18話 再会
勢いよく開かれたドアに、フィアナは眉をしかめた。
憤りをこれでもかというほど表す乱暴な足音は遠くから聞こえていたので、驚きはしない。
ましてやドアを開けたのが、元々会うことを約束していた人物となればなおさらだ。
「……何をそんなに怒っているんですか」
だからフィアナは他に言うこともなく、率直な疑問を口にしたのだが、ドアを開けた青年のこめかみがピクリと動いた。
そして赤茶の目を吊り上げ、怒鳴る。
「いや、分かるだろ! ってかまず言うことあんだろ!」
「おはようございます」
「ああ、おはよう。……ってそうじゃねえよ!!」
「任務お疲れ様でした」
「ああ、お疲れ。……ってだから違う!!」
首を傾げるフィアナに業を煮やし、ついにボリスは堪えきれず叫んだ。
「なんでお前が騎士団にいるんだよ!? 説明しろ!!」
「ボリス先輩、お静かに」
フィアナは表情を変えずに言い、後ろに回ってドアを閉める。
ボリスは後輩からそんな注意をされたことに微妙な顔をしたが、疲れているのか何も言わなかった。
「ディルクさんからの説明はありませんでしたか?」
椅子を勧めながら自身も座る。ここはフィアナの自室だ。
今日は、あの語学教師は用事があるとかで王宮にいない。
そしてタイミングの良いことに、昨日の夕方に治水工事の進捗状況を確認しに行った騎士たちが帰ってきたのだ。
フィアナはリュネット語を教えて貰うためメイドにボリスを自室へ呼んでもらった。自身から行くべきだとは思うが、迂闊に出歩くと夫人に遭遇する。とても、そんな気がする。
「いや、一応説明はあったけど……。ディルク副団長は『最近第三騎士団に入った。次期第三騎士団長になる。顔見知りだろうから、フィアナさんの面倒を見てやってくれ』としか」
「……なるほど」
それは確かに、とてもざっくりしている。もしやあの青年、爽やかで真面目な顔をしておきながら説明を面倒くさがったのだろうか。
これでは出張のせいでフィアナが王宮に来たことすら知らなかったボリスには意味不明だろう。
「師匠が陛下に何か吹き込んだようで……それ以外は私も把握できていません」
「師匠って……ああ」
騎士学校時代に師匠の極悪非道な行い(十歳のフィアナを見知らぬ土地に置いて帰る。その際、気分で薬を盛ったりしてみる。など)について聞いていたボリスは、何となく理解したようだ。話が早くて助かる。
「叙任はいつだ?」
「第三騎士団長の叙任は半年後ですが、第三騎士団の騎士としての叙任ならば」
「誰に?」
「……フリードリヒ殿下です」
ボリスは瞠目した。
フィアナは逃げるように目を逸らす。
「陛下じゃなくてか? 国王と次期国王公認なのかよ」
「いえ、フリードリヒ殿下は……」
言いかけて、口をつぐむ。
(そういえば、フリードリヒ殿下はこの人事をどう考えているのだろうか)
最初は、当然反対なのだろうと思った。
そしてあの叙任式は、フィアナがハールマン侯爵に処刑されるのを庇っただけだと受け取れる。
では、その直後の『もう後戻りはできない』という言葉の真意は。
「フィアナ?」
怪訝そうな顔をしたボリスに、フィアナは「分かりません」と返した。
「え?」
「フリードリヒ殿下のお考えは分かりません。私のことは良くは思っていないと思いますが、追い出したいと考えているのかは」
感情が奥底で凍りついたような深い青の瞳を思い出す。
フィアナでは、あの凪いだ目からは何も読み取れない。
というより、今回の件ではフリードの行動は一貫性に欠けているのだ。
(オルフェ様も戸惑っていたような……)
二十年以上共にいるオルフェでも分からないとは。
(もしかして、自身ですらまだよく解っていない……とか。いやそれはないか)
恐ろしい程に理知的なフリードがこの程度のことで自身の感情を見失うはずがないと、フィアナは軽く頭を振った。
こんなことを考えていても仕方がない。
「……挨拶が済んでいませんでしたね」
