16話 華麗なる死刑宣告(2回)
おかしい。
確か、何故王妃と公爵夫人のお茶会に護衛の騎士が参加する事態になっているのか聞きに来たはずだというのに。
「まあ。もともと美人揃いだったお茶会だったけれど、フリードリヒ殿下が居られるとますます華やかね!」
なんでまた、自分まで参戦してしまっているのだろう。
フリードは至極冷静に、己が何を違えこうなってしまったのかを考える。
────────
『……フ、フリードリヒ……殿下……』
もともと白い肌をさらに蒼白にし、フィアナが呟いた。
それが、彼女が如何に不本意にお茶会に参加しているかを物語っている。
目の前に置かれた紅茶も菓子にも一切手をつけていないようだ。
フィアナの呟きに、王妃と夫人の視線がこちらへ向く。
『まあ! 御機嫌ようございますわ、フリードリヒ殿下。どうしてこちらに?』
『水入らずのところを失礼致します、夫人。自室から此処の様子が見え伺わせていただきました。……母上、これは一体?』
夫人には、きちんと外交用の柔らかい顔を作って。
自身の実の母である王妃には、やや非難の色を混ぜたものを向け、フリードは尋ねた。
『この子が、フィアナさんとお話してみたいというものですから。少しくらいなら構わないでしょう?』
悪びれずに言い、王妃はゆっくりと紅茶を口に含む。
『……フィアナ・シルヴィアは現在特殊な状況に身を置いています。第一王妃とリュネット国の公爵夫人との茶会に招かれたという噂でも広まれば、それはさらに複雑なことになる』
フリードは硬い声で咎める。
反応したのは、王妃ではなく公爵夫人だった。
『そ、そうなんですの? 私の我儘のせいで、ご迷惑をかけてしまったわ』
夫人は申し訳なさそうに眉を下げ、口元に手を当てた。
落ち込んだように言われれば、フリードはそれ以上強く言うわけにもいかず口を噤んだ。
『フィアナさん、本当にごめんなさいね』
『い、いいえ。私にそのようなお気遣いは不要です』
フィアナも夫人以上に畏まって頭を下げる。公爵夫人のような貴い方が護衛騎士を心から心配するなどと思っていなかったのだろう。フリードとて同じである。
夫人は少し考え込んだ後、ちらりとフリードを見上げた。
『申し訳ありません、フリードリヒ殿下。フィアナさんにご迷惑がかからないように、このことに箝口令をかけていただけませんか?』
思いがけない申し出にフリードとフィアナは目を瞬かせた。
王妃だけは夫人の行動が予測できるようで、余裕のある表情を崩さない。
『……こちらの事情を慮ってくださり、ありがとうございます』
フリードの自室から見えたということは、護衛騎士の他にもこの場面を見てしまった者はいるだろう。それは不特定多数であり、箝口令など敷けるわけもない。
王宮中にかければ別だが、それでは王宮中に知らせることになり本末転倒だ。
だが、自国の面倒な事情を本気で気遣ってくれた夫人にそれを指摘することはしない。フリードは丁寧に礼を言った。
後はフィアナを護衛に戻せば解決する。フィアナもそれを悟ったのか、頬にはやや血の気が戻ってきた。
安心しかけた二人に夫人が見せたのは、無垢な笑み。
『殿下が箝口令を敷いてくださるなら、お茶会を続けても安心ね! せっかくですもの、フリードリヒ殿下の分も用意しましょう?』
無邪気な死刑宣告に、回復しつつあったフィアナの顔色は死人のそれに逆戻りした。
『…………』
閉口したフリードに、王妃が顎で椅子をしゃくる。
『座れ』、ということである。
『座らないなら相応の覚悟があるんだろうな』、という意味合いもある。
母親とはいえ身分はフリードの方が上なのだが、権力ではない何かがフリードを上回り、無言で着席という選択をする他なかった。
────────
回想を終えたフリードが出した結論は、
(……どうしようもなかったな)
である。
あれは、どうしようもない。寧ろどうしろというのだ。
王妃がそっと手を伸ばしたミルクピッチャーが、もはや鈍器にしか見えない。
気の毒な状況になったフリードは、この場で自身よりももっと哀れなことになっている者を同情の眼差しで一瞥した。
この場でフリードよりも可哀想な者。
