40話 剣を抜け
天気は快晴。
時折吹く風があちこちから花と焼き菓子の甘い香りを運んできた。
マンデル祭りは滞りなく進んでいる。
城下町に入ると、行列は速度を落とした。
馬の上から民衆の様子がよく見える。
長い藍色の飾り紐が項で揺れるのを鬱陶しく思いつつも、フィアナは感嘆するように息を吐いた。
(相変わらず、凄い熱量だな)
先程から、黄色い歓声が鼓膜を揺らし続けている。
主にそれを集めているフリードは慣れているのか無表情で真っ直ぐに前を見ていた。
てっきりこんな時くらい笑顔のひとつでも見せて手を振るくらいのサービスはあるかと思ったが、驚くほど無愛想だ。
もしかすると逆にそういう演出なのかもしれない。エルヴィーラなら考えそうだ。
(さて……私も一応辺りを警戒するか)
ここまでがっちりと周囲を騎士たちに囲まれていては妙なこともできまいが、フィアナはすっと薄青の目を細めた。
いくら厳重に警備されているとはいえ、あの堅城にトリシャが入り込んだように、絶対は無い。
人混みの中で妙な動きをしているものはいないか目を凝らす。
「……どうして女がいるんだ?」
そのとき、歓声に混じってそんな声が聞こえてきた。
年若い女が騎士たちの中にいるという状況はかなり奇妙なものに見えたようだ。
「飾りじゃないか? 変な髪だし目もよく見ると……」
「おい、あの服……」
早くも様々な憶測が飛び交っている。
しかしそれで集中力を削がれるようなことはしない。
フリードが歓声に動じないように、フィアナにもまた慣れているものがあるのだ。
(次は向こうの通りか……)
一番人が集まっている中央の大通りから、脇に逸れていく。
オルフェが言っていた歴史的な建造物が立ち並ぶ歴史の古い通りだ。
建物の立地が入り組んでおり、警護はしにくそうだと感じた。もし誤って建物を壊すと面倒なことになるのも目に見えている。
(やや人が少ない……制限をかけたのか?)
もう少しギチギチに人が入っているかと思ったが、その通りは少し幅に余裕が持たされていた。
これなら有事の際も騎士たちがたたらを踏むことはないだろう。
────ほんの少し気を抜きかけた瞬間、フィアナは視界の端に何かを捉えた。
それに体が反応した理由を頭が理解する前に、本能が『危険だ』と警鐘を鳴らす。
「…………!」
手綱を握る手に力が入った瞬間、
「なっ!?」
フィアナの馬が突然嘶きを上げ、後ろ足で大きく立ち上がった。
そのまま隊列を乱して走り回り、激しく首を振り回す。
「何事だ!?」
誰かが叫んだ。
異常事態を察し、現場に緊張が走る。
傍で見ていた女性たちが恐怖による悲鳴を上げた。
「殿下!」
そのとき、隣で再び嘶きが上がった。
見ると、フリードの馬もまた制御不能の状態で暴れ回っている。その見開かれた目と震え続ける体を見て、フィアナは目を眇めた。
(何かに……怯えている?)
思考を邪魔するように体が揺さぶられる。
緩みそうになる手の力を必死に込めた。
今振り落とされれば、頭を砕かれる。
同じ状況にあるフリードのことが気がかりだった。
「市民の避難を!」
幸い馬の扱いには長けていたようで、落ち着いて周囲に指示を出している。
フリードの言葉に、棒立ちだった騎士たちが動いた。訓練通りに動き、民衆を避難させていく。
一方フィアナはめまぐるしく考えながら、馬が暴れだす直前に異変を感じた方向へ首を向けていた。
(……同時に、よく訓練された二頭の馬が暴れだすはずがない!)
何か理由がある。
人為的で、明確な悪意を持った。
強烈な違和感を放つものはすぐに見つかった。
騒然とする民衆の中で、逃げようとしない外套の男がいた。その手には何かが握られている。
あれは。
「……吹き矢!」
フィアナの声に騎士たちが反応した。
「左です! 黒い外套の」
言い切らないうちに彼らは走り出す。
パラパラと小石が落ちるような音がしたのは、丁度その時だった。
(……何の音だ?)
