23話 古い記憶と、悪い夢(1)
挨拶もそこそこに、本題に入る。
報告書を見たインメルマンは、ディルクと同様の反応をした。
深緋の瞳に鋭い光が宿る。
「これは……確かに、妙ですな」
シュトルンク領もスリヴァルディ領と同じく、犯罪数が跳ね上がっている。
領地を治めるのはインメルマンの兄だ。政治的手腕は悪くない、というか優秀で、これまで目立った失敗はなかった。
ちなみにシュトルンク家も騎士の名門である。
「早急に原因を突き止める必要がある。すぐにでも北部に五、六人調査団を派遣したい。人員は第一騎士団から、選抜は任せる」
「はっ! 了解致しました!」
「それから、お前の方からも実家に状況を聞いてみてくれ」
「はっ!」
フリードの命にインメルマンは最敬礼を返す。
このようにして、面会は短く終わった。
オルフェはぽつりと呟く。
「マンデル祭りも近いっていうのに……なんか忙しくなっちゃったねぇ……」
「ああ……」
マンデル祭りは目前に迫っている。今のところ準備は遅延していないが、この事案の出方によってはまだ分からない。
念の為予定を前倒しにして進められるところまで進めておこうと、フリードは日程を変更する準備に取り掛かった。
(それにしても……)
国の北部は、長らく戦をしていたダジボルグ帝国と接している。そのため、スリヴァルディ家然りシュトルンク家然り、武道に秀でた一族が配置されていた。
優れた騎士を多く輩出する名門家の政治はやはり実直かつ堅実で、犯罪への取締は厳しい。
フェロニア北部と南部では、北部のほうが明らかに犯罪は少なかった。
外部から何かあったとしても、北部は対ダジボルグ帝国として第二騎士団最大規模の営所があり、入国の取締は国内で最も厳しい場所だ。滅多なことはできないはずである。
「そういえばフリード、このことは陛下に?」
「使いを出した。じきに呼び出されるだろう」
報告を受けてすぐに、王にも同様の報告を上げるように言ってある。王は多忙だが、フリードからの使いならば優先順位は上。このことはもう耳に入っているだろう。
「そっか……。こんなこと今までなかったけど……フリードはもう、目星はついてる?」
「……まだ、なんとも。今話せばただの想像になる」
情報が足りなすぎるため、適当なことは言えない。
まずは具体的な犯罪内容の把握が必要だ。これは調査団が到着するのを待たずとも、各領主から早馬を走らせれば分かるだろう。
(まだ今は、憶測の段階だ。ただ……)
その憶測の中にかなり厄介なものもある。どうか当たってくれるなよとフリードは眉を顰めた。
どうにも、嫌な予感がする。
◇◆◇◆
予報通り、それからすぐにフリードは国王と謁見することになった。
内容は事実確認と、この事案をどちらがもつか。
今こそマンデル祭りと重なりかけているが、政務の量は国王のほうが圧倒的に多い。
フリードは自らこの件を引き受けた。
「……そうか。頼む。俺からも、エヴァルトに商人の動きや物の流れにおかしなところがないか確認する」
エヴァルトというのはアドリオン商会の代表で、オルフェの父だ。
王とは騎士学校時代からの旧友で、商会の代表という立場でありながら、宰相と並び王の右腕的存在である。
「分かりました。そちらはよろしくお願いします」
フリードは簡潔に返事をした。いつもならば王からここで軽口の一つや二つが出てくるのだが、今回は事態を重く見たのか、ただ無言で頷き、謁見が終わる。
謁見の間を出れば、宰相が書類を手にして待っていた。
「フリードリヒ殿下!」
フリードの姿を認めると、走るようにして近づいてくる。
「シュトルンク領から、犯罪内容の報告が。その他の領からも明日中に届く見通しです」
「分かった」
書類を受け取り、すぐにざっと全体に目を通し、フリードは目を眇める。
あまり好ましくない内容が書かれていた。
だが、まだシュトルンク領のみ。判断するには早すぎる。
謁見により中断されていた仕事の続きをするため執務室に戻ろうとしたが、フリードはあることに気がついた。
(そういえば、王宮勤めの医師の中に国の最北領出身の者がいたな)
情報は多いほうがいい。その者からも実家へ聞いてもらうか。ここから医務室はそれほど離れていない。使いを出すより自ら赴いた方が早いと判断し、フリードは行き先を医務室に変更した。
医務室からはやけに音がしない。
(……いない、のか?)