言わずもがな、フィアナのことだ。
左に第一王妃、正面に公爵夫人、右に第一王子。
斜め左上にある虚空を見つめることしかフィアナにはできない。どの方向を見ても雲の上の身分の者しか居ないのだ。
一応もう子爵位相当身分とはいえ、心は庶民のままなのである。
「本当に嬉しいわ。フィアナさんだけでなく、あのフリードリヒ殿下ともお茶会ができるなんて」
「ええ、こんなに可愛らしい騎士さんと息子となんて、新鮮で楽しいわね」
二人の様子に気づいていない夫人が、嬉しそうに手を合わせる。王妃は二人の様子に気づいているが、楽しそうである。
流石あの陛下の第一王妃。このくらいでないと相手は務まらないということか。
「フリードリヒ殿下はリュネット王国の貴婦人やご令嬢さんたちの話題にもよくのぼりますのよ。憧れの的ですわ」
「……ありがとうございます」
信じられないほど鈍感な公爵夫人に、フリードは愛想を良くしておく必要性が感じられなくなったのか、普段の能面顔と淡々とした声になっていた。
(……この方は……よくこれで今まで……。公爵は夫人を“溺愛”していていつも傍に居ると聞いたことはあるが)
あれは『何をしでかすか分からなくて傍を離れられない』の間違いだろう。いや、そこまでしても見切りをつけないだけ愛しているとは言えるのだろうが。
(愛している……か)
心の中でぽつりと呟いたのは、恐らくこのさき己が口に出すことのない言葉だった。
必要があれば言うが、それ以外ではとても。
そんな感情を抱いたことすら、無いのだから。
(……睦言を言っている私は想像できるが)
必要があればやる。
やろうと思えばできる。
フリードは愛想もないし滅多に笑わないことで有名だが、作り笑いすら下手という訳では無い。
外交の場でも無表情で無愛想など、王族失格だからだ。
時折見せる冷たい瞳とその整いすぎた容姿から冷酷な王子という評判はたっているが、外交の場で態度が悪いと言われたことは無い。
あの調子で婚約者に接すればつつがなく生活を送ることが出来るのだろうか。
(まあ、どうでもいいことだな)
婚約者候補はもう随分前から……フリードが生まれる前から大体の目星はついている。この歳まで難航するとは思わなかったが、あと数年の内に決めることになるだろう。
結婚に恋愛感情は関係ない。
時期国王だからとか、そういうことではなくて。
貴族は誰でもそうだとか、そういうことでもなくて。
ただ、恋というものが何なのか、理解できそうもないから。
「フリードリヒ殿下?」
自身を呼ぶ声に顔を上げれば、にっこりと夫人がこちらを見つめていた。
(ああ……そうだった。くだらない思考に現実逃避をしている場合では無かったな)
思わずため息をつきたくなる。
この場を切り抜ける方法ならいくらでも思いつくのだが、切り抜けた後に王妃からの制裁を免れる方法が思いつかない。
(そもそも、そんな方法あるのだろうか……)
これまでの経験を振り返る。
不自然に多くなった仕事。疲れている時を狙って出てくる微妙に不味い紅茶。少量の媚薬が盛られた食事。
絶妙な匙加減で、地味な嫌がらせをされるのが辛い。
男色家からの大量の恋文などが届いた日には、思わず持っていたカップを床に落とした。
(……仕事は滞るが、大人しくしていた方が身の為だな)
結局、フリードはそう判断する。
後は適当にやり過ごして夫人が満足するのを待とう。
この気の毒な新米騎士にはまあ。
(尊い犠牲になってもらうしかないな)
何かを感じ取ったのか、フィアナがびくりと体を揺らし、こちらを見上げた。
一応同情の視線を返したが、フリードは薄情にも「諦めろ」という顔で軽く首を振る。
「…………っ!」
フィアナが思わず声を上げかけたが、それより早く夫人の声が高らかに澄んだ空に響く。
「さあ、美味しい紅茶もお菓子もあるわ。この素敵なお茶会を楽しみましょう!」
王妃は相変わらず楽しそうに微笑んでおり、フリードはもうマイペースに紅茶を飲んでいる。
フィアナはやけになって、手付かずだった焼き菓子を口に放り込んだ。
このお茶会が終わったのは、高く昇っていた日が大分傾いた頃だったという。