12話 焦燥に似たもの
目まぐるしい日々は走り抜けるように過ぎた。
フィアナが王宮に来て、今日で二週間になる。
語学教師の性格の悪さや、走りながらの食事にも慣れた。
忙しいが、変化のない一日を消化していくのは、ある意味楽だった。
しかし、そういう時にこそ変化は訪れてしまうものである。
夕方。
自室へ戻る途中フィアナはディルクに呼び止められた。
告げられたのは、第三騎士団としての初めての仕事内容である。
「護衛任務ですか……」
「はい。三日後に来国されるリュネット王国の公爵の護衛に、フィアナさんも参加してもらうことになりました」
難しい顔をしたフィアナに、ディルクが付け加えた。
リュネット王国は、フェロニアの西南に位置している。装飾品を作る技術に長けていて、大陸の流行の先駆けとなっている国だ。
「フィアナさんには公爵夫人の護衛をお願いします。大丈夫です、護衛は他にもたくさんいますから。夫人はお優しい方と有名ですから、我儘を言って予定が狂うなど有り得ませんし」
フィアナは夫人と会話をする必要も無い。
先輩の指示を聞いて、与えられた務めを果たせばいいだけだ。フィアナは初めての参加になるので、夫人から離れたところでみんなと等間隔に立って護衛するとかそういう役だろう。
(それならできるか)
リュネット王国との関係は良好であり、女性騎士の存在も認知されている。フィアナの存在を不快に感じたり、あたりが強いということもあるまい。
「分かりました。精一杯務めさせて頂きます」
とはいえ、フィアナはこの容姿だ。
下手に興味を持たれないよう、出来るだけ夫人の視界に入らないようにしよう。
光が当たると激しく自己主張するかのように輝く髪を手に取り、ため息をついた。この髪には毎度苦労させられる。
「それで……明日から私も、その訓練に参加できますか?」
フィアナの任務参加はこれまた急遽決まったらしい。段取りすら知らない。
これから三日は、今までの学習は放置してこの護衛任務の予行訓練などをやらなければならないだろう。
「はい。もう話は通してありますので、明日からすぐに」
「分かりました」
ほっとした。勿論訓練に参加できるからで、あの語学教師に暫く会わなくて済むからではない。決して。
「リュネット王国の公爵はどういった理由でフェロニアに来るのですか?」
「今回の訪問のメインの目的は、最近フェロニアで人気が高まっているリュネットの被服類の貿易の話だそうです」
今年もリュネット風のドレスが社交界のトレンドだったらしく、飛ぶように商品が売れているのは知っている。
(だが、商談なら何故夫人まで?)
フィアナの疑問を読み取ったのか、ディルクが教えてくれた。
「第一王妃様と公爵夫人は、王妃が王妃候補だった時から懇意の仲だったそうです。今でも頻繁に文のやり取りをしているとか」
では、第一王妃とお茶会やらなにやらするだろうし、王妃の護衛も同時に行うことになる。
これは思ったより重大任務になりそうだと、フィアナは気を引き締めた。
◇◆◇◆
ざっと報告書に目を通し、歓迎の準備に滞りがないかどうか確認する。
次は、晩餐会までの日程を見ながら護衛の配置決めだ。
名簿にある名前を眺め、一人ひとりの情報を頭に浮かべ、目を閉じる。
団員の能力、性格、交友関係。
一度全て取り出し、脳内で配置する。
ここには、槍術が得意な者を置きたい。
ここでは、ナイフの扱いが上手く、周りによく気がつく者がいい。
それからここは……。
並べ終えたら今度は、どうすれば夫人に危害を加えられるかを考える。
どこかに穴はないか。どのタイミングが無防備になるか。
警備の穴を見つけ、犯行の計画を立てる。
出来うる限りの犯行の計画を立てたら、警備を組み直す。
一つずつ、自身が見つけた穴を埋めていく。
全ての犯行計画が実現不可能になったら、警備体制は完成だ。
閉じていた目を開け、護衛の名前を書き出していく。
ものの半刻で、護衛の配置図が完成した。
一連を大臣たちにやらせれば一日かかるところだ。
傍らで見ていたオルフェは、思わずうわあと漏らす。
「うん、なんだろう。改めて、化け物だなあと思うよね」
フリードはフェロニア王国において最高の頭脳を持つと言われている。記憶力の良さなどは幼い頃からずば抜けていた。
普通一人ひとりの団員の能力や性格など覚えているわけがない。交友関係となると、いっそ怖い。
恐ろしい量の情報を記憶し、自身の膨大な知識や経験でそれを見る。だが、先入観は持たない。
俯瞰で物事を捉えるというのが、一番難しいのかも知れない。
整然とした警備図を見ながら、オルフェはふと気がついた。
「……あれ? フリード、これ……」
夫人を最も近くで護衛する者たちの名の中に、最近よく聞く名前が一つ。
「……公爵夫人たっての希望だ」
「へ、へえー。それじゃ、まあ……」
仕方ないか。
例え、第三騎士団に入って一週間の者がそこに混ざっていても。
「すごーい、フィアナちゃん大人気だねー。ははは……」
ぱちぱちと拍手してみたが、フリードは明らかに不機嫌である。計画が崩れそうな予感をひしひしと感じているのだろう。
乾いた笑いを上げるオルフェに、フリードは妙に真剣な顔つきで尋ねた。
「……フィアナ・シルヴィアは体調を崩してはいないのか」
「えっ? 昨日見たけど元気だったよ? 健康健康」
「…………、」
「ちょ、今舌打ちした!? 舌打ちしたでしょちっさく! 最低!!」
騒ぐオルフェに煩いと顔を顰めながら、フリードは再び書き上げた配置図を睨む。
(好奇心旺盛な方だからな……。女性騎士に興味を持つのは予想していたが、近くで警備させろとは)
昨日、第一王妃を通じてフリードに連絡が来たのだ。
会話する気満々である。
フィアナの能力はまだよく分からないし、不安要素に違いはない。警備をもっと強化すべきだろうか。
フリードは第一騎士団で護衛に回せそうな人物をピックアップしていった。
紙の隅に走り書きをしながら、思考は別のところへいく。
(……元気だった、か。そろそろ根を上げるかと思ったのだが)
他の者には知らせていないが、フィアナの予定表を組んだのはフリードである。体力と精神力が容赦なく削られるように予定を詰め込んだ。
語学の教師も、敢えて癖のある人物を選んである。
追い出せないなら、逃げ出せばいいと。
逃げたところで誰も責めないだろう。元より歓迎されていた訳では無いのだから。
王も疲弊しきったフィアナを見れば、この娘には務まらないと諦めるはず。
逃げ出せばいい。
もう、己の手の届かないところまで。
何故そんなことを思うのかは、分からない。
自分のことが把握できないなど初めてだった。
感情はいつも、理性の明確な支配下にあるものだったから。
いつの頃からか、氷のようだとよく言われるようになった。
そうなのだろうと自分でも思っていた。そしてそれで良いと思った。
感情など、凍ってしまえば乱れずに済む。
(……妙だな)
どうにも、最近。
凍りついているはずのそれが、ざわめいて仕方がない。