7話 それは静かで酷く冷たく(1)
じろじろと無遠慮な目は、汚らわしいものを見るように顰められている。
棘のある視線を受けながらもフィアナの表情に変化はない。
(まあ、こんなものか)
その程度の感想である。
むしろ今までが異常だったのだ。この程度はとうに予想していた。
「名は?」
突然、ハールマン侯爵はぞんざいに尋ねた。
「フィアナ・シルヴィアと申します」
「……ふん」
侯爵は興味のなさそうに鼻を鳴らす。
自分で聞いておいてこの男と思わなくもないが、なんせむこうは侯爵だ。この場にいる誰よりも身分は高いので文句は言えない。
因みに、フェロニア王国では、騎士になった時点で貴族身分となる。
“騎士権”や“騎士爵”などと呼ばれており、位の高さは男爵家の少し下程度、貴族の中では末席だ。
しかし第三騎士団だけは子爵位相当、副団長からは伯爵位相当、団長は侯爵位相当である。
つまりフィアナが本当に第三騎士団長になれば、この男とも同等の身分になるわけだ。
(『女が第三騎士団長なんて伝統が』というよりも、この人は単純にそこが気に食わないのだろうな)
フィアナは冷めた目で侯爵を見る。
豪奢な衣装はよく見ると異国風だ。貿易品なのだろう。
造りが豪華なせいか、それとも組み合わせのセンスが悪いのか、全体的にガチャガチャして煩い格好だ。
そういうところも含め、この侯爵様は小物感が否めない。
「君は自分の分を分かっているのか?王子殿下に万一がある前に大人しく騎士学校へ帰ってフェロニア史でも勉強していたらどうだね」
フィアナとしても是非そうしたいところである。できればここではなく王の前で言っていただきたい。
「侯爵、それは……」
「スリヴァルディ副団長。君は黙っていたまえ」
「いえ、あの」
ディルクはやたらと焦っている。
何をそんなに、と考え、フィアナはあることに気がついた。
「君こそ、納得がいくのか?こんな小娘が次期第三騎士団長だなどと」
「……それ、ここで話してしまっていいのですか」
フィアナの言葉に、時が止まった。
ああ……というディルクの悲痛な呻きが遅れて漏れる。
「この嬢ちゃんが第三騎士団長!?」
「それは本当ですか!?」
「副団長!! 説明してください!!」
侯爵の唐突な暴露に、遠巻きに見守っていた騎士たちが押し寄せ、三人の周りを囲む。
あっという間に場は大混乱に陥った。
「落ち着けみんな! っ侯爵……!! この件はまだ一般騎士には伝えないと王からのお達しが出ていたはずです!!」
混乱する騎士に囲まれるディルクの叫びに、侯爵は悠々と答える。
「ああ、済まない。私としたことが口を滑らせた。だが、『あと半年で叙任』なのだろう? なのにまだ伏せているというのはいかがなものか。彼らが哀れだろう」
飽くまで開き直るつもりのようだ。
さらりと追加情報を漏らしつつ、さらに煽るように騎士たちに呼びかける。
「君たちはどうだ? 納得できるのか? この得体の知れない娘に騎士団の頂点の一角を任せることができるか?」
皆は顔を見合わせた。
戸惑ってはいるが、心の中の答えは一つだろう。
「……無理だ」
気まずげにひとりが言った。先程肩を組んできた男だ。
「それは無理だろ。嬢ちゃんは強えけど、俺は嬢ちゃんの下にはつけねえ」
何人かが賛同するように頷く。
「歳若いのは副団長もだが、それを補えるほどの実績がある。なのに、その副団長を差し置いて嬢ちゃんがってのは納得できねえ」
静かな口調だった。
この男の年齢を考えると、ダジボルグ帝国との戦にも参加しただろう。終わりの見えない戦いを生き抜いたこの男に、突然現れたフィアナに従えと言うのは無理があった。
「全く彼の言う通りだよ。どうしてこんな小娘がでしゃばってくるのか」
「侯爵ッ! 彼女は……」
ディルクは反論しかけ、その先を飲み込む。
『第三騎士団長の座を押しつけられただけで、彼女に非はありません』
そう言ってしまえば、王が間違っていると主張するようなもので、彼らが付け入る隙を与える。
