22話 北の不穏
医師の診断は『過労』。
だろうな、という感想である。
顔色が悪いことと、食事すらおざなりにしていることをボリスがバラしたことにより、フィアナは問答無用でベッドに突っ込まれていた。
他に急患が出たらしく寝ていれば良いだけのフィアナは放置され、医務室には今一人。
良いと言うまでベッドから出るなと言われたが、どうにも落ち着かず白い天井を見つめる。
(今の時点で滞った予定は……どこの予定を詰めれば何日で取り戻せるだろうか……)
つらつらと考えるも、疲れた脳は働きが悪い。
纏まらない思考に、一旦目をつぶって考えてみる。
予定表を思い浮かべ、明日からの空き時間に今日のこなせていない予定を詰め込んでいく。
(語学の授業と訓練は終えたから……次、は……)
それがいけなかったらしい。
一度目を閉じてしまえば、膠のようにくっついた瞼は上がることなく、そのまま深い闇に絡め取られていく。
遠くで聞こえる鳥のさえずりが心地いい……とフィアナが思ったところで、散漫としていた思考は、ついにぷつりと途絶えた。
静かな寝息が医務室に響き始めたのは、それからすぐのことである。
◇◆◇◆
「フィアナちゃんが倒れた!?」
ガタン! と音を立て、勢いよく引かれた椅子が倒れる。
前のめりになって叫んだオルフェに、ディルクは必死に手を振った。
「い、いえ。飽くまで“倒れた”という話になってしまっただけで……ただ、疲労は溜まっていたようですが」
「当たり前でしょあの分刻み鬼畜日程じゃ。いや、予定が分刻みまではいいとしても、食事の時間が数分ってのはおかしいもんねぇ。それは刻みすぎだよねぇ」
前半はディルクに、後半は嫌味たっぷりにフリードに言ったオルフェは大げさに前髪をかきあげる。
「可哀想にフィアナちゃん……確かにちょっと特殊ではあるけど、まだ十六歳の女の子なんだよ? 成長期で体も出来上がってないのに……」
恨みがましく流し目をくれる先にいるのはフリード。
処理途中の書類を手に持ったまま、ディルクの報告を聞いていた。
「……フィアナ・シルヴィアは今はどうしている?」
「医務室で安静にしているはずです。フリードリヒ殿下、本日の彼女の予定はどうか免除に……」
「フィアナちゃん素直に寝るかなあ?」
フリードが何か応える前に、オルフェが口を挟む。
「ま、寝るつもりなくても疲れた体でベッドに入っちゃったら眠るよね~。ね、フリード」
言外に、「免除以外ありえないから」と念押しをしている。
自他に厳しいフリードならば却下しかねないと考えたからだ。幼馴染みでもあるオルフェの言動に、フリードは眉を寄せる。
「分かっている。今の状態では能率も悪いだろう」
そんな状態に追い込んだのは誰だよとオルフェはじと目で見たが、今更言っても詮無いことなので口先を尖らせる程度に留める。
「うーん、なんかそろそろお茶しようと思ってたけどそんな気分じゃなくなったなー。フィアナちゃんのお見舞い行こっかなー」
「やめておけ」
年中無休で騒がしいオルフェがお見舞いなどただの嫌がらせ行為である。
「というか、駄目ですよ。騎士とはいえ女性が寝ている所に男が出入りしては」
「真面目だなディルク君はー。僕がフィアナちゃんに不埒な真似すると思う?」
「…………」
「ア、アレ? ディルクくーん? ここは即答して欲しいなー……?」
「はい、思います!」
「思っちゃうんだ!? そんな澄んだ目で言っちゃうんだ!? ごめん、だったら即答どころか永遠に胸に秘めてて」
執務室でお構い無しにわいわいと騒ぎ出した二人に、フリードは物言いたげな顔をしたが、面倒になったのか結局黙ったままだった。
「ま、僕らがここでガチャガチャ言ってても仕方ないね。暫く経過を見ようか」
「そうですね」
「あ、そういえば」
オルフェは不意に真顔に戻った。
「ディルク君に聞きたいことがあったんだった」
