42話 暗殺者たちの幕切れ
死の訪れまであと数秒というところで、人は何を考えることができるだろうか。恐怖と苦痛に苛まれながら何ができるというのか。
そういう意味では、敵ながら賞賛を送るに値する。
「……っ!」
地面に倒れる瞬間、男は懐から何かを取り出し空へ放った。
フィアナたちがはっきりと目視する前に、それは弾ける。
パアンッ、という甲高い音が路地に反響した。思わず耳を塞ぎたくなるほどの大きさだ。
「……不味い」
フリードが呟いた。
「仲間に居場所を知らされた。シルヴィア、走れるか」
「はい!」
戦いの直後で、少し興奮しているせいかもしれない。
肩の痛みはそれほど酷くなかった。
「もう少しだ。急いで────」
フリードが言うのと、右側の壁が吹き飛ぶのはほとんど同時だった。
幸い二人とも怪我は無かったが、完全に場所を悟られた。
あの土煙の向こうには敵がいる。
「っ、殿下!」
「走るぞ!」
なんとかフリードの姿を見つけ、その背を追って煙の中を駆け抜ける。
走りながら、考えていた。
(あの男は強かった)
フィアナが一度仕留め損ねた上、死する間際でも己の役目を果たした。かなり優秀な人物だったのだろう。
だがフィアナたちの傍にいれば共に爆撃の餌食になり、どちらにせよまず助からない運命だった。
足止めに来たということは、あの男は飽くまで捨石なのだ。
(つまり、今生き残っている敵は……)
そこまで考えたときだった。
ぞわりと首筋の毛が逆立つのが先か、足元の小石が弾かれたのが先か。
「!」
視線をやると、小刀が突き刺さっていた。
煙の中から無数に飛んでくるそれに、足を止めざるを得なくなる。
「くっ……!」
先を走っていたフリードも異変に気がついたようだ。
攻撃をいなしながら、フィアナは鋭く尋ねる。
「現在地は分かりますか!」
もうすぐ外に出られると言っていた。
この時点で他に出てこないということは、敵は恐らくあと一人しかいない。
この男さえ抑えておけばフリードに危害が及ばないなら、共に行動する必要は無い。先に騎士団の元へ行ってもらったほうが都合が良い。
「地図上の位置はな。だが……」
フリードは苦々しい表情で首を横に振った。
引いていった土煙に、その意味を理解する。
(爆発で地形が……)
再び建物が崩れたせいで、進めたはずの場所は行き止まりと化している。
視線を戻すと、翻る漆黒。敵はすぐそばまで迫っていた。
最早このまま戦う他ない。
壁が何枚か吹き飛ばされているので、広いとは言い難いが先程までより大分ましだ。
ここでなら本当に得意とする戦い方ができる。
右手に持っていた短刀は左手に持ち替え、今まで使えなかったレイピアを抜いた。
ゆっくりと息を吐き出す。
もうお互いに気配を隠すことはなく、フィアナは揺らめく黒い外套と対峙した。
呼吸音だけが響く数瞬。
────先に動いたのは、相手の方だった。
突進の勢いを利用した短剣の一撃を、フィアナは左手の短刀で受ける。
そして、ぐるりと巻き込むように手首を回した。
「ふ……っ」
相手の体勢を崩した上で、レイピアの突きを放つ。風を裂く音が鼓膜を震わせた。
しかしそれは僅かに首を傾けて躱され、続いて飛んできた肘鉄がフィアナの肩の傷を掠めた。
「ぐっ」
鋭い痛みに顔を顰める。
男が攻撃の手を休めることは無かった。
次々襲い来る斬撃に後退していたが、やがて足を止める。これ以上下がるとフリードに危険が及ぶ。
(どうする……)
フィアナは相手の出方を見ながら攻めあぐねていた。というのも、はっきりしない点があったのである。
(……長引かせれば退くか?)
それによりこちらの戦い方も変わってくる。
フィアナとしては、できれば退いて欲しかった。
息は既に上がっている。
ここまでずっと走り通しで、続けて戦闘を行い負傷もしたのだから当然である。
止血は既に意味をなさなくなっており、じわじわと赤い色が染み出していた。激しい戦いは避けたい。
迷うフィアナに、相手が地面を蹴った。
短剣は薄青の双眸を狙う。
「っ!」
咄嗟に体を反らせば、眼前を刃が一閃した。白い頬に一筋の赤が走る。
しかしそれに怯むことなく、フィアナは低い体勢から短刀を突き上げた。
またしても避けられたが、微かに刃先が引っかかり外套が外れる。
思っていたよりも若い男だった。
歳は二十やそこらか。青年といっても差し支えない。
現れた瞳に、感情のようなものは浮かんでいなかった。青年は酷く虚ろな顔で、まだ少女であるフィアナへ短剣を振り下ろす。
「っ!」
辛うじて躱す。
外套の前の留め具が千切られ、ばさりと大きく広がった。
「チッ……!」
動きが鈍くなってきている。
焦りが出るフィアナの目に、青年が指に小刀を挟むのが見えた。
(投擲するつもりか?)
