14話 やんごとなきお茶会
日が高く登り、風も凪いで来た頃。
王妃と公爵夫人のお茶会が開かれることになった。警備の騎士は既に配置についている。フィアナは王妃の背後側で、公爵夫人の正面の位置。
お茶会の場所は薔薇園の一角にある東屋だ。
着々とお茶会の準備は進んでいる。白磁に青の装飾が美しいミルクピッチャーや、織り上げるまでに数年かかるというレースのテーブルクロスを遠目に見ながら、フィアナはため息をついた。
(妙に気が重いな……)
全体の警備配置図も見たが、もし自分が刺客だったら絶望するような隙の無さだった。よほどのことがない限り、フィアナたちは立っているだけなのだが、どうにも嫌な予感がする。
「……いらっしゃったようだ」
アヒムがぼそりと呟いた。騎士たちの間に、ぴりりとした緊張が落ちる。
王妃と公爵夫人は並んで談笑していた。
二人ともそれなりに歳を重ねているはずだが、その美しさはなんら損なわれておらず、気品と色香だけが熟練されている。
戦場が違うだけで、彼女たちもまた激しい戦いを勝ち抜いてきた歴戦の戦士と言えるのだろう。
「本当に、またこうして貴女とお茶会が出来て嬉しいわ」
聞かれて困る商談などをする訳でも無いので、フィアナの位置だとギリギリ、二人の会話が聞こえてくる程度の声量だ。
あくまで優雅に、品位を保って。
けれどはしゃぐ様子を抑えきれていない姿は、うら若き乙女のようだ。
微笑ましいなと、思わなくもないのだが。
(……めっっちゃくちゃ、目が合う)
偶然とかそういうレベルではない。
ガン見である。
(明らかに、私を見ている……!)
フィアナの心中はとても穏やかではない。
王妃と話しながらも、公爵夫人がそわそわとしているのがここからでも丸わかりだった。
親友だろうと、大国の王妃の前だということを忘れないで頂きたい。王妃よりも優先すべきことはほとんどないし、警備員のフィアナのことなど論外だと誰か説き伏せて欲しい。
(いや……もしや、私の後ろに何かがある?)
そっと振り返ってみるも、カトレアの花が揺れているだけで、特に何も無い。
眉に皺を寄せて前に向き直ったフィアナに、王妃の声が届いた。
「薔薇がシーズンを迎えたところを、是非見て欲しかったのだけれど……。本当に見事なのよ? でも、今の時期のスノードロップも清楚で可愛らしいわよね。そうそう、カトレアも上品でいいわ」
「!」
納得したフィアナは大きく頷いた。
夫人はカトレアを見ていたのか。
目が合うなどと自信過剰もいいところ。気恥ずかしさを覚えながら、フィアナはカトレアの前から移動した。
タイミングよく、王妃がこちらを振り返る。
「ほら、見て頂戴な。美しいでしょう? 香りもいいのよ」
王妃から話を聞く前から、護衛の後ろなどに咲いていたカトレアに興味を持った夫人だ。それなりの反応をするのだろうとフィアナは予測したのだが。
「……ええ、そうねー……」
(生返事が過ぎる)
そして、何故こっちを見る。カトレアを見ろ。
「……あら? どうかしたの?」
流石は王妃。直ぐに違和感に気がついたようだ。
反応の薄い夫人に首をかしげる。
「あっ、いえ。ごめんなさい、ちょっと……」
夫人は微笑んで誤魔化した。もうフィアナのほうが気が気でない。フィアナが悪いわけではないが、自分絡みで雰囲気が悪くなるなど御免被りたいのだ。
(何はともあれ、これで夫人も旧友との語らいに集中するだろう。いくら公爵夫人でも、王妃とのお茶会の最中に護衛に気を取られてましたなんて、言えるわけ────)
「あそこにいる騎士さんが、どうしても気になってしまって」
「っ、言うタイプだったか……!!」
◇◆◇◆
フリードはここ数日、割と仕事が立て込んでいる。
