21話 過剰なのは疲労の他にも
ボリスの教え方は上手かった。
性格が残念なので忘れそうになるが、やはり幼い頃から“神童”と言われてきただけのことはある。
「んーー、まあ、前よりは良くなったな」
語学教師は相変わらずどうでも良さそうに言ったが、以前のゴミを見るような目からは大進歩だ。
ボリスのお陰で少しコツが掴めたのかもしれない。
一朝一夕にはどうにもならないが、前進はしている。
フィアナは満足気な顔をしながら今日も王宮の廊下を疾走していた。
付け加えると、走っているのは普段使用人が通る廊下で、許可も取っている。
以前近道をしていたオルフェに目撃されてしまったが、それ以外で問題視されることはない。
フィアナが走りながらメイドに会釈をするのが普段の光景になりつつあった。
「……っ、ディルクさん、お疲れ、っ様です……」
「そちらこそお疲れ様ですフィアナさん。息を整えてからで良いですよ?」
「い、いえ……」
ギリギリで訓練開始に間に合い、すぐに準備をする。
公爵夫妻が帰国して三日。マンデル祭りまでは残り一週間である。警備体制も発表され、その為の演習を連日行っていた。
「……フィアナ」
名前を呼ばれて振り返る。
「ボリス先輩。お疲れ様です」
「疲れてんのはお前だろ……。顔色悪ぃぞ、大丈夫なのか?」
そういえば、少し頭がぼうっとする気もする。
(……いや、このくらいは平気だ)
自分の分は弁えているつもりだ。本当に倒れそうになったら分かる。
師匠の元にいた頃、失神はしょっちゅうだったので嫌でも感覚が掴めるようになったのだ。
「お気遣いありがとうございます。ですがまだ問題ありません」
「本当か?」
疑わしそうなボリスの目。
フィアナは身の潔白を証明するように手を広げた。
「この通り、なんともありません」
「そう……か? やばそうだったら言えよ」
ボリスもしぶしぶ納得してくれたようだ。遠くで見ていたらしい年嵩の第三騎士団員がやってきた。
「フィアナ君があのボリス君と親しいと聞いて正直想像がつかなかったが、本当に普通に話す仲なんだな」
「あ、ええ、まあ……」
気まずげにボリスが頷く。
フィアナの物言いたげな表情にふいと目を逸らし、ぎくしゃくした動きでこの場を離れていった。
「おや、何か悪いことを言ってしまったかな……?」
これは申し訳ないことをした、と年嵩の騎士は頬を掻く。
第一騎士団のこのくらいの年齢の者は豪快だったが、やはり貴族の出だと振る舞いが違うものだ。
「まあ、ボリス先輩は色々めんど……難しい人ですから」
「今、明らかに言い直」
「あっもう始まりますね」
「もしかして面倒く」
「前向きましょうか」
フィアナは強引に会話を切り上げた。
丁度よく訓練が始まる。
決められた位置に整列をし、ディルクの指示に耳を傾けた。
(というか、私はこの指示の出し方も今の内に覚えておかなければならないのか……?)
