9話 騎士の誓い
フリードは、突然の言葉に立ち尽くすフィアナに歩み寄る。
「フィアナ・シルヴィア。主の命に従え」
「ある、じ……?」
初めて聞いた異国語のような妙な発音で繰り返し、ようやくその意味を理解する。
(まさか……!)
目を見開くフィアナを尻目に、フリードはよく通る声で宣言した。
「────これより、フィアナ・シルヴィアの叙任式を執り行う」
水を打ったような静けさの後、一気にどよめきが広がる。
「馬鹿な」と叫ぶ者があった。ハールマン侯爵である。
「騎士たちは認めておりません! それに、叙任は半年後だと国王陛下も……!」
「これは“第三騎士団への入隊の儀”だ」
各騎士団長の叙任は、必ず謁見の間で行われ、第一・第二騎士団長が立ち会う必要がある。
だが、第三騎士団への入隊のみならば。
フリードはディルクたちへ視線を向けた。
「幸い現副第三騎士団長が立ち会っていて、これだけの数の立会い騎士もいる。そして」
動揺に小刻みに震える侯爵の、堂々と縫いとられたハールマン侯爵家の家紋を手で示す。
「『王国でも名高いハールマン侯爵家』の貴殿がいる。王宮内で一定以上の立場の者であると、誰もが認めるだろう。この入隊の儀は成立する」
「ぐっ……!」
つまりフィアナの身分は『平民』から第三騎士団の騎士爵、『子爵位相当』へと変わる。候爵が裁くことができるのは飽くまで平民のみだ。もうフィアナに手出しはできない。
自らの発言を逆手に取られ、悔しげに唇を噛むハールマン侯爵。
その姿を見ながらも、フィアナは未だ戸惑っていた。
(フリードリヒ殿下が、叙任をしてしまっては……)
普通、叙任式を執り行ったものがその騎士の忠義の対象なのである。この場合は勿論フリードだ。
今回の人事は王の独断のはずだが、これではフリードがフィアナを認めたということになってしまう。
理由はわからないが、フリードは決して、フィアナにいい感情を持っていないだろうに。
動きを止めているフィアナを、毅然とした一対の青が射抜いた。
「フィアナ・シルヴィア」
冷たく澄んだ声で名を呼ばれる。
それに引きずられるように、フィアナは一歩踏み出した。
「誓いの詞は分かるな?」
「……はい」
誓いの詞は、一回生のときから騎士学校で必ず習う。それは主に、絶対の忠誠と己の命を捧げることを約束するもの。
叙任の形式こそ廃れているが、その効力は重い。
誓いに背けば、待つのは死だ。
そして主も、騎士の全てを共に背負うと誓う。
都合が悪くなったので切り捨てるということは出来ない。
騎士の忠誠も、騎士の力も、騎士の咎も、主は負う。
地位の高い者ほど騎士の叙任には慎重にならなければならない。騎士が罪を犯せば共に裁かれることになるのだから。
フリードの場合、敵対勢力に王位継承権の放棄を求められる材料になりうる。
よって、フィアナのような素性の知れない者など論外である。
何もしないのがフリードにとって最善であることに間違いはないのだ。例えフィアナの命がかかっていようとも。
(それなのに)
守るというのか。
「……跪け、フィアナ・シルヴィア」
フィアナは片膝をつき、自らの剣を抜いてフリードに差し出す。そして、深く頭を垂れた。
「────御意」
フリードは刃の腹を向けてフィアナの肩に置く。
張り詰めた空気の中、静かに息を吸う音がした。
「……“汝、我が敵を討つ剣であれ。汝、我が身を護る盾であれ。汝、我に忠誠とその命を捧げよ”」
凛とした声が空気を震わせる。
フィアナは閉じていた瞳を開け、フリードの詞に応えた。
「“我が身は主君が敵を討つ剣。我が身は主君が身を護る盾。我、主に忠誠と己が命を捧ぐことを誓う”」
その詞を聞き、剣が肩から離れる。
目前に縦に構えられたその刃に、フィアナは誓いの口付けをする。
「“この時より、汝を我が騎士と認めん”」
その言葉と共にフィアナは立ち上がり、フリードから剣を受け取る。
刃を鞘に戻す甲高い音。叙任の儀の終了の音だった。
「もう後戻りはできない。騎士として、私に忠誠を誓え」
「……御意。殿下」
フィアナは膝を折って応える。
頭を垂れる振りをしながら、その視線から逃げていた。
「…………」
────この人は、フィアナの命を護るために騎士の誓いなど立てさせてくれたのに。
危険を冒してまで、フィアナを救ってくれたのに。
(それでも、私は……)
強く握りしめたの拳が、真っ白になって震える。
フリードの詞と己の詞が頭の奥で反響して、手のひらに食い込んだ爪よりもひどく痛んだ。
フィアナの剣は、復讐の為にある。
あの男の胸に突き立てる為だけに、剣を研いできた。
(主君が為に、捧ぐなどと……)
自分にはできない。
神聖なる騎士の叙任の場。
己を救ってくれた王子の前で、フィアナは偽りを吐いた。
◇◆◇◆
フィアナが第三騎士団へ入隊したことは、その日のうちに王宮中に知れ渡ることとなった。
諸侯の耳に入ることも時間の問題であろう。
「アイツもやるなあ。いくら王家の力が強まってきたとはいえ、貴族の世に戻したいジジイどもを黙らせとくのは俺でも厳しいぞ」
くつくつと笑うのは、フェロニアの国王だった。
訪れていた宰相が呆れたような視線を寄越すが、気にせず笑い続ける。
「よろしかったのですか? 第一王子が執り行った叙任式とはいえ、本来はもっときちんとした手順を踏んで……」
「よろしいもなにも、こうなっちまったら仕方ないだろ。まあ、御前試合でハルナイトの倅を倒してるし、実力は折り紙つきだ」
「それは第一騎士団ならの話でしょう。第三騎士団はそうはいきませんよ。剣に秀でているだけでは認めてもらえはしない」
目を三角にした宰相は、聞く耳を持たない王に諦めのため息をつき、遠くを見るような目をする。
「あと半年……無いにも等しいような期間ですね」
「そんなことはない。あの男の弟子だぞ? 根性でなんとかするだろ」
無責任が過ぎる言葉を真顔で言う王に、宰相は今度は盛大なため息をついた。
どうしてそう言い切れるのか。
不可解なことは、他にもあった。
「どうしてまた急に半年後に叙任などと? 私にすら理由を話してくださいませんし。私がさっき入ったときも、何か書類を隠したでしょう」
恨みがましい目で王を見る。諸侯への対応に追われていたのは、主にフリードとこの男である。
第三騎士団長の任命という貴族にはあまり被害が及ばない事柄だったのでまだいいものの、まだ強い地方分権の時代から年月がたっていないため、こういった奇抜な行動には必ず諸侯からの反発が来るのだ。
「んー? まあ、色々あるんだよ」
全く答えになっていない答えを返しながら、王はゆったりと背もたれに体重を預ける。
(それにしてもフリードがなあ……若い娘に死なれるのは寝覚めが悪いだろうが、その場で叙任式とは)
「……流石、俺の息子だな」
「はあ?」
満足気に頷く王に、宰相は首をかしげる。
しかし言及する暇もなく、副第三騎士団長と同じく苦労性の彼は仕事に追われ、終始納得できないまま王の執務室を後にした。
これはフィアナが王宮に招喚されて四日目のこと。
王立騎士団としての日々が始まりを告げた日だった。