17話 お茶会のその後
夫人は五日間フェロニアに滞在するらしいが、フィアナは夫人の護衛からは外された。
正確に言えば、外してもらった。
「どうした?やけに戻ってくるのが早いな。俺が恋しくなったのか?」
「理由は説明したはずです」
開口一番不愉快なことをのたまった男を冷たい目で一瞥する。もっとも、視線ごときでダメージを負ってくれるような繊細さを持ち合わせた人物ではないが。
「貴方に会いたいなどと言った教え子がかつて居ますか」
「……いるぞ。毎日手紙と、使用済みのネグリジェやら自分の髪の毛で縫ったハンカチやらが届くんだよほんともう勘弁してくれ……」
知りたくもない情報を入手してしまった。
確かにこの語学教師は顔はいい。
ただ、フィアナは性格が最悪なことを知っているので、女性に人気だと以前にオルフェから聞いたとき「何を血迷ったことを」と鼻で笑ってしまったが、熱烈なファンまでいるようだ。
「……で、そんなことはどうでもいいのですが、課題になっていた本のここの文法は……」
「そんなことってお前……」
繊細さの無い男に繊細な気遣いをするつもりは無い。フィアナはさっさと教本を広げ、語学教師の前に差し出した。
せっかく護衛任務から外してもらったのだ。きちんと勉強をせねば筋が通らない。
────あのお茶会が終わったあと、フィアナはフリードに話があると呼び出された。
話とは夫人のこと。
このまま傍で護衛を続けたとして、夫人が今後フィアナに関わらないと思うかどうか、という内容だった。
フリードとフィアナの見解は一致し、即決で「あの夫人が関わってこないはずがない」と頷きあった。
反省はするようだが、今後の行動に活かしてくれる気がしない。
もう同じ過ちを繰り返すものかという方針で決定し、フィアナは夫人が滞在している間は、大人しく語学の勉強漬けになることになったのだ。
以前よりも剣術の訓練より語学の勉強の比率が増えたので、フィアナは若干ストレスが溜まっている。
「そうだな。ここは逆接になってて……ああ、筆記はまだ大丈夫なのか、お前」
出されていた課題を見てもらっていると、語学教師はうーんと唸った。
「やっぱ本場の発音聞くのが一番だな。公爵夫人のリュネット語聞いたりしなかったのか?」
「いえ。会話は全て流暢なフェロニア語でした」
フィアナの言葉に露骨に眉をしかめ、使えねえなとばかりに舌打ちをする。
「チッ。いい機会だったんだがな。どうにかなんねぇのか?」
「私が居ると任務に支障が出かねませんので、もう護衛につくことは難しいですね」
既にまずまず噂は広まり、フィアナが第一王妃と第一王子のお気に入りで、そのコネで第三騎士団入りしたというベタな悪評まで流れる始末。
(そもそもお気に入りの女を騎士団という男所帯に突っ込むわけないだろうという発想には至らないのか)
王宮にいるのは少なくとも平民よりは学のあるもの達が多いはずだというのに、
噂は面白さを重視して内容はてんでデタラメだ。
「あー、そういや第三騎士団の割と若い奴にリュネット語のうまい奴がいたな」
「その方の名前は分かりますか」
手が空いていそうな時があったら、その人にも聞いてみようか。そんなことを考えながら尋ねると、語学教師が出したのは、意外な人物の名前だった。
「あー、ほら、あいつだ。ボリス・ハルナイト」
「ボリス先輩ですか?」
王宮にきてからもしばしば名を聞く青年は、フィアナの騎士学校時代の先輩である。加えて、騎士団に来るきっかけとなった御前試合の対戦相手だ。
「……やはり優秀なんですね」
「ああ。流石、名門ハルナイト伯爵家だな」
ディルクのスリヴァルディ家は有名な武闘一族だが、ハルナイト家は文武両道でバランスの取れている印象だ。
このニ家が、権力的には伯爵家の中で頭一つ出ている。
「ですが、ボリス先輩の帰国はまだ時間がかかると……。道中で落石とかなんとか」
