再会1、夢の中で
ミラと離れてから2日が経った。
空を移動し、夜は徹夜の為に水辺に降りてひたすら起きる事に集中した。正直、既に4日も寝ていないので体はフラフラだ。アエには心配されるが、あの女神様に会うのはそれこそ命の危険が伴う。
「だが、そろそろ本当に危ういぞ?」
「ああ……」
腹を括るべきか。目を擦りながら下に見える地形を見下ろしながらそう思うが、最後に女神様と会った時を思い出すとやっぱり……?
(あれぇ、最後に会った時ってどうだったけ……? あ、頭が……記憶を探るのもだる過ぎる……)
「仕方あるまい。今日はあそこに降りるぞ」
「え? いや、でも……」
「安心せよ。あの森は竜が渡りに止まる森じゃ。メスどころか他の生き物は近寄らん」
いや、俺の心配はそこじゃなくて……!
「女神がどれ程の存在かは我には分からん。だが、ツムグの体が限界なのは良く理解しておる。一日10時間以上飛んでおる我より死にかけているのだ。それに――」
言葉を止め、アエはゆっくりと降下を始めた。
「――我の惚れたオスがその体たらくなのは我慢ならん」
「うぐ……」
妙な植物の前で止まり爪で掴んで俺の顔に近付けた。状態異常ならば運のステータスのおかげで防げただろうが植物の花粉に毒はなく、ただ眠りを誘う良い香りがするだけ。しかし、睡眠を欲している体はそれだけのきっかけで簡単に屈してしまった。
「今は眠れ、ツムグ」
***
「…………」
何も見えない。
だけど、以前の様に何かに意識を引っ張られ連れていかれる様な感覚はある。四季の女神様の空間にもうすぐ到着するのだろう。
(意識だけでも……数日の眠気が溜まって……動きたくも無い)
「……」
目を閉じて倒れたまま起きる気力もない。そんな俺だが聴覚だけは誰か……恐らく女神様の接近に気付いた。衣擦れが聞こえるので、着物を着ている彼女で間違いないだろう。
「……ツムグ、さん……」
呟くような声が上から聞こえてくる。だけど、言葉を発する気にはなれない。
「……待ってました。ずっと待ってました。もっと長く一緒に入れられる貴方を、1日に1回は必ず会えると信じていた貴方を……この4日間、私が独りで過ごしてきた2000年以上に長く感じました」
悲しげに語るが、意識だけの状態なのに鉛の様に重い体を動かす事はできず、唯々聞こえる言葉に耳を傾けるばかり。
「貴方の到来が待ち遠しくて、日々貴方に近寄って来る女性達が忌々しくて、休息も取れずにフラフラになりながらそれでも私との再会を拒まれるのが悲しくて……
そして、そこまで私が追い詰めてしまっていたと考えると……とても心苦しいです」
(……)
「ツムグさんを待っている間、色々この空間も飾ってみましたがそれももう必要ないですね」
……あれだけ俺に執着し、縛り付けていた四季の女神様を許してしまおうと考えてしまうのは俺が流され易い人間だからだろうか。
無理矢理鎖で縛られ、長く会う為にキスをした彼女の声が酷く悲しく聞こえてくるのが、ズルい。少し力が入ってきた俺は口を動かして彼女に呼び掛ける。
「女神、さ……」
「暫く、さよならです」
驚きの一言に目を見開き、思わず彼女の顔を見上げた。
俺の動きに気付き少しだけ目と口を開けたが、四季の女神様は微笑み直すと俺の顔の前に手の平をかざした。
指の隙間から彼女の髪や着物と同じ色の桜の花びらが舞い散っているのが見えた。
「せめてツムグさんのお疲れ、癒して差し上げます」
「女神、様……!」
「まだ少々早いですが――」
――こういう年もありますよね?