といっても、大半は前々から予定されていたものだ。それなのにやたら忙しいと感じるのは、ある事柄に時間を割く必要が出てきたからである。
(フィアナ・シルヴィアに関する抗議書への対応は一段落したか。ハールマン侯爵家の動きに今のところ変化はないが、警戒は必要だろう。それから……)
リュネットの公爵の訪問日時が数日繰り上げられることが決定したと同時に、東の治水工事の進捗状況の確認に赴いた一行から帰国が遅れるという旨が届いた。
帰路の途中に落石が起こり、遠回りすることになったらしい。
一行の中には以前公爵が王宮に訪れた際に通訳の仕事の主任をした騎士がいる。今回も任せようと思っていたのだが、間に合わないことが決定したので、急ぎ代わり者をたてる必要が出てきた。
それに加え、
(公爵夫人の『お願い』か。それならまだしも母上も噛んでいるとなる無視もできないしな。後が怖い)
夫人の要望によるフィアナの護衛配備のこともあった。小さな仕事が積み重なって、些か面倒なことになっている。
当日までにはなんとか終わらせたが、公爵の訪問を最優先にするために後回しにした仕事がいくつかあった。
今頃、公爵は王と商談、夫人は王妃とお茶会だ。
手が空いたので、少しでも仕事に取り掛かっておきたい。
フリードは何とはなしに自室の窓から王妃たちのいる薔薇園の方向を眺め────固まる。
東屋でお茶会をすることは知っていたし、ここからよく見える場所だということも分かっていたが。
「何を、どう間違えて、そうなった……?」
王妃と他国の公爵夫人と共に、護衛騎士の少女がテーブルについているのを見て、フリードは呆然と呟いた。
◇◆◇◆
(何を、どう間違えたら、こうなるんだ……?)
目の前に用意されているのは、最高級の茶葉を使い、一級品のミルクに一級品の砂糖を加えた、甘い紅茶。
王宮お抱えの職人が作った、乾燥させたベリーで鮮やかな色を出した、可愛らしい見た目の焼き菓子。
年頃の乙女なら誰しもが憧れるような完璧なお茶会の中。
乙女といえば乙女だが、針は刺繍ではなく投擲するものと認識しているようなフィアナが、目を輝かせるはずもなく。
(何で私の一挙一動に注目しているんだ公爵夫人は……。私は新種の動物か何かか。たった今発見されたのか)
きらきらとした目でフィアナを見る公爵夫人と、それを微笑ましく見守る王妃。
なんと高貴な拷問だろうか。背筋を伸ばし両手を膝の上で握った状態から、フィアナは動けていない。
「……王妃殿下と公爵夫人におかれましては、ご機嫌麗しく……」
フィアナは何の抑揚も無い声を絞り出す。
これはたしか三回目である。
いっそ突っ込んでくれると有難いのだが、言う度に『まあ』と喜ばれているのが解せない。
赤子が初めて『ママ』と言ったときのような優しい雰囲気が、フィアナの首を真綿で締め続けていた。
「……申し訳ありませんが、私のような者が同席させて頂くのは、あまりにも、見に余る光栄といいますか……」
「まあ。喜んでくれて嬉しいわ」
駄目だ、何度試しても会話が成立しない。
今のような会話を、アヒムとフィアナでそれぞれ十数回は行ったが全て惨敗。
滑らかに操っているように見えて、実は夫人はフェロニア語に不自由があるのではないだろうか。
先程から『ご機嫌麗しく』のくだりか、今日は天気が良いという話しかしないフィアナに何故こうも嬉しそうなのだ。
「ふふ、貴女は確かフィアナ・シルヴィアさんと言ったわよね? 声もお可愛らしいわ」
「…………」
フィアナはぎしぎしと音がしそうなぎこちなさで口角を僅かに上げる。
「……勿体なきお言葉にございます」
「まあ、うふふ」
「あの、ですがやはり私は……」
「あらあら、よく見ると睫毛が長いわね」
「できれば……警護に……」
「可愛らしいわあ」
泣きそうだ。