1話 謁見
────その夢は一定の期間に一度、 必ず繰り返される。
熱い。熱い。苦しい……憎い。
憎悪なのか、怒りなのか、哀しみなのか。
どうしようもなく荒れ狂う感情が、黒い炎のように体を内側から焦がし続けている。
夢を見る度思い出す。
ダジボルグ帝国の国章を翻し、大きな影を揺らめかせた後ろ姿。
あちこちから聞こえてくる喉を潰すような悲鳴。辺りを覆う炎より鮮やかな血の色。
何度も何度も蘇る。
楔を打つように、縛り付けるように。
復讐の誓いを、刻み込むように。
それに抗うことはせず、ただ思い出す。
振り返った時に見えるのが、無力を嘆いて泣く自分ではなくて。
刃を手にする、自分であるように。
◇◆◇◆
鏡のように磨き上げられた大理石に描かれるのは、森羅万象を表した緻密な模様。
壁と天井には、神話そのものの神々しくも厳かな彫刻が施されている。
高い天井に吊るされているのは金色に輝くシャンデリア。あれ一つでも、何十人もの農民が一生を遊び暮らせるだろう。
そんな中、フィアナ・シルヴィアは頭を垂れながらいくら考えても答えの出ない自問自答を繰り返していた。
(どうして私は、こんなところにいるんだ……)
ここは“西を統べる大国”フェロニア王国の象徴であるヴァイスモーント城。
さらに言うなら、その玉座の間だ。
貴族連中でもそうそう入れないだろう場所で跪いているフィアナは、貴族ですらない一介の騎士学校生徒。
なのにどういうわけか、このような場所に呼び出されてしまった。
嫌な予感しかしない。
ぞわぞわと背中に何かを感じる。寒気のような不快なこれには、残念なことに覚えがありすぎた。
(この感覚……また、師匠が何かやらかしたのか……?)
迷惑をかけられない日は無かった修行生活は、全く有り難くない探知機能をフィアナに搭載したようだ。
────大陸一の戦士として戦場に君臨し、決まった主を持たず、そのときの雇い主である国を必ず勝利に導く。
身の丈ほどもある大刀を枝でも振るうかのように振り回し、騎馬兵ですら馬ごと斬って薙ぎ払う。
大雑把にも関わらず恐ろしく早い動きは、弓兵が弓を射る前に姿を見失い、次の瞬間には眼前に不敵な笑みを浮かべた悪鬼がいるという────。
大昔の英雄の武勇伝並にぶっ飛んでいる師匠の噂。
しかしそれが誇張表現ではないことを、フィアナはよく知っていた。
本当に馬鹿みたいに強いのだ、あの男は。
(……あれでちゃんとした大人ならば、武人として尊敬できるというのに)
どんなに力を誇ろうと、中身は悲惨なものだ。
やれ野菜は嫌だ、肉を増やせ、味付けが薄いだのと文句を言い、その上信じられないほどに零す。
脱いだ衣類も畳まずに散らかし、洗濯に出さず部屋に溜め込む。
性格は自分勝手で傲岸不遜。いつでも世界は自分のために回っている自己中心男である。
諸々に対するフィアナの不平不満が聞き入れられたことは無い。文句があるなら拳で語れと殴りかかってくるのだ。
あそこまでの屑具合は死んでも治らないだろうがいっぺん死んで欲しい。
(駄目だ。思い出すべきではなかったな)
これでは苛立ちのまま、国王陛下を理不尽に睨みつけてしまいそうだ。庶民がそのような無礼を働けば、不敬罪で牢獄に入れられてもおかしくない。
フィアナが必死に心を静めていると、
「────面をあげよ」
ようやく、国王陛下の異母弟である年嵩の宰相が重々しく口を開いた。
発言は許されていないため、フィアナは無言で顔を上げる。
その動きに合わせ、後頭部で結われた髪がさらりと流れた。早朝に降りた霜を思わせるそれは、艶やかな銀色。
「……ふむ、この前も思ったが、やはり珍しい色をしている」
数段上がった場所にある玉座に鎮座し、圧倒的な存在感を放つ人物はしげしげとそれを見つめた。
「よく来たな、フィアナ・シルヴィア」
穏やかだが威厳を醸す笑み。目に宿るのは、年を重ねても衰えることの無い凄烈な眼光。
現フェロニア国王だ。
ただそこにいるだけで、自分がこの国を統べる王なのだと語っていた。
一方で、かける声は旧知の友にするような砕けたもの。
「先日の御前試合は、見事だった」
三日前に騎士学校で行われた御前試合のことである。この王が数年前から始めたことで、王族自ら騎士学校に出向き、生徒の中で優秀な者達が試合を披露するのだ。
豪華な幕舎が用意され、賑やかなことが何より好きな王により何故か出店が呼ばれ、毎年かなりのお祭り騒ぎとなる。
娯楽に飢えた騎士学校生達にとってはまたとない羽を伸ばす好機だ。
自分の趣味に見せかけ、どうも王はその辺を考えてやっているようだ。こういう所が国民からの支持を集めている。
