29話 王子の采配
茶葉はすぐに専門家に渡された。
まだ詳しく調べていないので断定はできないが、見た目や匂いからしてまず間違いなくトリシャだろうということだ。
診察を終えたフリードは一人自室に戻り、クッションも敷いていない椅子に座って考え込んでいた。
仄かな灯りと月明かりが、薄らと部屋を照らしている。
空中に舞う細かな埃を眺めながら、フリードは息をついた。
幸い、王宮内では被害は無かった。
共にいたオルフェも何の問題もないという。
フリード自身には軽度の症状が現れていたが、日常生活に支障は無く、心配は要らないと再び診察し直した医師に言われた。
判断力が鈍っているため重大な公務は出来る限り後に回すが、この問題については一刻を争う。
ここまでは恐らく敵の思い通りに事が進んでいる。
この流れを、早急にどこかで止めなくてはならないのだ。
青の瞳が、厳しい光を宿す。
(まずはあのメイドか)
あれは内通者というよりも間者だったらしい。
オルフェや他のメイドたちが見た地方から来た新人のメイドは、忽然と姿を消していた。
そして調べさせたところ、騎士団にある被害届が出されていたことが分かった。
『宿屋に滞在中に荷物を盗まれた。そして、その荷物の中に王宮への紹介状が入っていた』
届出をしたのはフェロニアの南から来た娘で、王都に上がったばかりだという。それを使って偽のメイドが城に入り込んだようだ。
物取りならば、出稼ぎに来た田舎娘を狙ったりはしないだろう。裕福そうな観光客を狙った方がよほど稼ぎになる。
(その娘が王宮に行くことを元より知っていたとしか思えないな。その娘と同郷の者かも知れない)
騎士団の搜索は明朝から始まる。
しかし、足取りを掴むには恐らく時間を有するだろうと思う。
(これは我が国を相手取った計画的な犯行だ。相手は、我々に対して完全犯罪ができると踏んで動いた)
逃走経路やその後の身の隠し方、そして出国まで、練られた計画通りに動いているに違いない。
それらを鑑みて、フェロニアを敵に回して、勝てると。
「…………」
フリードはゆっくりと立ち上がった。
千年の歴史を誇るこの古き王国。
現在大陸で随一の栄華を見せる“西を統べる大国”を、土足で踏み荒らすとは。
嘗めた真似を、してくれる。
己の領域を荒らされて黙っているほどこの国は無能ではない。
大国の矜持を守るのも王族の務め。
フリードはこのまま振り回されるつもりも、良いように食い物にされるつもりも無かった。
時刻は既に深夜を回っている。フリードは灯りに油を継ぎ足し、机に向かってペンを取った。
心が凪いでいる訳では無いが、しかし焦燥も無い。
ただ成すべきことを成すためにその瞳は光に揺らめく。
巧妙に編み上げられたこの計画。
その一つひとつを、ことごとく叩き潰していくために。
◇◆◇◆
事件の翌日。
王宮は朝から忙しない雰囲気を纏っていた。
人の口に戸は立てられない。
麻薬が王城で見つかったという事実は、既に皆の知るところとなっているようだ。
いずれ城下にもこの話が伝わってしまうだろう。これは気休め程度の、僅かな時間稼ぎだ。
皆と同様に朝から忙しくしていたフリードは、渋面で側に控える臣下に指示を出す。
「……急ぎ、《アイオロス》の代表を呼べ」
「はっ」
言いながら、ため息をつく。
気は進まないが背に腹は変えられない。
フリードの言う《アイオロス》というのは、二年前に活版印刷技術を完成させた組織である。
確実にフェロニア史に残る発明だ。
今までその分野はそれほど発達しているわけではなかったのだが、《アイオロス》は独自の研究を重ね、ついにその機械を作り上げた。
今手配をしたのはその代表である男、ヨハネ・グーテルック。
