10話 窮鼠腹を括る
フィアナが第三騎士団に入団した次の日。
第三騎士団員と初の顔合わせとなった。
場所は昨日の騎士団の詰所の傍にある、別棟の訓練場だ。
第三騎士団はここと詰所の二箇所を使って訓練をしているらしい。
ディルクがフィアナが第三騎士団に入隊する旨を伝えると、隊員たちは皆微妙な顔をする。
「女性が第三騎士団に、ですか……」
エリート集団の彼らは、幼い頃から騎士道精神を叩き込まれている。女性はいつでも守るべき対象であり、共に戦う仲間なぞではないのだ。
(実際、剣を取って戦う女騎士なんていないしな)
正確に言うと、数年前までは第一騎士団に一人女性騎士がいたが、今は結婚して引退したはずだ。
それに、その女性騎士はそこいらの女性ではなく現第一騎士団長の妹君だった。幼い頃から兄に剣術の手ほどきを受けていたらしい。
今の第一騎士団長と言えば、“王立騎士団最強”を謳われている男。だからこそ皆は納得したのだ。
フィアナとて物心つく前から武術を習ってきたが、やはり第三騎士団は他とは事情が違う。
戦闘能力以前に、女性騎士が認められている国自体少ないということが問題だ。
女性騎士がいない国の要人警護をする際に、フィアナの存在だけで不興を買うかもしれないのだ。第三騎士団員たちが渋るのも無理はなかった。
さらに、フィアナは第三騎士団に入隊するだけではない。
「皆、噂には聞いていると思うが……次期第三騎士団長は、このフィアナさんということになっている」
ディルクの言葉に、騎士たちの目が憤りを語った。
女が、第三騎士団長? ふざけてるのか?
そんな台詞が今にも飛び出して来そうである。あと数秒後には、拒絶の言葉の大合唱を頂くだろう。
────しかし、こちらにも切り札があった。
フィアナとしては、非常に、非常に不本意ではあるが。
「聞いてくれみんな。フィアナさんを第三騎士団長にと陛下が仰ったのには、ある人物からの推薦があったからなんだ」
「ある人物……?」
ざわめく騎士たちに、ディルクは厳かに頷く。
「それは────、あの伝説の剣士『神喰いの悪鬼』殿だ!」
「なっ……!」
一瞬にして、騎士たちの顔色が変わった。
「あのお方が……!?」
「そういえば、唯一の弟子だって聞いたぞ」
「伝説が認めた騎士ということか!?」
すっかり塗り変わった空気に、フィアナはなんとも言えない顔をする。
作戦は大成功だ。しかし気分は最悪である。
(あれに頼らないとならないなんて……なんという屈辱……)
効果てきめんなのが余計に頭に来る。
寧ろ「……だから?」みたいな反応だったら胸がすくのに。
いや、困るが。
「そう、フィアナさんは『神喰いの悪鬼』がただ一人認めた逸材なんだ。陛下の決断も理解できただろう?」
一斉に首を縦に振る騎士たち。師匠の名は予想以上に売れているらしい。完全に納得させるまではいかないでも、今すぐに辞めさせられることはなさそうだ。
「叙任は半年後だ。フィアナさんは、これから第三騎士団長になるべく修練を積む。皆も負けずに頑張ろう」
ここでディルクは話を畳むかと思われたのだが。
最後に隊員を見回し静かに付け足した。
「……もし、半年後、この人事にどうしても納得がいかなかったら」
そのときは、とディルクは強い光を目に宿す。
「声を押さえ込む必要は無い。自分が王に進言しよう。フィアナさんの努力を、多少なりとも知っているはずの第三騎士団員から反対の声が出るのなら、諸侯を黙らせることなどできるわけがない」
第三騎士団にすら認められない団長など不要だ、と。
もっともな事だが、それをフィアナの前で言い切るのは、いっそ清々しいと言える。
これがディルクなのかも知れないと思った。
どこまでも正しく、清い騎士だ。
(これなら第三騎士団よりも、第一騎士団のほうが余程向いているな……)
彼の正しさと誠実さは万人に向けられる。
第三騎士団長を固辞する理由を、初めて本当に理解した。
「……ディルクさんの、仰る通りにお願いします」
口を開いたフィアナに視線が集まる。
その発言は以外だったのだろう。騎士たちの目には驚きの色が見て取れた。
「私は師の名が売れているだけの、ただの騎士学校上がりですから。認められないのが正常です。今、罵詈雑言を浴びせられないことに感謝します」
フィアナは丁寧に腰を折る。
「僅かな猶予しか頂けませんでしたが、その間に皆さんに認めてもらえるよう全霊で努めます」
突然王宮に引っ張りだされ、第三騎士団長などと言われ。
よく分からない侯爵に理不尽に因縁をつけられ。
致し方なく、大嫌いな師匠の名まで借り。
「これから、どうぞよろしくお願い致します」
一番の被害者は自分だ。しかし非難されるのも自分だ。横暴どころの話ではない。
しかし。
(もう、逃げられないんだろう?)