フィアナもまた、王族の前で試合を披露した一人だった。特別枠として、現役の王立騎士団の青年と戦っている。
結論から言うとフィアナが勝った。それには実力だけではない様々な要因があるのだが、ここでは割愛しておく。
「お前とも顔見知りだったか? 先輩を晴れ舞台で倒すとは、お前も容赦ないな」
有望株だと持て囃される先輩に花を持たせる気はなかったのか、と王は愉快そうに笑う。
「そうそう。今日お前を呼び出したわけだが」
王は、思い出したように言った。
「お前には、第三騎士団の団長を任せると決めた」
何でもないことのように王は言い放つ。
思わず流しそうになり、いやちょっと待てとフィアナは我に返った。
「先代が引退してから長年空席が続いていたからな。いつまでもこのままというわけにはいかん。ま、お前なら問題ない」
「…………!?」
何が問題ないのかさっぱり分からない。寧ろ問題しか見えない。
色を失ったフィアナは、魚のように口を開閉した。
それを見て王は片方の眉を上げる。反応を楽しんでいるようにも見えた。
「お前も災難だな。腕は確かだが、あの男と関わって生きていくのはちとキツイ」
ぞくり。
背中を走る悪寒が、いよいよ確信を帯びる。
「騎士学校に入ってから、“師匠”とは会ってるか? 奴は相変わらずだよ。最近ふらりと執務室に来た」
ほら、当たりだ。
フィアナはそっと下を向いた。
大理石の鏡に、憤怒に染まる薄青の目が映る。
(やはり師匠か……!)
一応言っておくが、王の執務室はふらりとは入れない。
警備体制もさることながら、この王宮は大陸に誇る堅城なのだから。
しかしそれが出来てしまうのが師匠だった。
(まさか、このふざけた話も)
慄くフィアナに、王はにこやかに告げる。
「何しに来たかと思えば、突然『俺の弟子を第三騎士団長にしろ』とかなんとか」
「…………」
ひくっ、と口元が引き攣った。
額には青筋が浮かぶ。
(あんんんの野郎……!!)
突然殺気を爆発させたフィアナに思わず身構える衛兵を宥め、王は悠々と述べた。
「アイツのことだから断ると面倒なことになりそうだしな。それに少し調べさせて貰ったがお前も適正があるし、いいか、と」
雑すぎる。ちょっと試着して大きさが合った靴くらいのノリだ。
師匠と同じ波動を王からも感じ、フィアナは軽い眩暈がした。
「それにしても第三騎士団長とはなー。あいつも変わったところをついてきたもんだ」
────フェロニア王国の王立騎士団は、三つに分けられる。
第一騎士団は、要は『民を守る騎士団』。王立騎士団と言ったら、ここを指すことが多い。
第二騎士団は、『国境を守る騎士団』。王都を離れ、国境に常駐している。
最後に、第三騎士団である。
上記の二つは“民のため国のため”という本来の騎士のあるべき姿だが、ここだけ少し毛色が違う。
第三騎士団は『王族を守る騎士団』。主な任務場所は王宮で、団員も極端に少ない。
仕事は王族や諸外国の国賓の警護が多く、語学も堪能でなければならない。
そして、第三騎士団長の日々の仕事というのは、国王もしくは時期国王の専属護衛である。
(確かに特別だが、だからといって私に任せられると思う意味が分からない)
先程も述べたとおり、フィアナは一介の騎士学校生徒なのだ。王族なんて、雲の上のお方。こうして向かい合っているのだって奇跡に近い。
それが、急に護衛をしろと言われても。そもそも要人護衛など訓練の経験すらない。
「すぐに叙任ではないから安心しろ。これから半年の間、副第三騎士団長から仕事を覚えてもらう。副団長は年若いが、長い間団長代行をしてきたやつだからな。よく学べよ」
王は芝居ががった動きで両手を広げる。
「そして周囲に認めさせろ、フィアナ・シルヴィア。自分が団長に相応しい────と」
(………………えっ)
突然威厳を醸されてもついていけない。
「……さー、急に呼び出して悪かったな」
王はパンと手を叩き、誰にともなく声を上げた。
真剣な雰囲気はあっけなく霧散した。やはり雑だ。
「話は終わった。部屋まで案内してやれ」
「え」
あんぐりと口を開けたフィアナは、二人の騎士により案内というよりも成す術なく連行されていく。
(えええええええ)
こうして、あっさりと謁見は終わった。
そして晴れてフィアナに“次期第三騎士団長”という傍迷惑で重たい肩書きがのしかかったのである。
(……今度、会ったら、覚えていろよ!!)
いつまでたっても踊らせてくれる師匠に報復を誓いつつ、フィアナはぎりりと奥歯を噛んだ。