6話 赤鼻の男
ずっと部屋に缶詰め状態のフィアナを、ディルクは不憫に思ったらしい。
顔合わせを済ませた次の日の朝早くに、再びドアがノックされた。
訪れたディルクの言葉に、フィアナは瞠目した。
「……王立騎士団の詰所?」
「はい。というか、本当はもっと早く行くはずだったんですけど、何故かフィアナさんを部屋から出すなという話になったんですよね」
ディルクはどうも腑に落ちない顔をしている。
「ですが、このままだと体が鈍るでしょう? 差し出がましいとは思ったのですが、第一騎士団長殿に陛下に掛け合ってもらったところ、あっさり許可が下りました」
良かったですねと爽やかに言われたが、その実かなり豪華な面子に動いてもらっている。
庶民のフィアナは分相応に恐縮した。
「そ、それは……お手数をおかけしました。助かります」
実際問題、体が鈍るというのはその通りだった。一日でも動かないと、体力と筋力は驚くほど下がる。
それなのにフィアナはここ最近、殆ど運動というものをしていない。
部屋の広さ的には出来なくもないが、王宮内で剣を振り回すのは不味かろうと自重していた。
それに、いつ物凄く偉い人が訪れるか分からないので汗をかくわけにもいかなかったのだ。
(四日も剣を振っていないなんて、何年ぶりだろうか)
なんだか体がむず痒い。
そわそわとレイピアの柄を撫ぜたフィアナに、目の前の青年はにこりと白い歯で笑う。
「話は通してありますから、軽く訓練にも参加できますよ」
「……!」
(おお……)
ディルクの後ろで、後光が眩しい。
◇◆◇◆
王立騎士団の詰所は、王宮の隅に位置する。
通路を進むごとに装飾品の類とメイドの数が減っていき、同じ王宮内でも場所によりそこそこの差があることが分かった。
フリードの執務室の中も、本人の趣味なのか割と質素な造りだったように思う。
歩を進めるごとに、威勢のいい声と熱気が押し寄せてくる。
騎士学校の訓練場を思い出し、そういえばそこに数日前まで通っていたのになと、フィアナは自身の境遇に改めて首をかしげた。
「今いるのは大体第一騎士団の方々ですね。割と血気盛んですが気のいい人たちですよ」
ディルクの後についていくと、彼に気づいた者たちが立ち止まり、口々に挨拶をした。
「おはようございます!」
「ああ、おはよう」
「…………」
フィアナのことが気になるが、聞いてもいいものか分かりかねているのだろう。直立の体勢のままちらちらとこちらを見ている。
「……あの」
やがてそのうちの一人が、おずおずと手を挙げた。
「そちらの方は?」
「もしかしてあの騎士学校の……」
第三騎士団長の話は知らないようだが、存在は認知されている。御前試合の警護か何かでフィアナを見かけたのかもしれない。
「はい。初めまして、フィアナ・シルヴィアと申します」
フィアナが淡々と名乗ると、やっぱりかと若い騎士たちは顔を見合わせる。
「お、なんだなんだ? 客か?」
基本的に男所帯なので、女の声はよく響く。
いつの間にかわらわらと人が集まってきていた。
「銀の髪……御前試合であの小僧をぶっ倒したやつか!」
「なに!? あれは気分が良かったな、酒でも奢るか!」
古株の騎士たちはだいぶ砕けている。旧友のように肩を掴まれフィアナは微妙な顔をしたが、振り払うのが無粋だということも理解していた。
「なんだ? お前、あの試合を見て騎士団に引き抜きされたのか?」
「それは……」
どこまで話していいものか、フィアナはディルクに視線を送った。
すぐに気がついたディルクが代わりに対応する。
「彼女の待遇についてはまだ検討中です。ただ、入団は確かなので、みなさんよろしくお願いします」
「……お願いします」
おおっと歓声が上がった。
古株の騎士の一人がはしゃぐように言う。
「女の騎士なんて何年ぶりだ!? これでこのむさっ苦しいとこも華やかになるな!」
一番むさいのはお前だと罵倒を浴びながら、男は太い腕でフィアナの肩を揺さぶる。
「配属は? 第一騎士団か?」
これにもディルクが返答した。
「いえ、恐らく我らが第三騎士団に」