唇は意思に比例して固く引き結ばれ、常時凪いでいた筈の薄青の瞳は、苛烈なまでの光を宿す。
(ならやってやる。そして、その上でいつか泣かせてやるからな陛下と師匠!!)
────フィアナ・シルヴィア 十六歳。
散々嫌がっていた第三騎士団長の件に、今は一周回って燃えていた
◇◆◇◆
王宮に来て七日目の朝。
ようやく、目を覚ましたときに目に入る華美な天井に慣れた頃、ここ一ヶ月の予定表を手渡された。
「急ぎで作ったので幾つか変更があると思いますが……概ねこんな感じです」
「僕も見ていい? 見ていい?」
持ってきてくれたのはディルクである。何故だか知らないがオルフェも居る。
返事をする前に、オルフェは手元の紙をのぞき込んだ。
「……これは……」
「……うっわ、これは無いわー……」
第一声にそう呟くオルフェと、固まるフィアナ。ディルクは気まずげに目を逸らしていた。
「……まあ、半年しかありませんし、妥当なところでしょうね」
殊勝に言うフィアナだが、若干顔色が悪い。
渡された予定表は、大陸屈指の難易度と入学してからの厳しさを誇るフェロニアの高官育成学校の生徒でも吐き気を催すようなレベルであった。
休憩や食事についての記述は一切ない。移動時間でどうにかして食べろということか。そもそも王宮内で食べ歩きはいいのだろうか。
「僕から予定組み直すように言っとこうか?」
心配したオルフェが尋ねるが、フィアナは首を横に振った。
「この程度で根をあげるわけにはいきません。期間を考えると、かなり詰め込まないと厳しいですし」
「そうだけどさー……。あーもう、ほんとになんでまた半年なのかねー? 微妙っちゃ微妙じゃない? 一年で良くない?」
一年でも短いくらいだ。さらに刻んできた理由がわからない。
「自分もずっと気になってたんですが……半年後だと建国祭とも重なりますし、叙任式は伸びるんじゃないでしょうか」
「確かにね。あー、ほんと読めないあの親子」
オルフェは肩をすくめてぼやく。
ディルクとフィアナは同意しようとしたが、ある部分にふと引っかかった。
「親子……ですか?」
問い返したのはフィアナ。
国王陛下だけでなく、フリードもということか。
「あいつなんか最近おかしいんだよね。フィアナちゃんに関する言動に一貫性がないっていうか……」
オルフェは顎に手を当てて唸った。
「あのフリードリヒ殿下がですか?」
ディルクが意外そうに声を上げる。
フリードは理性で割り切って物事を決める。
基準がはっきりしているので、そういう意味では行動が読みやすいのだ。
「そ。まー、直ぐにいつもの氷の王子サマに戻ると思うけどね……」
自分でいいながらも、オルフェは何事か考え込むように口を閉ざす。
(やっぱり、フィアナちゃんが関係してる……ってのは、ただの妄想かな)
フィアナが執務室を訪れたときの、不自然なまでの拒絶。
侯爵が騎士団の詰所へ向かったと聞いた時のフリードの顔。
フィアナを第三騎士に叙任したと自分に告げたときの、影の落ちた表情。
次々心の中に浮かべた己の主は、勿論それを肯定も否定もしなかった。