2話 訪れたのは
二日前までは、何の変哲もない毎日が続いていたのだ。
強いて言うならば、先日王族の前で御前試合をしたことくらいか。
フィアナはぼんやりと数日前のことを思い出す。
御前試合を無事に終え、騎士学校はいつもの日常に戻った。フィアナは午前の座学を終えて、午後からの剣術の訓練を受けていた。
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『お、おい……あれ、騎士団のお偉いさんじゃないか?』
一人の声に皆が振り向く。
立っていたのは二人の男。襟章は、かなりの高位を示すものだった。
(何故こんなところに……? もしや、先日の御前試合で、何か不備があったのか……?)
運営には、騎士学校の最高学年である六回生も一部携わっている。その一人であるフィアナは少しひやりとした。
(いや、それならわざわざ出向いたりせず呼び出すだろう。あちらから足を運んだということはよっぽどの緊急事態なのか?)
男達は訓練場を見回すこともなく、真っ直ぐにどこかを目指して歩く。
誰か個人に用があるようだ。
(それにしては見つけるのが早い……というか、これ私の方に来ている気が……?)
フィアナは飛び級している為、皆より二つ下の十六だ。女子生徒が少ないこともあり、小柄さが目立つ。加えてこの銀髪である。
この沢山の生徒達の中でも、フィアナを見つけることだけは容易だろう……などと考えていると。
(もう目の前まで来てるし……)
案の定、用があるのは自分にらしい。フィアナは顔を引き攣らせた。
『フィアナ・シルヴィアだな?』
『……はい』
『王がお前を招喚している。急ぎ王宮まで来てもらいたい』
『国王陛下が……!?』
ざわめきが広がる。フィアナ自身も混乱していた。
騎士学校生に対し王からのお呼び出しなど、聞いたことがない。
『何かの間違いでは……』
言いかけたフィアナの目の前にずいと出されたのは玉璽の押された勅書。
これを見せられては何も言えない。
『謁見は明日だ』
『……了解、致しました』
『何事ですか!?』
騒ぎを聞きつけた学校長もやってきた。今回の来訪は本当に突然だったらしく、なにやら揉めていた。しかし、なにせ勅命である。
従うほかなく、フィアナは王宮に連行され服を剥かれ、あれよあれよという間に謁見の間へ放り込まれたのだった。
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「部屋に用意されていた服が王立騎士団の制服の時点でおかしいとは思ったんだ……」
言い訳のように呟く。
部屋を与えられ押しこめられたフィアナは、上等な椅子に座って考え事をしていた。
しかし落ち着かない。
一人で一体何に使うんだというほど部屋が広いし、調度品が見るからに高価でおちおち触れない。
女中は何かあれば呼んで欲しいと言っていたが、畏まられすぎて、かえって居心地が悪い。
(完全に師匠に毒されているな……)
あの小間使いのような日々のせいで、 誰かに世話してもらうことに違和感しか覚えない体になってしまった。
(というか、こんなことになったのも全てあの馬鹿の所為のようだし)
何を考えているのか全くわからない。
フィアナが苛々と椅子の淵を指で叩きながらため息を吐き出す。すると突然、やけに軽い音が聞こえてきた。
コンッ、コン。
首を傾げる。王宮勤めのメイドにしては品がない。
不審に思い立ち上がったフィアナは、続いて聞こえてきた声にぴしりと固まった。
「フィ・ア・ナ・ちゃーん。いる?」
「…………」
無言で、立て掛けていたレイピアを手に取る。
今フィアナが王宮にいることを知っている者は少ない。 元からいる騎士団員とのいざこざを防ぐためだ。メイドにも口止めがされていたはず。
部屋まで知っているとなると、王宮でも上層部の者になる。
だがしかし。
そんな重職のやんごとなきお方が、『フィアナちゃん』などと言うだろうか。
もっというと『フィ・ア・ナ・ちゃーん』である。
言うだろうか。いや、言うはずがない。
(じゃあ、今こちらに呼びかけているのは何者……?)