王立騎士が王の立場を悪くするわけにはいかないのだ。
ディルクは臍をかんだ。フィアナもまた、言い返す言葉もなく黙って受け入れる。
それに気を良くした侯爵は、調子に乗って挑発した。
「追い出される前に自ら出ていくべきだと思うがね。適材適所という言葉があるんだ。君のご両親は教えてくれなかったかな?」
フィアナの目の前まで来た侯爵は、馬鹿にしたように鼻で笑う。
「……申し訳ありません。私が五つの時に他界しましたので」
「おお、それは済まなかった。────ああ、もしかして君は」
にたり、と。
何かに思い至った口が、醜く歪んだ。
「〈祟りの森〉の、大量虐殺の生き残りか」
「………………」
目を伏せたのは一瞬で、フィアナは何も言わずただ唇を引き結ぶ。
肯定も否定もしたくない記憶だった。僅かに心が波立つのを感じながら、フィアナは浅く、長く息を吐く。
動揺を悟られたら終わりだと、平常時も少ない表情を意図的に消した。
「あれは残念だったね。ダジボルグ帝国も、あんな小さな集落に身を寄せる異人ごときを殺し回って、何がしたかったのか。人員と武器の無駄としか思えんがね」
ぴくり、とフィアナの睫毛が震える。
「異人たちも異人たちか。勝手に我が国に入り込んで生きながらえているのだから、勝手に死ねば良かったというのに。集落などを作って火事になるから王立騎士団が動くはめになった」
さざ波が大きくなる。押し寄せる感情を押し込めようと、唇を強く噛んだ。
「どうせ国を捨てなければならないような卑しい身の上の者たちなど、国も助けなくて良いものを。ああ、いっそ……皆殺しであればどんなに良かったか」
唇が切れた。血の味がゆっくりと口に満ちていった。
それによく似た感覚で、少しずつ、胸の内が侵されていく。
「子を守って死んだ夫婦の美談などもあったな。くだらない。屑の子など守らず、ダジボルグ帝国に共に始末してもらうのが最低限の務めだと……」
ガキッ、と音がして、侯爵の動きが止まる。
その目は見開かれ、侯爵に向かって伸ばされた手を下ろすフィアナを映していた。
侯爵のごてごてとした肩の装飾品に、フィアナが投擲した太い針のようなものが刺さっている。
「な、な、なにっ、を……」
少し軌道が横にずれれば首に直撃し、致命傷だ
何が起こったか理解した侯爵は、遅れてやってきた恐怖に歯の根を鳴らしながら声を絞り出す。
「申し訳ありません。国を捨てなければならないような卑しい身の上の者の屑の子ですので、胡乱にも手を滑らせました」
フィアナは相変わらず淡々とした口調だが、それはどこか好戦的だった。侯爵を見上げながら、見下げるように視線を投げる。
侯爵は一瞬で顔を怒りに赤く染め、針を引き抜くと地面に叩きつけた。
「貴っ様!! 平民の分際で!! 私にこんな無礼を働いて許されると思うなよ!!」
「『私に』とは?」
「私はフェロニアの南の繁栄の基盤を築いた、ハールマン侯爵家の当主だ! 本来お前のような者が会話をしていることすら身に余る!!」
激昴する侯爵に、フィアナは唇を吊り上げた。
「ならば、『侯爵に』の間違いではありませんか?」
「何だと……?」
「貴方自身は貿易の交渉で失敗を繰り返して、多くの財を失い事業を収縮させています」
「なっ」
「今王宮にいらっしゃるのも、そのことで国に泣きついてきたからでしょう」
騎士学校で流れていた噂話と、最後はフィアナの想像だが、反応を見るに概ね合っていたようだ。
それは侯爵の自尊心をへし折るには十分で、侯爵は額に青筋を浮かべ、絶叫する。
「黙れ!! 汚らわしい異人の血をひいた、薄気味悪い色の化け物女が!!」
「────何をしている?」
突然、ぞっとするほど美しい声音が響いた。
続いて、硬質な足音がゆっくりと近づいてくる。
声の主はその美貌を幾らか不快げに顰め、深い青の双眸を以て傲慢な侯爵の動きを縛り付けた。
高まっていた場の熱を一瞬にして支配したフリードは、再度問う。
「ハールマン侯爵。貴殿は此処で、何をしている」