「あぁ、だが俺が今朝メイドから聞いた話じゃ、あと数日で着くらしいぞ」
「数日」
それならいけるかもしれない。まだ夫人が滞在している途中ならば普段通りの訓練は無いし、途中から来て何も知らないボリスを護衛にはつかせないだろう。
恐らく旅で疲れただろうから休んでいろと言われて、報告を終えたら夫人が帰るまで割と暇なのではないだろうか。
「分かりました。帰ってきたら早速ボリス先輩にも教えを乞います」
「いやハルナイトも疲れてるだろ……鬼かお前」
「貴方がそれを言いますか」
思わず半眼で語学教師を見る。
それにフィアナとて、普通なら遠慮する。
「先輩は人に頼られるのが大好きなので、多少の疲労など、どうということはありませんよ」
だからこのくらいの我侭は通るという計算なのだ。
◇◆◇◆
先日の件が、微妙に面倒なことになった。
フリードは疲れた顔をする。
王妃とフリードがフィアナを気に入っており、そのコネで第三騎士団に入隊した……というくだらない噂話のことではない。
どういう理由か夫人に懐かれ(?)ことある事にお茶会に誘われるようになったこと……では多少ある。
だが一番は、
「ねえねえねえどういうこと!? なんなのあの面子!」
オルフェのこの質問攻めがうっとおしくて仕方がないのだ。
フリードはちらりと視線を上げ、しかし直ぐに書類へとそれを戻した。
「ちょっ、教えてってば!」
「うるさい」
ため息と共にペンを置く。昨日からこの調子で、職務の邪魔だ。
これでオルフェも仕事を疎かにしているのならそれを持ち出して黙れと命じることも出来るが、この男自分の仕事はきっちりと終わらせているので余計にタチが悪い。
「言っただろう。あれは夫人と母上の戯れに付き合わされただけだ」
「フリードならともかくなんでフィアナちゃんまで?」
「それは私が知りたい」
それは街で流行っている小説に影響されたからなのだが、夫人がそのことを話した際その場にいなかった二人は知る由もない。
「で、フィアナちゃんどんな感じだった? 可愛い?」
「基本的に死にそうだった。可愛らしいかどうかは人による」
「おっもしろくないなー。ここでさらっと『ああ、可愛い』とか言えばいいのに」
「私がか」
「……ごめん。実際に言ったらどん引くわ」
そんなのフリードじゃない、と想像してしまったオルフェは顔を引き攣らせる。
「フィアナちゃん今勉強中なんだっけ?」
「ああ」
「しっかし酷いよねあのスケジュール。過労死させる気かっての。あれ一体誰が考えたの?」
「…………」
「……うん?」
憤慨するオルフェは、相手が答えないことに首をかしげる。
フリードが把握していないはずはないと思うのだが、と考えオルフェは一つの可能性にたどり着く。
「……もしかしてあれ、フリードが作っ……」
「…………」
無言で目を逸らされた。
「何!? 意外と馬鹿なの!?」
耳元で叫ばれ、フリードは顔を顰める。
「あのくらいでなければ間に合わない」
「だからって体壊したら元も子もないでしょ! フィアナちゃん律儀にあの予定きっちりこなしてるんだよ」
語学の授業の三分後に、歩いて五分以上の所にある訓練場での訓練の予定が入っていたら普通予定表を床に叩きつける。
しかしこの前フィアナが廊下を全力疾走しているのを見たため、時間を守ろうとしているのだろう。
「多分さぼるの下手なフリードとかディルク君とかと同じ人種だから彼女! 倒れちゃうよ」
「さぼるのが上手いお前が異常なだけだ」
「だって砂時計まで常備し始めたんだよ」
「……あると色々便利だからだろう」
「適当か!」
ぎゃんぎゃん騒ぎだしたオルフェを放って、ペンを持つ。
それによりさらに声が大きくなったが、もう構うものか。気にしていては本当に終わらなくなる。
「……耐えられないなら、辞めればいい」
微かに吐息を吐き出すように呟かれたそれは、オルフェの耳に入ることもなく消えた。