「「ええーっ」」
皆が不満そうに声を上げる。
「んだよ、お貴族隊かー。あ? てことは嬢ちゃん、実は子爵とか伯爵家の出なのか?」
第三騎士団にはいるのは大体がその辺りの身分の者だ。
それは……とディルクが言葉に詰まる。
「身分がどうだろうと、こんな男所帯に若い嬢ちゃん突っ込むのは無理だろ」
「そうそう。飢えた男どもの巣窟だからな」
「綺麗なもんは綺麗どころに引き取られるのよ」
どうやら勝手に解釈して納得してくれたようだ。フィアナは適当に流して乗り切ることにする。
「いやー、にしてもあの小僧の顔は傑作だったな!」
「ははっ、クソ生意気なガキだったからな、まあ負けはいい薬になっただろ」
フィアナが破った騎士団の青年は騎士学校で話すこともあった。“生意気”と称されそうな性格はよく知っている。
(まあ、先輩も悪い人じゃないんだけどな)
単純というか、分かりやすくて見ていて面白い人だった。
彼も飛び級で進級していたので、去年、十七歳で卒業していった。
なんだかかんだ彼と組まされることも多く、本人もよく絡んできたので、何気に騎士学校で一番近しい人だったかもしれない。
「そういえば……ボリス先輩も第三騎士団なんですよね?」
「ああ。彼は今任務で東に行ってるよ。戻ってくるのはまだ先かな」
「そうですか」
ボリス・ハルナイトというのが青年の名である。ちなみに伯爵家出身だ。
御前試合の後、ボリスの様子が少しおかしかった。
フィアナに負けたことがよほどショックだったのだろうか。
かなり打たれ弱い人なので、まだ暫く会わないようにしようと思っていたが、それなら心配はいらなさそうだ。
「さあ、皆さん訓練に戻ってください。フィアナさん、軽く騎士団について説明しますから、訓練を眺めながら聞いてください」
「はい」
ディルクの言葉に騎士たちがぞろぞろと引き上げていく。
フィアナたちは訓練の邪魔にならないよう壁際まで下がった。
「まず、訓練ですが、第一騎士団は基本、毎日ここで行っています。ですが第三騎士団は違いまして」
第一騎士団と第三騎士団では、まず任務の内容が違うので、訓練の内容も違う。
要人警護、特定の人を守りながら安全な場所へ導く訓練。
室内での戦闘の可能性が他より高いので、狭い場所で戦う訓練、主にナイフやその場にある物で戦う術だ。
そして語学。第三騎士団にはもともと語学が優秀な者が集まるが、第三騎士団の必修科目の中には騎士学校で習わないものがある。
指定された期間で合格を貰わないと、最悪除名されることもあるそうだ。
加えて、各国の貴族や軍の階級を頭に入れておかないと守る優先順位が分かり辛いのでこちらも覚えなくてはならない。
「……それも半年でですよね、多分」
「はい、フィアナさんは恐らく」
なんという鬼畜仕様か。
フィアナは諸事情により色々な言語の中で育ったので、他者より有利ではあるが。
(本当に時間がない……。今言われた事を全てこなしてようやく『第三騎士団』になれるなら、第三騎士団長は一体どこまで求められるんだ)
険しい顔をしたフィアナに、ディルクが追撃とも言える言葉をかける。
「でも、機能も言った通りやっぱり一番大切なのはフリードリヒ殿下との信頼関係じゃないですかね。実際、それが問題で何人も辞めてますし」
「え……? 第三騎士団長は今まで空席だったのでは?」
「それが、みんな叙任前の期間で辞めてしまっているので事実上空席なってるんです。全く誰も居なかったのはここ三年位です」
「それって……」
フィアナが言いかけたときだった。
「本当に、王宮に騎士の真似事をした女がいるとは」
嫌悪を剥き出しにした声が、突然降ってきた。
フィアナは眉を寄せる。
(誰だ?)
つかつかと歩み寄ってきたのは、中肉中背で特徴のない顔をした男。素面のようだが鼻だけが真っ赤で、なんだか間が抜けて見える。
見た目の割に衣装だけは豪奢で、服に着られている感があった。
怪訝な顔をしたフィアナの横で、ディルクが顔色を変えた。
「ハールマン侯爵……!?」
この男が、外交の件で王宮を訪れている、南の領地を治める侯爵だった。