19話 思春期少年の純情
フィアナは五歳の頃から師匠の元で訓練を受けており、騎士学校に入る時には既に八年間、大陸最強の男に育てられている。つまり、強いのは当然といえば当然なのだ。
しかしそんなことは知らない生徒達はフィアナの実力に大騒ぎとなった。
(そういえば、初対面のとき……)
回想しかけた思考は、冷めきった声により現実に引き戻される。
「ボリス先輩は騎士団でもお変わりないようですね」
「お前には言われたくねぇよ……」
初めて会ったときからフィアナはフィアナだったと思う。
いつも無表情で淡々としているので、ボリスは正直苦手だった。なんだか、見下されているような気がして。
「騎士団では友人はできましたか?」
「はっ、はああ!? おおお大きなお世話だ、い、いるっつーの!」
「……すみませんでした忘れてください」
「なんで謝った!? おいこっち見ろ!!」
いや、気のせいではないかもしれない。
事実、見下されているかもしれない。
「……でも、私も人のことは言えませんね。騎士学校で一番親しかったのはボリス先輩だったと思います」
「そ、そうなのか? まあ、そう言われて、悪い気は、しねえな……」
「遺憾です……」
「なんでだよ!? 悪かったな俺なんかで!」
喜んだり怒ったりとボリスは忙しい。
フィアナはあからさまにため息をついた。
「騎士団の皆さんの前でも普通に話せばいいと思います」
「ぐっ……」
ボリスが呻いた。心当たりがあるらしい。
何故かボリスは、他人の前ではクールぶっているのだ。
騎士団の年嵩たちは青臭い若者が好きそうだから、寡黙 (もどき)なボリスを『生意気な小僧』呼ばわりしていたのだろう。
(理解出来ない)
フィアナの前でだけはよく喋る。理由を聞いても、『こんなはずじゃない』とか『本当は逆だった』とかよく分からないことを口走る。
「もともと意地っ張りなんですから、さらに取っつきにくいと誰も寄り付きませんよ」
「誰のせいだと……っ」
言いかけて、ボリスは慌てて口を塞いだ。
「どうかしましたか」
「お、お前が口数が少な……が、……きだって言ったから……」
「はい?」
怪訝そうな顔をすれば、「何でもねえよ!」と逆ギレされる。誠に遺憾である。
「それよりも! なんで俺を呼び出したんだ?」
「相変わらず誤魔化すのが下手ですね」
「流してくれよ頼むから……! 用があるんだろ?」
「……はい。実は」
懇願され、追求するのも面倒で、またそこまで興味もなかったフィアナは本題に入る。
「今、語学を習っていて……リュネット語なんですが」
「ああ、リュネット語はフェロニア語にはない発音が多いからな……。リュネット王国には行ったこと無いんだったか?」
「ありますが、あまり滞在しなかったのと、ラフィオーレ語がそこそこ通じたので、習得しませんでした」
フィアナは十三歳になるまで師匠と各国を回っていた。
その為語学は得意なのだが、リュネット語は今まで習ったこともない。
「それで、語学教師の方がボリス先輩を推薦されました。先輩の発音が良いので、是非教われと」
本当は、
『俺は天才だからお前が苦労している理由が分からん。ボリス・ハルナイトも才能はあるが習得までに俺よりは苦労しただろうから、少しは参考になるだろ』
という腹が立つ理由も付け足されていたが、これはまあ言わなくて良いだろう。
「俺が教えるのか? いつ?」
「夫人が滞在している間……ボリス先輩が休暇として与えられている時間ですね」
「物凄く申し訳なくなさそうにいうなお前」
フィアナは一度目を閉じ、脳内にある『ボリス先輩の扱い方メモ』を開く。それから大真面目な顔で言った。
「ボリス先輩は剣術も凄いのに語学も堪能だなんて憧れます」
「な、なんだよ急に……」
「事実を言ったまでですよ」
目は泳ぎ、頬ははっきりと赤く染まっている。
フィアナの目がきらりと光った。
「お願いします、“先輩しか”頼れる人がいないんです」
「そ、そうか? それならまあ、仕方ねえな……」
『ボリス先輩の扱い方メモ』はたったの二項。
・とりあえず褒めろ。
・分かり易く頼れ。
「ありがとうございます。(先輩が単純で)良かったです」
フィアナは心からのお礼を述べた。
まんざらでもなさそうなボリスと、生暖かい視線を送るフィアナ。誰も不幸になっていない。
「ま、まあ、後輩の頼みを断るのも忍びないしな。任せとけ!」
こうして、フィアナはごく簡単にリュネット語の臨時教師を手に入れたのだった。
◇◆◇◆
「ボリス先輩、ありがとうございました。また明日もよろしくお願いします」
「おう、またな」
軽く手を上げて部屋を後にし、颯爽と長い廊下を歩き角を曲がる。ちらりと覗き込み、フィアナが部屋から出ていないことを確認したボリスは、壁に手をついた。
「はぁぁあぁ……」
大きく息を吐きながらしゃがみこむ。
ばくばくと鳴り続ける心臓は未だに収まる気配がない。
(なんなんだよ……)
帰ってきたら突然、フィアナが第三騎士団に入隊? しかも次期第三騎士団長?