医務室のドアの前で、フリードは首を傾げた。
フィアナが患者として来ているのだから空けることはないだろうと思っていたのだが。
軽くノックしてみても、やはり反応がない。
二度ノックして反応がないのを確かめ、フリードはドアを開けた。
薬品の匂いが漂っている。
在庫の薬の類が置かれている奥の部屋も覗いたが、人影はない。
「……いないようだな」
ならば仕方がない。長居をしてフィアナを起こしても悪いと、戻ろうとした時だった。
「ぅ……っ」
微かに、呻き声のようなものが聞こえた。
この部屋にはフィアナとフリードのみ。言わずもがな、今の声はフィアナのものである。
(起こしてしまったか?)
そういえば、フィアナは気配に聡く寝ている間に人が近づくと起きてしまうから見舞いには行かないとボリスが言っていた……と、ディルクが言っていたような。
「……ぅ、ん……」
しかし、起きたにしてはどうも様子がおかしい。
「う、うぅ……っ」
「……フィアナ?」
いつまでも止まない呻き声を不審に思い、フリードは暫くの逡巡の末、患者用のベットに引かれた薄いカーテンを開けた。
フリードの思考が止まる。
そのまま言葉を失い、立ち尽くした。
真っ白なベッドに横たわっていると、フィアナの肌の白さは病的なほどに感じる。
微かに見える目の下の隈や、少女らしい折れそうな細い手首がそれに助長され、疲労で寝ているにしては、あまりに痛々しく見えた。
そして、何よりも。
悪夢から逃れるようにに身をよじり、苦痛に歪められた顔。
その滑らかな頬を、透明な雫が流れ落ちていた。
長い銀の睫毛がきらきらと光る。
縋るように掴まれたシーツが、皺になっていた。
「……う、……ちがう……、私じゃ、ない……!」
やがて、薄い唇が今度は意味を持つ言葉を吐き出す。
必死の否定に滲むのは、怒りではなく、悲しみで。
「……っ!」
その、『違う』の意味を。
知らなければ、こんな気持ちになることもなかったのだろうか。
ゆっくりと、フリードは白い頬に手を伸ばした。
乾いた指先を、熱い雫が濡らす。
「違う……私は……わたしは……っ」
次々と溢れ出すそれを、何度も自身の指で拭った。
泣いているフィアナにはいつもの大人びた少女の面影は見えず。酷く頼りない、はぐれた親を探す幼子のようだった。
────どのくらいそうしていただろうか。
フィアナの涙が止んだ。
もがく様に動いていた体も止まり、呼吸も深くゆっくりとしたものに変わる。
フリードは手を離し、ゆっくりとベッドから離れた。
慎重にカーテンを閉め、ドアに手をかける。
一度、振り返った。
薄いカーテンの向こうにフィアナの影が透けて見える。
起きた様子はなかった。
再び悪夢に魘される様子もない。
「……フィアナ」
眠っているフィアナに、フリードの声は聞こえない。
いや、起きていたとしても、聞こえるかどうか。
それほどに小さな声だった。
「…………すまない」
ただ一言だけを残し、フリードは医務室を後にする。
何に対しての謝罪なのか、自分ですらよく分からなくなるほどの時が過ぎた。
その時の中で、あれが忘れ去られたほうが良いものならば、覚えていて欲しいとは思わない。
ただ、彼女が覚えていないのなら。
感謝も、謝罪も、何もかも。
伝えることは許されないけれど。