フィアナはすっと立ち上がり、深く礼をした。
「改めて、お久しぶりです、ボリス先輩。これからは第三騎士団の後輩として共に剣を磨かせていただきたく存じます。顔見知りである先輩には、つい頼ってしまうことが多いかもしれませんが……」
後半は特に強調していった。
ボリスは険しい顔をしている。多分頬が緩むのを堪えているのだろう。とても分かりやすい。
「これから、どうぞよろしくお願い致します」
「……妙なところで律儀だよな、お前」
「そうでしょうか」
フィアナはしれっとした顔でとぼける。
「まあ……ともかく、またよろしくな。俺のことは今まで通りに呼んでくれていい」
「分かりました」
ここで、ボリスは思い出したように不満そうな目で頭を搔いた。
「……そういや、お前。御前試合のとき……あの……」
ごにょごにょと言い淀むボリスに、フィアナは半眼を向ける。
「何でしょうか?」
「だからっ、その……なんだよ、あの型」
何を言われているのか分からず、数度目を瞬く。
「ふにゃふにゃした剣術の型だよ! あれ騎士学校で習うやつじゃねえだろ」
「……ああ、そういうことでしたか」
確かにあれは東大陸からきた師匠に稽古してもらったものだ。ちなみにこっちの師匠は鬼畜ではない。
あまり口数は多くないが、教え方が丁寧で自身もすこぶる強い、理想的な師匠である。
初めて稽古をつけてもらった時は、鬼畜のほうの師匠との差に愕然とし、普通に泣きそうだった。
今でもフィアナが唯一熱烈に慕っている人物でもある。
「なんで騎士学校では使わなかったんだよ」
「騎士学校で習わないからです。教えてもいない型を使われても教官が困るでしょうし、失礼にあたるかと考えました」
それに、この国で東大陸の武術を織り交ぜながら戦う者などほとんどいない。訓練しても他の生徒たちのためにならないということもあり自粛していたのだ。
「それは、そうだけど。でも……その、俺には……教えてくれてもいいだろ……」
目を逸らしたまま、ボリスがぼそりと言った。本当に言いたかったのはこのことらしい。
(ああ、なんだ)
フィアナは呆れたように息をつく。
「見たことない型のせいで御前試合で私に負けたこと、根に持ってるんですか?」
「ねっ、ねねね根に持ってなんてねえし!!」
ボリスは顔を真っ赤にして即座に否定した。
最早、そうだと肯定されるよりも分かり易い。
(ああ、うん、こんな人だったな。ボリス先輩)
懐かしさから思わず目を細めたが、さらに馬鹿にされたと思ったらしくボリスが何か言っている。
フィアナはさらりと聞き流した。
「おい、聞いてるのかフィアナ!? まったく、お前はいつもいつも……」
ボリスはぶるぶると拳を震わせる。
「ああ、そうだよな。こんな奴だったよな……フィアナは」
相手も同じことを考えていることなどはつゆ知らず、ボリスため息をつく。
振り回されてばかりな気がしてならない。
十七の春に、フィアナと出会ってからずっと。
────ボリスは、“神童”と言われていた。
名門伯爵家に生まれ、十三で王立騎士学校に入学し、本来六年のところを飛び級により四年で卒業した。
成績も常に主席をキープし、卒業前に既に第三騎士団に入ることも決まっていた。
一番下の学年である一回生のときから周囲に持て囃されていたボリスが初めて挫折を味わったのは、最高学年の六回生に上がったときのこと。
『おい聞いたか!? 今年の新入生にすごいのがいるらしいぞ!』
そんな同期生の言葉を耳にした。
入学試験の成績により、入学と共に二回生に飛び級した者がいたのだ。
異例の事態に学校は騒然。注目は、ボリスから一気にその生徒へと移った。
『どこの貴族だ!? ディスク様の弟はまだ入学できる年齢じゃないだろう?』
それがディルクの家のような武術の名門のご子息などならば、まだ良かったのだろう。
しかしその生徒というのは、平民出身で女子生徒。
それがフィアナだった。