最後にそう言った女神様の体は、花びらと共に消えていった。
「……!」
体に力が戻っていた。拳を握って腕に力を込めて立ち上がった。
「消えた……本当にいなくなったのか?」
返事はない。辺りの空間は最初に来た時同様広々としており、四季の女神様の痕跡となる物は残ってはいなかった。
「女神様……! 何でこんな事を……!」
俺のせいで、友達とまで呼んでいた友達が消えた。その事実を確認して涙が出て来た。
「泣かないの!」
「む、無理だって……! 俺が、俺が拒んだから――」
「あ、じゃあ今度こそ彼女にしてくれる?」
「…………女神様?」
自然に会話を交わしてしまったが、聞こえてきた女神様の声に慌てて俺は振り返った。
「女神……様?」
「うん! 四季の女神だよ」
「……いや、嘘だろ。別人だろ」
思わず涙を擦りながらツッコんでしまった。
何せ女神様と同じ声色でありながら何処か弾みがある声の持ち主は、白いワンピースに褐色肌で赤い髪の少女だったのだから。
「別人じゃないよ、四季の女神様ご本神だよ! ツムグさん、信じてくれないの?」
「声だけじゃなくて?」
「うん!」
よくよく考えればこの女神の間に来れる人物は限られている。俺は擬態魔法を解除した。
「あ、私の好きな瞳になってくれたね! 勿論、どんな瞳のツムグさんでも大好きだよ!」
「サキュバスじゃない……! え、本当に四季の女神様?」
「あはは……此処まで疑われると悲しくなっちゃうなぁ」
彼女は人差し指を軽く振るって現れたステータス画面を俺に見せた。相変わらずデタラメな数字が書かれているが、徐々に上昇していく数字を見て漸く俺は確信した。
「本当に四季の女神様!?」
「だからそう言ってるって!」
頬を膨らませ怒り顔の少女。どう見ても数日前に見た桜色の髪を腰まで伸ばして物腰が柔らかそうな笑みを浮かべていた女神様とは大違いだ。
赤い髪は特に装飾品はなく、うなじの見える短さのショートで揃っている。膝まで隠れる着丈のワンピースは白く、暗い色の肌との違いがはっきりとしている。活発そうな子なので色だけでなく性格と洋服の持つ印象の差も激しい。
「似合わない……なんて思ってないよね?」
「まあ、可愛いけど……」
なんだろう。女神様は成長以外では一度も服装は変えていなかったからアレは普段着なんだろうが、普段着にしては違和感がある様な……
「歯切れが悪いのが気になるけど、そろそろ私の事、説明してあげるね?」
それは確かに聞きたかった情報なので俺は黙って頷いた。
「春の季節に幼い時の私と成長した私を見たでしょう? 四季の女神はその名の通り四季を司る神だから、その姿もこの世界フォーアルの時期に合わせて変化するの。
司る……と言っても、私が存在する事で気候が安定したり、私の心で不安定になったりするから全部好き勝手操れる訳じゃないけどね?」
「……そうなると、あの春の姿からその姿に……」
「うん。気持ちが落ち込み過ぎたから、ちょっと急いで夏の私に変わったの。同じ季節の間で日が経つと成長、別の季節に変わると姿と性格が変化する。変化しても記憶は同じだから――」
突然俺に近付くとその小さな唇で頬にキスをした。
「――ツムグさんの事、大好きなままだよ?」
「っ!?」
その姿が数日前の女神様と被った。なるほど、本当に彼女のままなのか。自分から吹き出した冷や汗の感じで直感できた。
「人間のツムグさんにとっては複雑かもしれないけど、四季の女神はこういう女神だから安心して、ね? 私はツムグさんの事、恨んだりしてないよ?」
「そっか……」