「何でしょうか?」
フリードも心当たりがあるのか、真剣な眼差しでディルクを見ている。
「最近さ、実家から何か聞いてない?」
「何か、とは?」
首を傾げるディルクの前に、すっとオルフェが一枚の紙を差し出した。
「これは……」
「さっき上がってきた、スリヴァルディ領のここひと月の犯罪数。分かるでしょ? 信じられないくらいに跳ね上がってる」
ディルクは絶句し、紙面を見つめる。
現在スリヴァルディ領を治めているのはディルクの父親だ。厳格な性格が影響してか、スリヴァルディ領の刑罰は厳しめで、寧ろ安全な領だと思っていたのに。
「いえ、自分は、何も……」
「……犯罪が増えているのはスリヴァルディ領だけではない」
フリードが口を開いた。
事態を憂うようにその深い青が細められる。
「他にも複数の領から同様の報告が来ている。フェロニア王国の北部を中心に、どれもひと月ほど前からだ」
とん、と細く白い指が卓上を叩く。
「すぐに調査団を送る。お前からも直接、スリヴァルディ家に文を送って貰いたい」
「は、はい!了解いたしました!」
ディルクが去っていった扉を見つめ、フリードは険しい顔つきで思案する。
(スリヴァルディ領は国内でも犯罪が少ない印象があったが……どうしてここに来て……?)
それに、複数の領で同時にというのならば余計に不可解だった。
(今年は特に市場が高騰したわけでもない。スリヴァルディ領での条例の改正等もない。貧困層への手当も例年通り……)
国内での問題は無い、となると。
(外部から、何かが……?)
その時、扉が控えめにノックされた。
「オルフェ」
「はいはい。……はーい、何かな~?」
フリードの声にオルフェは立ち上がり、来客の対応をする。
扉を開けると、メイドがきっちりと礼をした。
「シュトルンク様がご到着なさいました。お通ししても構いませんか?」
メイドに連れられてきたのは、燃えるように赤い髪を持つ大柄の男。眼光は鋭く、額には戦場で負った一筋の古傷が残る。
歳は四十後半で、歴戦の猛者を思わせる覇気を纏っていた。
「これはこれは、お早いお着きで。久しぶりですね、インメルマン騎士団長」
「おう。久しいな、オルフェ坊」
「いや、僕もう二十二なんで坊はやめてください……」
「はっはっは! 二十そこらなんざ、まだまだ餓鬼と同じよ! 俺ももう五十になるが、この通り、ぴちぴちだしな!」
ばちん、と背中を叩かれれば肺の中の空気は一瞬で外に押し出された。オルフェは体を折り曲げむせ返ることになる。
「ぐっ……!? げほっ、ごほっ、ちょ……っ、自分が怪力だってこといい加減覚えてくださいよ……!」
「はっはっは、すまんすまん! もう歳だから最近物忘れが激しくてな!」
「都合のいい時だけ年寄りにならないでください! っていうか流しちゃったけどどこがぴちぴち!? ごつごつのおっさんが」
オルフェは涙目で背中をさするが、男は歯牙にもかけない。
────インメルマン・シュトルンク。
現第一騎士団長であり“王立騎士団最強”を冠する男である。
戦で挙げた武功は数知れず。
その赤い髪を燃え盛る焔になぞらえて、賜った二つ名は『焔帝の騎士』。
第一騎士団長には二つ名が与えられる慣習がある。
ただひそれには『王』や『帝』といった言葉は使ってはならないという仕来りがあるのだが、インメルマンは歴代でただ一人『帝』を名乗ることを許された騎士団長だ。
性格は豪放磊落。
統率力に優れ、騎士団内でも彼のためにならば喜んで死ぬと言う熱狂的な信者がいる。
インメルマンが執務室を訪れたのは他でもない、フリードのお呼び出しである。インメルマンもまた北方の伯爵家出身なのだ。
「ほれ、フリードリヒ殿下が中で待っとるんだろうが、案内せんか」
「みんなして僕の扱いが酷い……」
オルフェはそっとハンカチを取り出し、涙を拭った。




