15話 いとやんごとなきお茶会
王妃がそれとなく春のマンデル祭りの話をしてくれたので、やっと会話が始まった。
マンデルとはナッツの一種で、三月にはピンク色の可愛らしい花を咲かせる。
東大陸から来た体術の師匠は、彼の国よりももっと東の果てにある国の、“サクラ”という花に似ていると言っていた。
祭りでは、ナッツの入った焼き菓子を焼いたり、マンデルの花を象った砂糖菓子を作ったりする。
そして教会へ行き厳しい冬を乗り越えさせてくれた神に感謝の口上を述べ、春の繁栄の祈りを捧げるのが習わしだ。
マンデル祭りの後にもっと大切な行事があるので、それほど重要という印象はないが、教会での儀式には王族も何名か参加する。
フィアナはまた警備に駆り出されることになろう。
そのときには、お偉方の側は御免だと心底願う。
(それはそうと、私はいつまでここに居ればいいんだ……)
話しているのは王妃と夫人。
フィアナは置き物のように前を見据えているだけである。
「マンデルのお花は可愛らしいわよねえ。可愛らしいといえば……ねえ、フィアナさん」
「……はっ」
短い返事をし頭を下げるフィアナに、夫人はいやねえと軽く手を振る。
「畏まらないでちょうだいな。もっとお話しましょう?」
「……はい。ですが、やはり私などがご一緒させて頂くなど、お二人の品位を落としかねません。ですので」
「『私など』だなんて!」
夫人がフィアナの言葉を遮る。響くほどではないが、淑女にしては大きな声だ。
夫人は慌てたように口元に手を当てる。
「ま、まあ、ごめんなさい。はしたなかったわね。でも、フィアナさん。本当に、私は貴女を尊敬しているのよ?」
尊敬、などと公爵夫人が一騎士にいう言葉ではない。
フィアナは瞠目し、王妃は仕方なさそうに苦笑した。
「私の好きな物語にね、女の騎士が出てくるのよ。城下で流行っていた俗な本なのだけれど、とっても面白くて。主人公の少女が殿方よりも格好いいと評判なのよ」
うっとりと、夫人が手を合わせる。
この方は見た目だけでなく心もまだまだ乙女らしい。完全に、夢見がちな思春期の少女と同じだ。
「それで貴女のことを聞いた時に、あの物語の主人公と同じだわ、と思っちゃって。どうしてもお話したかったの」
不可解な配備位置の理由が分かり、フィアナは頬を引き攣らせた。この公爵夫人、かなりマイペースというかなんというか。
「それにしても、本当に綺麗な髪と瞳ねえ……。そういう色の子は光に弱かったりするって聞いたけれど、貴女は大丈夫なの?」
「はい、特には」
理由は分からないが、フィアナはそれほど陽の光に弱いという訳ではない。夏の日差しは得意ではないが、それでもまだ普通の範囲内だろう。
「あら、そうなの。良かったわねえ。それに、フェロニアの第三騎士団の制服をきているなら、安心ね」
他国の公爵夫人から見ても、『フェロニアの第三騎士団』はブランド力があるようだ。
ダジボルグ帝国とも渡り合うフェロニア国軍(何故か頑なに『騎士団』を名乗る)の強さは大陸でも知れ渡っている。
何が安心かとは敢えて夫人は口にしなかったが、言わずもがな、誘拐のことだ。
治安の良いフェロニア王国だとしても、フィアナのようなものが下手にうろつけば確実に攫われるのは目に見えている。
今は廃れているはずだが、その昔フェロニアの地方には白子症の子供の肉を不老不死の秘薬として食べる風習があった。まだその馬鹿げた迷信が残る国や地域もあるだろう。
フィアナが師匠に引き取られていなければ、敷地内から出ずその色を隠して生きていける修道女になれと教会に放り込まれていたはずだ。
「ねえフィアナさん、私、貴女のお話が聞きたいわ」
子供がねだるように、夫人が言う。
可愛らしく見えるのが凄いところか。夫人の年齢を算出しそうになる頭に、フィアナは慌てて静止をかける。
「い、いえ、私ではあまり楽しい話はできませんし……」
