11話 不可解な暗殺者
例え語学が得意であろうと、半年で言語を獲得するのは難しいと言える。
だから厳しい教師を当てられるのは当然といえばそうなのだが、できれば人格が破綻していない方が良かった。
「馬鹿じゃないのかお前、としか言えないな」
ぐしゃぐしゃの髪を無造作に掻き上げ、呆れたようなため息をつく。
「チッ、何度言ったら分かるんだ? ここの発音はそうじゃない。舌先は下顎の歯の裏だ上顎につけるな丸めるな下げろ、喉を鳴らせ。はい、もう一回……グズが」
最後に小声で吐き捨てながら、気だるげに手を叩く若い男性教師。
『何度言ったら』と言っていたが、今のダメ出しはことごとく初耳である。足の小指を馬車に轢かれてしまえばいいと思う。
「……申し訳ありません。分かりました」
「はぁああ……そんなんで大丈夫なのか? ……第三騎士団員の最低条件は?」
はいせーの、と音頭をとられ、フィアナは若干面倒くさそうに口を開く。
「……二年以内に、指定された言語を習得すること。そして、それらの国の階級や身分の順、特色を共に覚えること」
必修言語は『ラフィオーレ語』『トレボル語』『リュネット語』の三つだ。
「ああ。んで次期第三騎士団長のお前の場合、その他にもう一つの言語を……だな。確か東大陸の言葉が話せるんだったか?」
「日常会話程度にですが、一応」
「よりによって東大陸とか……つっかえねえな。ま、珍しいから貴重な人材ではあるか」
貶すのか褒めるのかどちらかにしていただきたい。
いや、寧ろこの人は貶さずには会話ができないのかとここ三日フィアナは真剣に考えている。
「指定語の中でお前が既に話せるのは?」
「ラフィオーレ語とトレボル語です」
フィアナは五歳までは異民集落にいたので、周りはフェロニア語よりもむしろ、この二つを話していた。
その後も、数年間師匠に各国を連れ回されたこともあり、日常会話以上のレベルまで達している。
(いや……今のこと全部初日に話したけどな)
フィアナは白い目で教師を見る。当の本人は、自分で質問しておきながら興味のなさそうに聞いていた。
「じゃ、四カ国の階級やらなんやらを覚えさせるのは他の教師がやるから、まず、俺はお前のそのクソみたいなリュネット語を叩き直せばいいのか」
「……そうですね」
人を鍛える前に自分のそのクズみたいな根性を叩き直せば良いのにと思うが、それを口にして臍を曲げられても困る。
フィアナは飽くまで従順に頷いておく。
「はぁー、その後は貴人相手でも失礼のないような完璧な各国の丁寧語を教えてだろ? ゔあ~、だっりいな」
王国お抱えの教師とは思えない粗暴さだが、この男は国でも最高峰の人材である。
実績だけ見ればえげつないほどの天才だ。
(この人も師匠と同じ匂いがする……)
能力はずば抜けているが、性格が負の方向に振り切っている。フィアナはどうやらこういう人種と縁があるらしい。
今度縁結びを司る神の像を見かけたら破壊したいと思うほどには、疲れている。
「ほら、授業再開すっぞ。さっさと読め愚図。どうせ読めねぇけど」
「……はい」
今は耐える時期だ。
フィアナはそう自身に言い聞かせ、罵倒されながらの音読を延々と続けた。
◇◆◇◆
剣戟の音が絶えず響く。
「はあっ!」
重い一撃に腕が痺れかけ、フィアナは顔を顰めた。
それを好機と見た相手がもう一度振りかぶった瞬間、懐に飛び込んで当て身を食らわせた。
「ぐっ……!」
勢いを失った腕にナイフの柄を叩きつけて得物を奪う。
そのままくるりと手の中で回転させ、切っ先を喉元に突きつけた。
しん、と静寂が落ちる。
「……僕の負けですね」
苦笑した男に一礼し、奪い取ったナイフを返す。因みに刃は潰してある。
「ありがとうございました」
現在フィアナがいるのは第三騎士団の訓練所。語学の授業と礼儀作法の稽古を終えたフィアナは、そのままここに直行した。
ここでは、剣を使えない狭い場所での戦闘を想定した訓練や、縄で素早く捕縛する練習を行っている。
「なんか、フィアナさん……慣れてませんか?」
試合を見守っていたらしいディルクが控えめに尋ねた。
「慣れている……?」
ああ、とフィアナは頷いた。
「私は鍛錬を始めたのがまだ五つのときでしたので、最初の内は、身長的にも腕力的にも剣が持てなかったんです」
そこで、ずっとナイフを使って体術などを学んでいたというわけだ。
そう説明するとディルクは納得した。
「やはり、師匠から教わったんですか?」
「……まあ、騎士学校に入るまでは。それからは、師匠の知人に」
「それからというと、騎士学校に入ってからですか?」
「はい、休業日に」
騎士学校は七日に一度休みがあり、生徒たちはのんびり過ごしたり、日雇いの仕事をしたりしている。