いつの間にか随分近づいていたフリードと目が合った。
向こうも音の正体は分からないらしい。
しかし、何かを探るように眉を寄せていた。
動いたのは二人同時。
フリードは一つの可能性に思い当たって。
フィアナは、微かに漂う火薬の匂いに気がついたからだ。
「────っ体勢を低くして耳を塞げ!!」
初めて聞いたフリードの叫び声をかき消したのは、鼓膜を破るような炸裂音。
真っ白い閃光が視界を覆い尽くし、衝撃波がフィアナたちの体を飲み込んでいった。
◇◆◇◆
「っ、う……」
一瞬気絶していた。
フィアナは、地面に叩きつけられた衝撃で目を覚ます。
五体満足なことを確認し、身体の動作と聴覚を確かめた。
幸いにも、体にある傷はどれも飛んできた破片が肌を掠めた程度のものだ。
しかし、未だ耳鳴りは残っていた。
周囲の音は聞き取れるから問題は無いものの、咄嗟に指示に従っていなければ本当に鼓膜が破れていたかも知れない。
(……そうだ、殿下は)
体重差があるとはいえ、そう離れてはいないはずだ。
「……殿下?」
いくらもせず、もうもうと立ち込める土煙の中に人影を見つけた。
合流に手間取らなくて良かった。急いでフリードを連れこの場から避難しなくては。
「殿下! すぐに……」
走り寄ろうとし、気がつく。
近づいたことで土煙は薄れたが、依然として人影は黒い。
フリードの着ていた衣装に黒は使われていないのに、まるで。
(黒い外套を纏っているような……)
考える暇は、またしても与えられなかった。
「っ!」
反射的に身を反らす。
ぶわりと渦を巻いた土煙と共に眼前をナイフが通過して、数本の髪が宙に舞った。
「貴様……っ」
居合の要領で抜き放たれたフィアナのレイピアは、金属と衝突した。
弾かれたナイフが地面に落ちる。
相手はもう隠れるつもりは無いようだ。
真っ向から突きつけられる殺意に、口元を歪ませる。
「……止めを刺しに来たのか?」
黒い外套の男は答えない。
ただ、手にした短剣をフィアナの喉笛めがけて振り下ろした。
その男の背後に、また黒い影が見える。数は四つ。
うち三人は何処かへ消えたが、まだ二人いる。本職の殺し屋相手にこの状況下で戦うつもりはない。
フィアナは男の短剣を押し返すと、即座に身を翻した。
これほど視界の悪さだ。後を追うのも容易ではあるまい。
男たちが入れなさそうなほど細い路地に身を滑り込ませ、フィアナは走った。
(……どうする)
一旦離脱したが、このままではフリードが殺される。
居なくなった二人はフリードの方へ向かったのだろう。長くはもつまい。
(だが、探しに行ったということはまだ殺されていないはず)
飽くまで、あの爆発で死んでいなかった場合だが。
頭に当たったら即死だろう大きさの落下物も多かった。フィアナが殆ど無傷なのは相当運が良い。
(土煙に紛れて動くしかない……だがリスクも)
「……ん?」
ふと、空気が動き煙が乱れているところを見つける。
フリードかと思ったが、黒い外套が見えてしまった。敵だ。
(こちらに背を向けている……)
しかも一人。
フィアナはあることを思いついた。そっと路地を進み、男の背後につく。
「!」
声を上げることも出来ないまま、打撃音と共に男は倒れた。
そのまま動かなくなる。
フィアナは息をつき、鞘から抜いていないレイピアを降ろす。
殺してはいない。というか殺気で気づかれる恐れがあるために殺せなかった。
髪を結んでいた紐を解き、男の足を縛る。
無駄に長さのあるこれが若干煩わしかったが、意外なところで役に立った。
フィアナは男から外套を奪い、ばさりと羽織って駆け出す。
深くフードを被って髪を隠せば、敵に姿を見られてもすぐには バレないだろう。
(問題は殿下が何処にいるかだな……)
既に身を隠してしまっていたら、探し出すのは時間がかかる。
「……せめて、生きているかどうかだけでも分かれば」
思わず呟くと、がたりと音がした。
己の迂闊さを呪う。
(変装してるのに喋ってどうする!)
振り向くと、黒い外套を来た男がいた。
思っていたよりもかなり近い。
(いつの間にここまで接近してきた……!?)
これは手練を引いてしまったかもしれない。
ギリギリ逃げきれないと判断し、フィアナは構えた。
相手をしている時間はあまりない。できれば軽くあしらってまた逃げたい。
「…………」
男が何か言った気がした。
よく聞き取れなかったが、聞いても仕方が無い。
袖口に仕込んだナイフを手の中に滑り込ませ、相手が身構える前に無言で放った。
男は微かに驚いた後、間一髪躱す。
フィアナは体勢を崩させてから斬り掛かるつもりだったのだが、反撃してくる気配が無いので思わず足を止めた。
「?」
何かおかしい。
不審に思ったフィアナは、土煙の中に目を凝らす。
その間に、黒い人影は突然ぱさりとフードをとった。
────薄汚れた黒い布の下から現れたのは、見事な金髪と見紛いようのない美貌。
「……お前に殺されるかと思った」
「…………」
凍りつくフィアナに対し、フリードは冗談か本気か判別のつかない顔で言った。
フィアナは割と本気で殺すつもりだった。
「……ご、ご無事で……」
「まだ早い。早急にここから脱出しなくてはな」
どうして黒い外套を着ているのかは気になったが、今気にするべきではないのだろう。
それを裏付けるようにフリードは苦い顔で言った。
「先ほどの爆発による建物の倒壊で、この通りの入口が塞がれてしまっているらしい」
「え……」
「勿論入口は一つではないが、ここの地形は非常に入り組んでいる上に狭い。騎士団の到着は遅れるだろう」
外は大混乱の真っ只中。
恐慌状態の大勢の民衆は、殺し屋よりも厄介かもしれない。そちらの対応にも追われているはずだ。
(……つまり)
恐らくは幼少期から人殺しの為だけに生きてきたような玄人四人が、獲物を仕留めるべく動いている。
対してフリードを守るのは、フィアナただ一人。




