っていること考えていることを話してしまった。

 彬に弱いところを見られるなんて本意ではないと思いながらも、止まらなかった。

 

 彬はいつもみたいに茶化したりせず、あたしの肩を抱いて聞いてくれた。

 彬の腕の重み、肩にかけられた手の感触が、何故かとても嬉しかった。

 

 彬に抱きしめられたとき、あたしは自分も彬の背に腕を回したい衝動に駆られた。

 豊島さんには感じたことのない衝動的な自分の思いに、あたしは戸惑った。

 彬はあたしを抱きしめたまま、優しく言った。

 

 「おかしくないよ。変でもない。俺も未衣と同じ考えだよ。

 だけど、豊島さんの気持ちも解らないわけじゃない。

 彼女は自分のものだけであってほしいと思うのも、解る気はする。

 だから、時間をかけて。ゆっくりでいいから、判ってもらうしかないと思うよ。

 俺自身もそう思ってる。

 未衣は俺にとって大切な友達だってことを、美乃利ちゃんに少しずつでも理解して欲しいと」


 大切な友達…初めて聞いた。

 そんなふうに思ってたんだ。

 嬉しい。


 涙を指で拭ってくれた彬の手が、離れていくのをあたしは引き留めたいと思った。

 そんなことできるわけないし、していいはずがない。

 「頑張ろう?俺と未衣と美乃利ちゃんと豊島さんの4人で遊んだりできるようになるのが俺の夢なんだよ、最初から」

 彬が言っている。何それ。

 「変なの」と言って、目を伏せて笑うことしかできなかった。


 彬がバイトがあると言って部室から出て行ったあと、あたしはしばらく放心していた。

 あたし…彬が彼女に遠慮して部活に来ないこと、公演も決めかねていること、彼女に嫉妬したんだ。

 彬を独占している彼女に、ヤキモチを妬いた。


 どうしよう…

 あたしは両手で顔を覆った。

 

 豊島さんを好きにならなきゃいけない。

 あんなにあたしを好きだと言ってくれる人の方を見なきゃいけない。

 

 彬には彼女がいる。

 あたしを友達だと、はっきり言った。


 彬は友達だ。

 親友だ。


 

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