声からして若い男だ。
(どうする……曲者として捕らえた方がいいのか。だがもしも、万が一本当に貴いお方だった場合私の首が)
「あれ~? いない? 僕、しょんぼりしちゃう」
( いや、これはないなこれは不審者に違いない)
確信したフィアナはスッとレイピアを抜き放ち、ドアへと向けた。
「いえ、居ります。鍵は開いていますので、どうぞお入りください」
すぐに、勢いよくドアが開いた。
「わぁい会いたかっ、たぁぁあぁあ!?」
男は自らレイピアに串刺しになりそうになり、急停止する。
フィアナは切っ先を喉元に突きつけ、脅すこともなく壁際まで追い詰める。
「えっ、あっ、刺さっ、ちょっ、待っ、フィアナちゃーん……?」
「黙ってください」
くいとレイピアを動かし男の顎を上げる。
「ひぃぃい!? ちょっと待って!? ちょっと待って!? 一旦落ち着いて!?」
「落ち着いています。口を閉じてください不審者」
フィアナの瞳に怒りはないが慈悲もない。ただ、冷静に男を観察している。
男は声通り年若く、二十ちょっとくらいに見えた。
柔らかそうな髪は明るい茶で、瞳はセピア色。若い女性受けが良さそうな顔立ちをしている。たれ目がちで、真面目な顔をしていれば色香が漂いそうだ。
「不審者!? どこが!?」
「ご自分で分かりませんか?」
「…………ウン、確かに不審者だね……あ! でも! 見て見てほら! 肩章肩章! 見たことない?これ」
「肩章……?」
涙目の男の言う通りちらりと目をやる。
金糸で縫われた、本に絡みつく蛇の紋章には、見覚えがあた。
大陸でも名の知れた、《アドリオン商会》の紋章だ。
「え……?」
王宮で『アドリオン』と言えば、一人しかいない。
冷たい汗が背中を伝った。
「あ、分かってくれた? 第一王子殿下が側近、オルフェ・アドリオンでーす!」
あっけらかんと言い放ったオルフェに、一瞬思考が停止する。
オルフェ・アドリオン。
大商会《アドリオン商会》の一人息子。商会は先代から王家と深い繋がりがあり、伯爵位を与えられている。
オルフェ本人も有能で、幼馴染みということもあり随分前から第一王子殿下の側近を務めている。
簡単に言うと、王宮にいる人物で王族を除くと最も地位のある人物の一人だ。
「し……っ、失礼致しました!」
フィアナはレイピアを下ろし、膝をつく。
「申し訳ありません! よもや第一王子殿下の側近殿があのような奇行をとられるとは夢にも思わず……!」
「いいよいいよ、僕が悪いんだし。謝罪されたはずなのに何故か心が傷ついたけど気にしないで?」
混乱してつい本音を言ったフィアナに、オルフェは胸を押さえながらへらりと笑った。
「ほら、顔上げてよ。いや~よかったよかった。あの『神喰いの悪鬼』の唯一の弟子って聞いたからてっきり腕が太ももぐらいの太さのゴリラかと思ってた」
「どんな偏見ですか」
というかそんな女に会うのにあのテンションだったのか。
『神喰いの悪鬼』とは、通り名の一つである。数ある中でもこの呼び名は様々な国で通っているようだ。
ちなみに、いずれの名にも『鬼』が共通している。
「あはっ冗談冗談! 君のことは少し調べたからね~。ちゃんと可愛い子だって知ってたよ!」
軽い調子で言い、「じゃあ行こっか」とオルフェは廊下を指した。
「何処へでしょうか?」
「フリードんとこ」
怪訝な顔をしたフィアナに、ごめんごめんとオルフェは笑った。
「フリードって、フリードリヒ殿下ね。ほら、幼馴染みだからさ。君が伝説の武人の唯一の弟子なら、僕は氷の王子殿下の唯一の親友!」
どん! と胸を叩くオルフェに、フィアナは「はあ」と曖昧に頷いた。
(フリードリヒ殿下か……)
フェロニアで王位継承権を持つ王族は四人。王女三人と、王子一人。その王子がフリードリヒ・クロイツ・フェロニアである。
十六のときに正式に次期国王に指名されている。
国中の美女を見た好色の王に『国一番の美人』と評されるほどの優れた容姿を持っているそうな。
その能力も秀逸としか言いようがなく、政治にも軍事にも関わっている。これまた国王に、『あいつがもう二人いたら宰相と軍師を任せて、大陸を落とすこともできる』とまで言わしめた。
ある意味国王よりも高名な方である。
「まー、ちょっと難しいやつだけどね」
オルフェは日々向けられている氷のような眼差しを思い出し苦笑した。
「でも、悪いやつじゃないから。ほんとは明日でもいいんだけど、早く会わせたくってさ」
オルフェは唇に指を当て、悪戯っぽく微笑んだ。