そこまで聞いてなんだか安心した。姿も言動も異なるが、女神様自身から許してもらえてホッとした。
「……だから、これまで通り一緒に過ごしてくれる?」
とはいえ、姿が違うので少女に頼まれる形になったので如何せん断り辛い。
「……友達として、だよな?」
「うん、ずっと友達、だよね?」
その言葉に笑顔の彼女の瞳から光が消えた気がした。擬態魔法で濁らせた俺の目とは違って、光の無い穴の様なその瞳にヤンデレのままである事が容易に伺えた。
「ツムグさんはずっと友達。外の世界で女が沢山現れても、恋人が出来ても、ずっと私と友達でいてくれるよね?」
「も、勿論……」
「ドラゴンに運ばれても、人魚に惑わされても、エルフに迫られても……ずっと私の友達だよ?」
俺は黙ってコクコクと頷いた。それしか出来なかった。
「…………本当に?」
なのに、彼女は急に泣き出した。
「えっ?」
「本当に……友達、だけなの?」
流れる涙を拭う姿に戸惑い、オロオロとしてしまう。
「嫌だ……! ツムグさんの一番は私が良いのに……!」
泣きながらこちらに近付いてくる彼女。戸惑って立ち尽くしていた俺の背中に手を回して抱き着くと、こちらを見上げた。
「ごめん、なさい……! なんだか泣き止まないの……!」
罪悪感が沸いてきたが、気軽に了解は出来ない。どうしたものかと悩む俺に、彼女は微笑んだ。
「……ツムグさん、やっぱり流されてくれないんだね。もう梅雨の分はいいかな」
「はい? 梅雨の分?」
突然泣き止んだ彼女の言葉をオウム返ししてしまった。
「うん。今のは急に夏になって残ってた梅雨の分の涙だよ。時期に合わせて勝手に体が機能しちゃうのが不便だね」
「おい、俺の戸惑いを返せ!」
「えへへ……ひどい人だね、ツムグさん。女の子の涙を見ても願いを叶えてくれないんだね?」
改めて彼女が本当に四季の女神様か分からなくなった。それ程までに喜怒哀楽の感情が豊かだ。
(自由奔放と言うか、天邪鬼なのか……これは別の意味で振り回されるな)
「ねぇ! 今のままじゃ寂しいから家具を置きたいんだけど、何が良いかな?」
「その前に……何時まで抱き着くつもりか聞いてもいいか?」
「ふふ、ずっとだよ」
「ずっとですかぁ、ははは」
俺は目を閉じて笑うしかなかった。乾いた笑みが零れてしまったが女神様はお構いなしに何も無かった空間のあちこちにひまわりを咲き乱れさせた。
「まずは、机と椅子!」
指を鳴らし、ひまわりが爆発し花びらが辺りに拡散する。その跡には傷一つ無い木製の机と椅子が現れた。
「そしてベッド……お布団の方が好き?」
「別々ならなんでもいい」
「じゃあ大きなベッド!」
キングサイズのひまわり柄のベッドが出現した。俺のリクエストは聞いて貰えないらしい。
「じゃあ、アレとコレとソレと――」
破裂音があちこちから鳴り響き、何もなかった空間には生活感に溢れた様々な家具、遂には花壇まで生えてきた。
「全部ひまわりだけどな」
「えへへ、四季の女神夏バージョンだからね?」
流石に俺が椅子に座ると彼女も俺を放して真横の椅子に座った。
「でも、こんなに色々作る必要はあったのか?」
「? 勿論だよ?」
女神様はおかしな事を聞かれたかの様に真顔で首を傾けた。
「でも、俺はそんなに長い時間此処に居られない――」
「――あはは、その冗談は本気で許さないかな?」
突然、外見も座り心地も加工された木材だった筈の椅子が突然花と化した。
桃色の花と赤色の蕾、竹に似た葉。うろ覚えだが同じ植物を日本でも見た事がある気がする。
花は俺の腕と足に巻き付き、恐らく俺のステータスなんか関係なく身動きを封じてしまえるのだろう。