ここでフィアナは、第三騎士団長の仕事をまだ何一つ教わっていないという恐ろしい事実に気がついてしまう。
叙任式まではあと五ヶ月程である。
ディルクがまだ何も言ってこないのは、今のフィアナにはとても教えられないということなのだろう。
語学の学習や他国の階級の暗記に忙しいときに教えても、身につくはずはないと。
しかし、猶予がないのも事実。
「…………頑張ろう」
根性論は好きではないフィアナも、最早そう呟くしかない。
取り敢えず、訓練内容を考えているのは誰か終わったらディルクに聞いてみようと思った。
「お、今日は気合が入ってるな」
フィアナの呟きを拾ったのか、隣にいた若い騎士がこちらを見下ろした。
子爵家の三男だという彼は、年が近いこともあってよくフィアナを気にかけてくる。
「ええ、まあ……」
軽い会釈で肯定したが、いつも訓練には手を抜いていないつもりだ。
フィアナは普段から無表情なせいか、『一生懸命』を読み取ってもらい辛い。
本人は真面目にやっているつもりでも、周囲には涼しい顔で流しているように見える時があるのだ。
問題はフィアナにあるので、それを不満に思ったことは無い。だが、それで周囲に不快な思いをさせてしまうのは不本意だった。
(これも、頑張ろう…………いつか)
直感的に面倒だと判断したフィアナはあっさりと後回しにする。今はもっと優先すべきことがある。無表情はすぐに治るものでもないし、期限も無いし、後でいいだろう。
フィアナは一人頷く。……同じ思考に騎士学校に入学してすぐにたどり着き、未だ解決していないわけだが。
「では、各自二人組を作れ」
凛と響いたディルクの声に現実に引き戻される。
(……頑張ろうと思った矢先に気が逸れてたな)
フィアナは若干反省した。訓練場で気を抜いて怪我でもしたら迷惑を被るのは周りだ。手当に人も時間もかかるし、何より士気が下がる。
頭を振って余計な考えをふるい落とすと、フィアナはボリスの元へ向かった。
「今日はよろしくお願いします」
「おう」
ちなみに、二人組はいつも同じではなく、決められた周期で決められた人と組むようになっている。
同じ相手とばかり訓練していてもあまり意味が無いからだ。
騎士学校時代はフィアナとボリスはよくペアになっていたが、それは周囲と二人の実力差が大きく、より意味がなかった為に仕方なくである。
「さっきも言ったけど、無理はすんなよ」
「大丈夫です。始めましょう」
「……分かった。気、引きしめろよ」
「はい」
ボリスが両手剣を構えた。
フィアナもボリスのものより細身の剣を構える。
どちらも刃は潰してあるが、打撲や骨折をすることは十分に有り得る。
フィアナはすっと息を吸い込み、神経を研ぎ澄ませた。
ふらり、と特有の足捌きで揺れるように横に動きながらボリスの出方を見る。
常に動き、攻撃に転じる時を相手に悟られないようにするようにと教わった。
それから緩急をつけた動きで相手を翻弄し、突くか掻き切るかの急所一撃。
フィアナの腕力では普通に斬っても傷が浅いからだ。
だが、いつも自分の得意な戦法で戦えるとは限らない(というか訓練でそんなことをすれば刃は潰してあるとはいえ最悪ボリスが死んでしまうのでできない)。
なので訓練では、フィアナが苦手とするような真っ向からの打ち合いをすることになる。
戦い方によっては騎士団でも指折りの騎士であるボリスに勝利できるフィアナだが、それ以外では中の上程度の実力だ。
(私は所詮女の身体。限界はあるが……それでもまだ頭打ちという訳では無い)
それに。
(優秀な先達が、こんなに近くにいる)
フィアナは歯を食いしばり、ボリスの剣を押し返すと、自身から果敢に攻撃を仕掛けるのだった。
訓練が終わり、少しだけ休憩してから行こうと思ったフィアナは壁に凭れ掛かるようにして座っていた。
(次は書物庫へ直接行けばいいんだったか……。そこまで離れていないし、まだ余裕があるな)
余裕があると言っても、三分程度の休憩だが。余裕って何だったっけとフィアナは遠い目をする。
そのとき、模擬刀を戻したボリスが戻ってきた。
(ん?)
こちらを見て目を見開いたボリスに、フィアナが怪訝な顔をすると、
「フィアナ!?」
何を思ったか、突然ボリスがこちらへ駆けてきた。
「どうしたんですか」
「お前やっぱり具合が悪いのか!?」
「だから大丈夫ですって」
「だってお前が座り込むなんて」
「流石に疲れました。でも大丈夫です」
どうやらフィアナが体調不良でへたりこんだと勘違いしたらしい。根気よく説明し、休憩しているだけだとなんとか理解してもらう。
「本当に平気ですから……では、そろそろ行きますね」
ボリスが大声を出したので少し目立ってしまった。
居心地が悪くなったフィアナは移動しようと立ち上がる。
「…………っ」
すると軽い立ちくらみがし、少しよろめく。
眩暈自体はすぐに収まったのだが、問題は────。
「フィアナ!?」
「いやっ、今のは違っ……!」
いよいよ狼狽し出したボリスである。
いや、狼狽を通り越し混乱している。
「ふらふらじゃねえか! いい加減休め!!」
「ふらふらではありません! ふらっとしただけです!」
「かなりぐらっとしてただろ! 倒れんぞ!」
「ちょっとくらっとしただけですよ!」
擬音語だらけの頭の悪い会話をしながら、結局フィアナはボリスによって医務室に強制送還されるのだった。