齢三十代半ばにして活版印刷技術を確立し《アイオロス》を纏める、優秀だが食えない人物だ。 何故商人にならなかったのかというほど金にがめつく、抜け目がない。
あの狐目で舐めるように見回されるとぞわぞわと鳥肌が立ってくるので、フリードはヨハネが好きではなかった。
しかし、嫌でもヨハネとは定期的に関わっている。
印刷技術は今では国内に広く広まりつつあるが、最初はもちろん《アイオロス》がその技術を独占していた。
彼らが発明したのだから、当然である。
しかしその技術が国で共有されれば国力の大きな向上に繋がる。その為フェロニア王国はその画期的な技術を国内に広めるように求めた。
国として相応の額を提示したのだが、《アイオロス》はなかなかうんと言わず、交渉は難航。
《アイオロス》は、契約金を引き上げ引き上げ、さらにある条件を要求した。
条件は大きく分けて二つ。
『王宮への出入りの許可』と『王族と王宮への取材を《アイオロス》が独占すること』だ。
それ以来、彼らは国の許可の元で政治や時には王族個人のことを取材し大衆紙を作成している。
価格設定は低く、それほど裕福でない世帯も買い求めることが出来る。
発行ペースは三日に一度。
大衆紙は城下の人々の絶大な人気を集め、ぼろ儲けをしているようだ。
大衆紙の発売を許可しているのは城下だけとはいえ、このままの制度では《アイオロス》のさじ加減で簡単にフェロニア王族の印象操作がされてしまう。
フリードはいつかこの制度を改革したいと考えているが、今回ばかりは助けられた。フリードが今からしようとしているのは、他でもない情報操作である。
これから街を見回る騎士の数はぐっと増える。
何もしなくとも国民は何かあったのだと気がつくし、尾ひれがついてとんでもない大事だと広まるかもしれない。
偽メイドたちは混乱に乗じてこの国を出ようと目論んでいるやもしれないので、あちらが動く前に先手を打たせてもらう。
例えば、『税金で賄われている、マンデル祭りに使用する費用を横領した使用人がいる』とでも記事を書かせ、捜索のため騎士団の巡回が多くなることを知らせる。
ついでに、行方不明のメイドはその犯人として記事に特徴を載せて、国民の目も使ってメイドたちを探そうという考えだ。
(これだけで上手くいくとは思わないが、何もしないよりは大分マシだろう)
今より相手は動きにくくなるはず。
足止めをして、とにかく時間を稼ぐ。
今は圧倒時に向こうの情報が無いのだ。少しでも判断材料を集める時間が欲しい。
時間と情報さえあれば、フリードが判断を誤ることはない。
こうした指揮を執ったのも初めてではなかった。
「マンデル祭りの準備は引き続き行う。この事件による変更はないと各部に伝えろ」
「はっ!」
伝令の騎士が素早く執務室を出ていく。
それと行き違いに書類を手に入って来たのは、オルフェだった。
特にトリシャの影響を受けなかったオルフェは通常通り、いやそれ以上に業務を行っている。
国王と、オルフェの父であるエヴァルトも交え三人での話し合いを終えてきたところだ。
オルフェは挨拶も抜きにいきなり自身も手にしたばかりの書類を広げる。
「シュトルンク家、スリヴァルディ家、ハルナイト家の現当主たちは国王名義で招喚したって」
早馬なので、二日以内には着くはずだ。
招喚のかかった全員が揃うのは遅くて六日後ぐらいか。
「分かった。王都の関所はどうなっている?」
「手続き体制に問題が発生したって設定で一時的に閉鎖したよ。だけど長くは閉じてもいられないし、しばらく相手も街に潜伏するつもりだろうね」
フリードとオルフェは苦い顔をした。
後手後手に回ってしまっている。
やはり、《アイオロス》の協力を得て先手を打たねばならないようだ。
「……まずは、ヨハネが到着してからだ」
これから対峙する相手のことを考え、フリードはいささか憂鬱に息をついた。




