24話 古い記憶と、悪い夢(2)
声が、追ってくる。
執拗に責め立てるそれに、自分は何かを叫んでいる。
石が飛んできた。
今ならば容易に避けられるそれも、目をつぶる間もなく額に当たり、皮膚が裂けた。
ますます激しさを増す怒号。
その声の主たちを、自分はきっと、恨んではいなかった。
ぶつけられる憎悪に抱いたのは、憤りではなかった。
そして、その声もその声に抱いた虚しさも、この夢が終わる頃には。
胸に絡みつく痛みを残して、またフィアナの記憶の奥底にその身を沈めていくのだ。
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部屋に近づく足音を、覚醒しかけた耳が拾った。
「っ……」
条件反射のように意識が一気に浮上する。
お前はどこの戦場で生きてきたんだとボリスには若干引かれたが、師匠に叩き込まれたもののなかでは、割と便利な癖でもあった。
状態を起こし、ズキリと痛む胸を押さえた。
「……また、あの夢か」
夢の内容はほとんど覚えていない。
しかし、この夢を繰り返し見ていることは分かる。
そして、この夢が自分が失った記憶の一部なのだということも。
フィアナは幼い頃────〈祟りの森〉に居た頃の記憶があまりない。
正確に言うと、ある一部を除いて抜け落ちている。
覚えているのは、ダジボルグ帝国の国章の描かれたマントを翻す男が両親を手にかけるところと、辺りを覆っていた炎の熱さだけだ。
きっと防衛本能が記憶を封じ込めたのだと、師匠の知り合いの医者に言われた。
それでいうのならばフィアナが唯一覚えているところこそ消されるべき記憶だが、理性が本能以上の強さで、それを忘れることを拒んだのだろう。
フィアナは深く息をついた。
この夢を見たあとは決まってわけも分からず胸が締め付けられる。いい迷惑だとフィアナは肩を落とし、頬を濡らしているはずの涙を拭おうとした。
「あれ……?」
しかし、予想に反して頬は乾いている。
(どうして……)
これは、良くない夢なのだろう。
いつも見終わったあとのフィアナは泣いていた。
「たまたま……か?」
夢を見るようになって十余年。今までずっと変わらないことだったのにと、不思議に思いながらごしごしと目を擦る。
────いつもならばもう暫く続く苦しさは、いつの間にか消え去っていた。
治療を終え帰ってきた医師に、体力が回復した旨を伝える。
血色の良くなったフィアナを見て、医師も大丈夫だと判断したのだろう。
今日の運動は禁止されたが、もう戻ってよいとの許可をもらった。
「ありがとうございました」
「いやいや。若いとはいえ、無理は禁物だ。気をつけるんだよ」
「はい」
医師に礼をし、医務室を後にする。
(まずは、ディルクさんのところへ行くべきだよな……)
既に日は暮れかけている。
早めに見つけなければ、訪問が失礼な時間帯になってしまう。
(と、いっても……)
ディルクの行動パターンはまだ把握していない。
夕餉の時間まで待って、食堂で待ち伏せするのが確実だろうか。
その他の人も、食堂か、会ったときにお詫びを入れよう。
寝起きのせいか大雑把な予定を立て、フィアナは取り敢えず騎士団の営所へ向かった。
◇◆◇◆
汗の匂いと、熱気が伝わってくる。
訓練場を使っていたのは第一騎士団の面々だった。今は一対一の打ち合いをしている。
遠くからそれを眺めていたフィアナの眉が、ぴくりと跳ねた。手を腰の剣に伸ばすとともに、振り返る。
「っ!?」
「おおっと、こりゃ驚いた」
それはこちらの台詞である。
見ると、普段フィアナが接近を許す距離よりかなり近くに、大柄な男が立っていた。
その真紅の髪と胸に輝く階級章、そして金のエポーレットの輝く深緋のマントに男の正体を悟り、息を飲む。
「インメルマン第一騎士団長……!?」
「よう、新入り」
インメルマンはひょいと片手をあげた。