先程の斬撃を受けて、フィアナは直接攻撃が届かない程度に距離をとっていた。
少し後悔する。
小刀による攻撃は厄介だ。自分は避けても後ろのフリードに当たる可能性がある。
自然、フィアナは投擲を阻止するために青年へ接近した。
小刀にレイピアの切っ先が触れかけた、そのとき。
「下がれ!」
突然のフリードからの警告に、反射的に半歩身を引いた。
一瞬前までフィアナがいた場所を短剣が通り過ぎる。鼻先に風圧を感じた。
「っ……!?」
(柄の文様が違う!?)
小刀の方に意識がいって気付かなかったが、いつの間にか短剣を持ち替えていたようだ。
その刀身が、ぬらりと光った。
────毒だ。
暗殺者が刃に塗る毒に、致死性がないはずがない。
頬を冷たい汗が伝う。
フィアナは相手を突き放そうとするように再びレイピアを繰り出した。
しかし向こうは避ける素振りもなく、毒を塗った短剣を薙ぐ。
「くっ」
フィアナは後方に飛び退った。
掠められれば終わりだ。過剰に反応せざるを得ない。
毒刃の登場は、嬉しくない事実の裏付けだった。
相手は“どうしてもここで息の根を止めたい”らしい。
長期戦で不利なのはフィアナだ。
相手もそれを分かっているために危険を冒してまでは攻めて来ず、いつでも攻撃を避けられる距離を保っていた。
競り合えるのは今だけで、最初に力尽きるのはこちらだ。
フィアナはこんなところで死ぬつもりはない。
フリードはこんなところで死んでいい人物ではない。
だがこのままでは。
ぎり、と奥歯を噛んだ。
そのとき、
「────急げ! この辺りにいるはずだ!」
複数の足音と共に、聞き覚えのある声がした。
「……ディルクさん?」
王立騎士団がフィアナたちを探しているようだ。
声からして、距離はかなり近い。
「……!」
ここで初めて、青年の顔に焦りが浮かんだ。
流石に騎士団を一度に相手取るのは不可能だ。
今度こそ退くかと思われたが、青年は何故か小刀と短剣を手放した。
カシャン、と乾いた音がする。
(……何のつもりだ?)
様々な推測が頭の中を飛び交い、フィアナの動きが止まる。
その一瞬に、青年は両手の指に四本ずつ挟んだ薄刃のナイフを一気に投擲した。
時間差をつけ螺旋を描くようにフィアナを襲ったそれは、ただ一本だけ外れている。
正しく言えば、外されていた。
フィアナではなく、フリードへと向かっている。
「殿下……っ」
己を襲うナイフをレイピアで薙ぎ払いフィアナは強く地面を蹴った。
剣で弾くことは間に合わずに、直接腕を伸ばす。
「ぐっ」
焼けるような感覚が腕に突き刺さった。
呻き声が漏れたが、ここまではフィアナの予想通りだった。
すぐさま剣を構え直し青年へ向かって行こうとする。
しかしそれは、叶わなかった。
「……!?」
がくん、と膝をつく。
(なんだこれは)
耳鳴りがする。
体が重い。末端が痺れている。
(まさか)
腕に突き刺さったナイフには、毒が塗られていた。
敵の狙いはフリードではなく自分だ。
はじめから、まず駒を潰すつもりだったらしい。
それに気づいて立ち上がろうとするも、足が動かない。
「く……っそ!!」
フィアナはナイフを引き抜くと、自身の短刀で傷口を抉った。
痛みで無理やり感覚を取り戻し立ち上がる。
けれど手にしたレイピアを振るうことは間に合わなくて。
殆ど無抵抗に、迫り来る短剣を受け入れた。
生暖かい飛沫が瞼を濡らす。
口腔に侵入したそれから、独特の匂いが鼻に抜ける。
瞬くと、青年が驚きに目を見開いているのが見えた。
自分に突き立てられているはずの短剣は、だらんと下がった手にかろうじて引っかかっている。
代わりのように青年の腹部を貫いているのは、教会で行われるはずだった儀式用に飾られた細身の剣だった。
神のための純白の剣が、血に汚れている。
さしたる殺傷能力の無いそれを無理やり貫通させた人物は、何故かフィアナではなく青年の後方にいた。
ごぽりと音がして、青年の口から泡混じりの血が溢れ出る。
その手からナイフが力なく地面に落ちた。
「……外、套……か」
無表情だった顔が悔しげに歪み、呟く。
確かにフィアナの肩には外れかかった外套が羽織られているが、その意味を理解することはできない。
そして、その呟きはフィアナではなく青年を貫く剣を握る人物────フリードへ向けられたものらしかった。
「…………」
フリードは答えず、剣を引き抜かないまま青年をフィアナから離す。
豪奢な衣装もやはり返り血に染まっていた。
(いつの間に距離を……?)
背を向けている自分はともかく、どうして青年も接近に気が付かなかったのか。
そこまで考えて、先ほどの単語が繋がった。
(“外套”の、影……)
留め具を失った外套はフィアナが動く度に大きく翻り、それを死角に使い近づいていたのか。
そうして隙を伺い、青年が止めを刺そうとした瞬間に一気に距離を詰めたらしい。
(皮肉……だな)
暗殺者が、標的に暗殺紛いの真似をされるとは。
疲れきったフィアナの体は、口角を僅かに上げることすらできなかった。
膝から力が抜け、自身の血が濡らす地面に倒れ伏す。
血の匂い、体の痛み、すべてが遠のいていく。
青年の何かを飲み込むような仕草を見たのを最後に、フィアナは意識を手放した。