「ツムグさん、忘れちゃったの? 私達が最後に会った時に何があったか?」
「っ、あああ! そ、そう言えばキス、してましたね! しました!」
俺の言葉を聞いてか花はするりと俺の手足を開放し、椅子は元の形に戻った。
「そうだよ? 春の私とのキスで、貴方が此処に居られる時間を延ばしたんだから、これからは必要な物があったらどんどん言ってね?」
「は、はい……」
喜怒哀楽が豊かなんて言葉に済まされない怒りを感じつつ、俺は今までよりも長い時間を女神様と共に過ごした。
今までの冒険でのトラブルは全部筒抜けだったし、何か言うと直ぐに心配され物騒なアイテムを渡されそうになったがこの数日間の徹夜に意味があった事を喜ぼう。
「……添い寝してくれる?」
「うっぐ! ……は、ハイ」
終始、花に変わる椅子に脅され続けてたが。
***
「うむ! 顔色も戻ってきたようじゃな! ツムグが元気になった様で我は嬉しいぞ!」
「悪いな、心配をかけた」
(むしろもっと心配してくれ……)
夢の中は相変わらず危険だったが、俺のステータスも再び伸びた。
「ツムグ……お主もっと強くなったのか?」
「ああ」
「むぅ……他のメスが関わっているとはなんとも歯がゆいが、我のオスが強くなるのは善き事じゃ! さあ、そろそろ着くぞ! お主の目的地であるセンテ帝国にな!」
「まあ、城下町じゃないが此処まで来ればもう陸地を行っても問題ないか……ん?」
「……」
急にアエが止まりこちらに視線を向けて来たのを見て、少しの沈黙の間に女難が続く俺の頭はその理由を導き出した。
「あ、アエ? 別にアエが嫌だとかじゃなくて、ドラゴンは流石に目立つから……」
「いーやーじゃー! 我はツムグと結婚するのじゃ! 別れたくなーいー!」
最初に出会った時の様に駄々っ子モードに入ってしまったアエは空中で翼をバタバタさせ暴れ、地面へと落ちた。
「ええい! 暴れるなって!」
「嫌じゃー!」
「別に別れないから!」
「嫌じゃ嫌じゃぁ……え、別れない?」
こういう時は擬態魔法を無効化出来ないのは有り難い。都合の良い設定に感謝しつつ、俺は彼女に手を翳した。
「ドラゴン・リフォーム!」
俺の魔力でアエを擬態させる。しかし、此処でお約束通り人型にしてしまうと後で面倒な問題が発生しそうなので……
「白馬でどうだ?」
「お、おお! 良く分からないが、姿が変わってなんだがポワポワする!」
どうも体全体を別の形にすると綿だらけの着ぐるみに入った見たいに、直接体を動かす感覚が鈍くなるらしい。ポワポワと言う擬音は多分体が動いているか分からず浮いてる様に感じるせいだろう。
「どうだ、走れそうか?」
「うむ、少々狂うが……行けるぞ!」
「よし、じゃあこれからは白馬として町に入る。あんまり喋らないでくれよ?」
「任せよ。こう見えてもドラゴン同士では人間の様に会話はせん。普段通りにすれば良いのだろう?」
白馬となったアエは地面を駆け抜ける。飛んでいる時と比べれば遅いが漸くセンテ帝国の町へ到着した。聞いた話ではこの町にはダンジョンが存在するらしく、冒険者が多くいるらしい。
「“エコント”か。やっと、かぁ……」
女神や魅力関係の騒動ですっかり忘れていたが、帝国にいる皆は元気だろうか。それとも、あの姉妹の策略に――いや、変な方向に考えるのはやめよう。
「先ずは、ちゃんとしたベッドで寝たいな……はぁぁ」
「了解した! 我の最高速度で行くぞ!」
「慣れない体で無茶はしないでくれよ……おい、前に魔物!」
「む!? と、止まれんっ!」
「言わんこっちゃない!」
到着に少々てこずったのは言うまでもないだろう。