フィアナは街に出て、師匠の知人である若い男の元へ通っていた。
「東大陸から来ている方で、言葉も習いました。普段はその方の国に伝わる体術と剣術を教わっています」
「フィアナのさんの型は見たことがないと思っていたら、東大陸のものだったんですか!」
東大陸の武術は、流派にもよるが『攻撃を受け流す』ことに非常に長けていた。
フィアナは力で男に勝負すれば大抵負けるので、技で補う必要があったのだ。
「確かにこう、自分たちの動きに比べてぐにゃぐにゃというか、曲線的ですよね。御前試合で初めて見て驚きました」
感心したようにディルクが言う。
逆に、彼は騎士学校で習う直線的な戦い方だ。
全くの教本通りの型だが、練度と本人の身体能力が非常に高く、フィアナが普通に戦えば確実に負ける。
そしてそれは御前試合で対戦した青年、ボリスにも言えることだった。
「騎士学校では使っていませんでしたから、ボリス先輩も驚いたでしょうね」
「あっ、そうなんですか? 道理で試合後も彼が呆然としているなと」
普通にやればフィアナが負けたが、初めて見た流派にボリスは混乱し、簡単に主導権を渡してしまった。
東大陸の型を織り交ぜた独自の戦い方をするフィアナに呆気にとられている内に敗れ、さぞかしショックだったはずだ。
(調子に乗りやすい人だから、寧ろいい薬になったか)
ボリスの人柄を知るからこそ、フィアナの反応は冷たい。
ただし、心を許しているというより、扱いに慣れている感じである。
それに気づいていながらもディルクは一応ボリスの帰ってくる日付を教えたが、案の定「そうですか」とだけ返された。
「ボリス先輩はさておき、第三騎士団の皆さんは今いる方でほぼ全員ですか?」
「ええ。全七十四名で、ここにいるのは七十名ですね」
東への出張はボリス含む四名が向かっているそうだ。
「ええと、それでは今は護衛の仕事は……」
「ああ、それは第一騎士団の幹部クラスの方に代わっていただいてます」
常時王都を巡回する第一騎士団でも、王宮駐在組が必ず半数以上いる。幹部はだいたいここに入る。
幹部とは、団長・副団長、第三席から二十席までのことであり、席順は強さ順だ。
「そんな感じでいいんですね……」
第一騎士団が代われるなら、第三騎士団の価値は一体、と言われそうな話である。
「ま、まあ、侯爵ももう領地にお帰りになられてますし。普通この城に賊が忍び込むことはかなり厳しいですから」
少なくとも、第三騎士団が駆けつけるのが間に合わないほど素早くことを起こすことは不可能だろう。
「ただ……」
「『ただ』?」
ディルクは苦い顔で頬を掻いた。
「例外がありまして。以前、第三騎士団長の方が、仮就任する度に辞めていくと言いましたよね?」
「ああ……」
ハールマン侯爵が現れたせいだ聞きそびれていたのだった。
「あれ、何故だか毎回、仮就任の方が出る度に、たった一人でこの城に侵入する暗殺者がいるんです」
「え」
フィアナは目を瞬かせた。
ヴァスモーント城は守りに特化していると言っても良い。
理由は戦の相手にある。
この大国フェロニアの脅威は、同じく大国ダジボルグ。
戦力で言えば、ダジボルグの方が上である。
しかしダジボルグには、一つ欠点があった。
持久力がないのだ。
もともと厳しい寒さの北国。食料はすぐに枯渇する。
戦が長引くほど弱っていき、それ故、戦力で勝っていてもフェロニアを落とすまではいかない。
逆にフェロニアは資源に大陸で最も富んでいると言っても良い。粘ればこっちのものである。
その為この城は守りに徹する堅城なのだ。
だというのに、何度も侵入する者がいるとは。
(ん? でも、何度も来ているということは)
暗殺自体には失敗しているのか。
ディルクに聞いてみると、彼もまたそこは疑問に思っていたようだった。
「ええ……。狙いは毎回フリード殿下です。そして毎回、本人と接触までしています」
それは大問題である。もし国民に知れたら第三騎士団の面子は丸潰れだ。
「毎回必ず、第三騎士団長が出た時期に?」
「ええ、そうです。そしてその責任を取る形で第三騎士団長に仮就任されている方が辞めていきます」
なんとも不自然で、気味の悪い話である。
愉快犯なのか、フリード個人に恨みでもあるのか。
いずれにせよこの城に忍び込めるとなると、かなりの手練だ。
(この城の構造にも詳しいのか? まさか、王族の関係者……は、飛躍させすぎか)
これ以上考えても、想像でしかない。
フィアナは軽く頭を振る。
(それよりもまず、目の前のことに取り組まなければ)
第三騎士団長になれなければ、その相手と対峙することもないのだから。
続いて対戦を申し込んできた団員に、フィアナはナイフを手に訓練へ戻った。