終焉6
その中央。白いテーブルとチェア。アテナはそこに腰掛けていた。
「何も言わずに行こうとするなんて、水臭いねぇ。久しぶりにかえって来たと思ったらこれなんて、祖母ちゃんは悲しい」
泣き真似をするアテナに、貴方に会いたくないからだとは言えず、レイラは押し黙る。だが、アテナはすぐに顔を上げた。
「そう言えば、コーちゃんの姿が見えないねぇ。レイちゃん、どうしたんだい?」
「……お祖母様、わかっていることを聞かないでください。それより、ここは禁書室では?俺たちは書庫に用事があるので、元に戻して下さい」
若かりし頃はさぞ美しかったであろうアテナの容姿に、ナジェルは驚く。
「あれ?アテナ様だよな。狸じゃなかったのか?」
「アテナ様は狸だよ」
「まさか、動物のタヌキだと思ったのか?私たちが言っていたのは、性格のことだぞ。あのお方は、悪知恵が働くんだ」
そのことをセルフォードに問うと、ジルフォートが呆れて答えた。
「太陽の坊やにお嬢ちゃん、印を持つ坊や。タヌキがどうかしたのかい?」
アテナは耳敏かった。小声でボソボソ話していたのに、その声が届いたようだ。惚々と笑っている。
「いえ、何でもありません。そんなことよりも、僕たちは先を急ぐ旅をしております。書庫に戻していただけないでしょうか」
セルフォードも負けじと笑顔を魅せた。そんなセルフォードが、アテナの同類に思えて仕方ないジルフォートだった。
「泉のことだろ。この世界を築いたのは、私とマナだ。知らないことは何もない」
アテナの言葉にナジェルは瞳を輝かせる。だが、それとは反対に三人は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ならさ、話を聞いた方が早くないか?本を探す手間も省けるしさ。それに、俺、禁忌とか言われてもイマイチよくわからないんだよ」
その言葉これからの行動が決まってしまった。アテナの話は、要らないことが多いから嫌だという間もなく。アテナは人の悪い微笑みを浮かべた。
「それじゃあ、お茶でも飲みながら話をしようかね」
湯気を立てる紅茶。様々なフルーツを添えたスコーン。アテナの築いた世界は快晴。すてきな午後の紅茶時間。
「泉のことを話してくれるのでしょう。早くして下さい」
のんびりとお茶を楽しむアテナをレイラが急かす。
「そう、焦りなさんなって。彼の地、誠に必要とする者のみ、入ること叶う。知っているだろう」
そんなことは知っていた。だが、一秒でも早く、この国を出たい。そんな思いを込め、アテナを睨み付けた。やはり、レイラよりもこのお方が最強であったか。否、最凶か。
「太陽の坊や。この世の禁忌は?」
「亡き者の魂です。人が死ねば、魂は扉の向こうへ運ばれます。そこで、全ての物を置き、また、この世界に戻ってきます。禁忌とは、その過程を辿る途中の魂です」
「よくできました。印を持つ坊や。禁忌がよくわからないんだってね」
「はい。太子の言ったことは魂の浄化でしょう。それが禁忌なんて訳わかりません」
頷くナジェルにアテナは考えた。簡単に、だが、わかり易く伝えるにはどうしたらよいだろうか。
「そうだねぇ。扉の向こうは、黄泉と考えたらどうかい。よけいなことは考えずに、禁忌とはただ死者の魂と考えたら」
その言葉にナジェルは背筋を震わせた。説明しろと言われてもできないが、それはとても怖いことだと思う。黄泉とは死者住まう世界。生ける者の住む世界とは次元が違う。
「中でも、黄泉に長くいる魂は悪人が多いんだ。ああ、必要悪とは違うよ。黄泉を治める神々が判断しているんだ。考えてみなさい。例えばだよ、坊やが誤って誰かを傷付けたらどうするかい?」
ナジェルは考える。剣技の授業中、相手をしていた級友を怪我させてしまった……。もちろん、お互いが怪我をさせる覚悟も、怪我をする覚悟もあった。
「……謝ります。わざとじゃなくても、怪我をさせたんだから、謝らないといけません。これがわざとだと謝るのは難しいかもしれませんが、やっぱり自分のしたことを悩みます。どちらにしても、それは罪になります」
アテナは満足げに頷く。素直な子はかわいい。孫もこれくらい素直ならよかった。アテナはどこから持ってきたのかわからない、本を読むレイラを見て思う。
「そうだね。悪いことをしたら謝る。だが、黄泉に長くいる悪人はそれができない。そもそも悪人たちは、自分が悪いことをしたと思っていないんだ。そんな人がこの世界でも、下の世界でも沢山いることは災厄だろ」
ナジェルは大げさに頷いた。そして言う。
「はい。そんな人が世の中に溢れてしまったら、みんなビクビクしながら生きなくちゃいけません。そんなことは絶対にダメです。そんなことになったら、俺の居場所がなくなる……」
「そうならないために坊やは泉へ行くんだろ」
アテナはナジェルに微笑みかけた。心からの微笑みに、セルフォードは内心驚く。人を小馬鹿にした様な微笑みしか見たことがなかった。
「さてと」
アテナはパチンと指を鳴らす。レイラの手から本が消えた。レイラの恨めしそうな視線を物ともせずに、アテナは言葉を続ける。
「太陽の坊やと、お嬢ちゃんはマナを知っているんだろ」
「アテナ様。坊やと呼ぶのは止めていただけませんか。確かに、貴方にとって僕たちは赤子同然ですけど、父上と母上が付け下さった立派な名前があるんです」
セルフォードは言った。太陽神や巫女には大人しかったセルフォードだが、読書家で知識が豊富なため、弁は立つ。だが、虎を威嚇する子猫のようで、見ていて何ともハラハラする。ジルフォートは気が気で仕方なかった。第一、自分たちは名乗っていないのだ。このお方のことだから、そんな必要はないだろうが。
「それもそうだね、セルフォードちゃん。長いから、セーちゃんと呼びましょうか。それでマナを知っているのかい?」
「もちろんです。マナは月が生まれ変わる日に、ソレイユを訪れますから」
セルフォードの答えに、アテナはジルフォートに目を向けた。ジルフォートは慌てて頷く。
「では、知らないのは、ナジェちゃんだけだね」
アテナは言葉を切った。何か考えるように、紅茶を口へ運ぶ。偽りの世界に甘い香りが漂った。