遠くから見かけたことはあるが、こうして対峙したのは初めてである。数日前に挨拶にも向かったのだが生憎不在で、“改まった訪問は不要”との言伝が届いたのだった。
「ご挨拶が遅れました。第三騎士団所属、フィアナ・シルヴィアと申します」
「おーう知っとる知っとる。ここに来て早々に目立ってたらしいからなぁ。この間は会えんくてすまんな」
目立っていた、とはハールマン侯爵相手にやらかしたことを言っているのだろう。
そのときインメルマンは王の護衛にあたっていたはずだが、流石に噂は耳に入っているらしい。若干気まずい思いをする。
「ディルクにボリスにお前さんに、第三騎士団は新人が主役はっとるなぁ」
こりゃうかうかしてられん、とインメルマンは準備体操のように肩を回す。
「さっきもなかなか本気で気配を消していたんだがな。うちのそこそこの熟練でも、気づかんやつは沢山いるだろうさ。いやあ、末恐ろしいねえ、はっはっはっは」
その快活な笑い声に第一騎士団の騎士たちがこちらに気がついたようだった。
「よーし、いっちょ行ってくるか。第三騎士団に負けんように、うちの新入り共もしごかんとな。そっちも気張れよ、娘っ子!」
(娘っ子)
反応に困る呼び方を残し、インメルマンは訓練に参加した。
宣言通り新人らしき男を三人選び、なんと一度に相手をしている。
その太刀筋は鮮やかで、やはりほかの騎士とは段違いだった。
(……ん?)
魅入るように見つめていたフィアナだが、とあることに気がつく。しかし、あえてスルーしていた。
すると、
「おい!」
「いたっ」
ぺしん、と後頭部を叩かれる。
その付近で髪を結んでいるので地味に痛い。
「……何するんですか」
「お前な。絶っ対気配に気づいてて俺のこと無視してただろ」
「ボリス先輩だしいいかと思って……」
「どういう意味だこら」
つい素直な気持ちを口にすれば、今度はぐにっと頬をつねられる。
「なにしゅるんでふか」
「うるさい。つーか病人がなんでこんな所にいるんだよ」
「もう医師には戻っていいと言われました。見学しているだけで、混ざろうなんて思ってませんよ」
ボリスは少し疑わしそうな目でフィアナを見た。
「本当か?」
「本当です」
「……で、大丈夫なのか」
「はい?」
「だから、体調」
ああ、とフィアナは手を打つ。
ボリスのせいで大事になった感はあるが、休んだおかげで今はかなり体が軽い。
(意外と疲れてたんだな……)
フィアナは大人しく頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしました」
「いや、別に……。あと、フィアナ」
「はい?」
「“心配”な」
「?」
わけがわからないという顔をするフィアナに、ボリスは顔を赤くする。
「だから……っ、“迷惑”じゃねぇけど、“心配”したっつってんだよ!」
「ボリス先輩……」
「……あんだよ」
「些末なことでは」
「空気読め!!」
顔を真っ赤にしてボリスが叫ぶ。
フィアナは両手で耳を塞いでうるさいですアピールをした。
「情緒不安定ですか……」
「んなわけあるか! お前のせいだっつーの!」
もう一度叫ぶとボリスはくるりと踵を返した。
「ほら、もう戻んぞ」
本当はもう少し見ていたかったのだが、ここでごねるとまた面倒である。仕方なしにフィアナは後について行く。
「それで、どうして私がここにいるって分かったんですか?」
「……そりゃ……長い付き合いだし……お、お前のこと、だから……なんとなく、分かったっつーか……」
「え?」
「な、何でもねーよ!」
ごにょごにょと言い淀み赤く染まった顔を逸らすボリスに、フィアナは至極真面目な顔で首を振った。
「いえ、今のは聞き取れなかった訳ではなくて、何か気持ち悪いと思って聞き返したのですが」
「お前もうほんとやだ!!」
ボリスの悲壮な叫びが訓練場に響き渡り、フィアナは言わなければそうと分からないほど小さく微笑みを浮かべた。