驚くことは小出しにして欲しい。心臓が持たない。
(だけど……あいつは変わってなかったな)
顔に出ていないだけで本人も不安はあるのだろうが、憔悴した様子はなかった。相変わらず神経が太い。
いつからだろうか。
最初はあまり好きではなかったフィアナを、目で追うようになっていたのは。
「……成長期の一年って、でかいんだな」
中身は変わっていなかったが、見た目は大分大人びて見えた。身長も少しは伸びただろうか?
騎士学校では、フェロニアの女性の平均身長より若干小柄であることをフィアナは不満げにしていた。
『理想を言うなら先輩くらい欲しかったです』
ボリスが、それは大きすぎだろうと言えば、剣を持って対峙した時に男とのリーチの差が試合の度に感じられるとフィアナは返した。
やはりフィアナは普通の女子とは感覚が違うようだ。
“強さ”に対する執着というのか。
フィアナはそれが異常だと言ってもいい。
東大陸出身の者にまで教えを乞うているのがそれを如実に表しているだろう。
ボリスは、騎士学校での対戦でフィアナに敗れたことはない。それは自分がフィアナより強いからだと思っていたが、もしかすると、向こうが本気を出し切れていなかったからなのかも知れない。
騎士学校で習う型では腕力の弱く間合いの狭いフィアナは不利になる。
しかし御前試合で見せたフィアナの戦い方は、レイピアの他に短剣を用いたごく近距離で展開されるもの。
大きな両手剣ではフィアナの攻撃は捌きにくく、ボリスの攻撃は、短剣と曲線的な体術で受け流された。
(あれは一年やそこらで身につけられるものじゃない……。多分、俺が騎士学校にいた頃から既にあいつはあの戦い方を学んでいたはずだ)
そして、『一番親しかった』というボリスにもそのことを話さなかった。
そのことに気づいた時、足が止まり、結果なす術なくフィアナに負けた。
初めて負けたということよりも、フィアナが自分の知らない姿を見せたことがショックだった。
「……あいつ、何が目的なんだ……? 騎士団での出世には興味ねえみたいだったし……」
騎士学校卒業後、平民は殆どがそのまま王立騎士団に入る。
貴族出身の者は家に引っ込んでのんびりくらしたり、家の付き合いで貴族の私立騎士団に入ったりする場合もあるが。
「俺にも教えるつもりは、無いんだろうな……」
呟いた言葉が、小さな痛みを伴って胸に沈む。
「何で……いや、御前試合では負けたし頼りねえのかも知んないけど俺だって────」
そこまで呟き、ボリスは微かに気配を感じ勢いよく振り返った。
「おっ、気づいた? さっすが~」
綺麗なウインクをかましてくれたのは、壮絶に嫌な予感のする人物。
「オ、オルフェ様……」
「ひっさしぶりだねボリス君。フィアナちゃんにはもう会った? うん、会ったよね~。部屋に入るの見てたー」
面倒臭いノリ全開のオルフェに、ボリスはじりじりと後ずさった。
「あ、懐かしーい僕もあの辺でそんな動きしたよ初対面のフィアナちゃんに不審者だと思われてレイピア喉に突きつけられてさいやぁびっくりしたよねあっはっはっは」
「ノンブレスで楽しげに言うことですかそれ……」
一気に疲れたボリスはどうやって逃げようか思案していたが、意外なことにオルフェは「じゃあ僕はこれで」とあっさり引いていった。
「あ、それから」
すれ違いざま、ぽんと肩に手を置かれる。
「僕、色恋沙汰には人一倍敏感なんだよね~」
「……!?」
意味を理解し顔を真っ赤にして石化するボリスに、ひらひらと手を振ってオルフェは去っていった。
「……えっ、なんっ、え、バレ……っ!?」
ボリスが活動を再開できたのは、この後、通りすがりのメイドに肩を揺さぶられたときだった。