「なんでもいいのよ?例えば、騎士学校でのこととか」
「ええと……」
たじろいでいると、不意に護衛たちが動いたのが分かった。
フィアナは即座に剣呑に目をに光らせ、腰のレイピアに手を伸ばしかける。
「……え」
しかしそれは、全くの杞憂に終わった。
いや、ある意味賊よりも余程手に余る来客だ。
「……フ、フリードリヒ……殿下……」
感情の見えない表情でこちらに向かってくる王子の姿に、フィアナはいよいよ色を失った。
◇◆◇◆
僅かに開けられた窓から吹いた風で、執務机に置かれた書類が一枚ふわりと浮いた。
「おっ、と」
それを手で押さえながら、オルフェは大袈裟にため息をつく。フリードは暫く前に出ていってしまったようだ。
まだ仕事あるのにと、意外と忙しくしている側近は唇を尖らせる。
「はぁー。フリードもフィアナちゃんもディルク君もいないし。僕は誰で遊べばいいって言うのさー……」
誰もいない部屋で、誰にともなく呟いてみた。
「誰でってどういうことですか。せめて誰とにしてください。というか、遊ばないでくださいよ……」
すると、呆れた声がして扉が開く。
オルフェは声の主を理解し、にんまりと笑って振り返った。
「やあ、ディルク君!」
この真面目な好青年は、入団当初からオルフェに気に入られ、散々可愛がられている。
今ではこの程度だが、最初の頃は律儀に反応していたので、さらにオルフェを調子に乗らせていた。
「自分はフリード殿下に用があって来たんですが……いらっしゃらないんですか?」
「うん。自室にもいなくてさー。もーほんとどこ行ったんだろね」
「まさか、何か問題が起こったとか?」
険しい顔をしたディルクに、ないないとオルフェが手をひらひらさせた。
「今回の警備も日程も何も、考えたのはフリードだよ。問題なんてあるわけない」
さも当然という風には言い切る。
相変わらず飄々とした雰囲気だが、本気で言っていると分かった。
「それに、問題起こって報告なしに自分でフラフラどっか行くなんてしないでしょ普通。フリードじゃなくてもさ」
確かにそうだ。ディルクは頷く。
ミスをしたり、問題が発覚したらすぐに報告した方がいい。
自分で直そうと隠していると、いつの間にやら大事になって手に負えなくなっているものだ。
……風邪をこじらせ肺炎をおこしながらも遠征訓練に参加し、山間部で夜に倒れ大騒ぎになった、という過去を持つディルクは遠い目をした。
あの時は上司やら父親やらにそれはそれは絞られた。
ディルクの家は多くの高位騎士を輩出する名門であり、躾なども非常に厳しいのだ。
母と一緒に走り込みなどをしたし、姉は二人いるがどちらも剣術を嗜んでいて、幼い頃は二人にボコボコにされた。
ディルクがフィアナに対して偏見がないのは、そういった環境が大きい。
「おーい、ディルク君?」
つい昔を懐かしんでしまい、ディルクはオルフェの声で我に返った。
「い、いえ。すみません。それにしても……オルフェ様は、本当にフリードリヒ殿下を信頼していらっしゃるんですね」
掴みどころのない人物だが、そこだけは初対面から変わっていない。
「信頼ぃ? うーん、僕はフリードのことを人より知ってるだけだよ。生まれたときから一緒だからね」
とん、と得意げに胸を叩く。
「フリードのことなら大抵知ってるよ!」
その時、やや強い風が入り込み積み上がった書類を数部巻き上げた。
「わわっ、またか。換気もそろそろいいし、窓閉めようようか、な……」
窓に手をかけたまま、動きが止まった。
「どうかしたんですか?」
「……ごめん、ディルク君」
振り返ったオルフェは、至極真面目な顔をして言った。
「やっぱり僕、フリードのことよく分かんないかも知れない……」
何やってんのあいつ……と呟くオルフェの視線の先。
楽しそうに話す公爵夫人と、それを楽しそうに見ている王妃。能面顔のフリードと、表情筋が死滅しているフィアナ。
地獄絵図のようなお茶会が、そこにあった。