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The boy meets DEATH.

命を哲学します!最後まで読んで頂けると幸いです。

 祖父が亡くなった。


 おれは、椎名哲也(しいなてつや)。これからどうやって死のうかと考えているところだ。別に祖父が死んだから後を追うわけではない。


 俺は、ただ、疲れたのだ。生きていれば、良いことがあるとか、死んだらすべて終わるだとか、そんなことはどうでもいいのだ。俺は、今に生きている。未来に生きているわけではないのだ。疲れた。これからを生きるのが面倒臭い。何かをする気力が湧いてこない。それだけのことだ。まだ高校生だが、やはり何もやる気が湧かないので自殺しよう。


 俺は、ベランダの塀の上にのぼった。家はマンションの七階であるため、飛び降り自殺で死ぬのが妥当だろう。


 目の前に見飽きた景色がある。これが最後だと思うと、何だか胸に込み上げるものがある。


「さようなら。」


 俺は一人、小さく呟いて七階のベランダから飛び降りる。ブアァァという大きな音と共に体に大きな空気の抵抗を感じる。今までのことが走馬灯のように高速で思い出される。



 二時間前、俺は、誰もいない家で考えていた。命とは何だろうか?


 そもそも、何を以て人は死んだと言えるのだろう? 呼吸も心臓も止まったら死んだと言えるのだろうか? 否。心臓がとまっても、すぐに心肺蘇生をすれば、ほとんどの場合、助かるそうだ。心臓が止まってから30分以上してから助かった例も、幾つもある。生きているのと死んでいるのとの境界は、曖昧である。


 では、人に生命が、命が宿るのはいつだろうか? 出産の時ではない。それはただの現象だ。母親の腹から取り上げられた瞬間に新しい命が吹き込まれる訳ではないだろう。出産前から胎児は動いている。


 では、受精した瞬間だろうか? 否。命が吹き込まれる器があるならば、その器は生きていない何かであるということになる。しかし、受精卵は「生きている」。だって、細胞分裂を繰り返しながら、子宮へ向かっているから。


 ならば、精子や卵子が生きていないのだろうか? これも否。精子も卵子も活動し、動いている。また、精子や卵子は死ぬ(弱って遂には活動がすべて停止する)ものだから、「生きている」といえる。もちろん、精子や卵子を生成した両親は生きている。


 いつ我々は誕生し、死ぬのだろうか?生と死の境界は本当に曖昧だ。


 そう考えると、命とは何だろうか? 生物の体は細胞からできている。それらはすべて、様々な分子からできている。分子もまた、原子の集合であり、原子は、陽子と中性子の周りを電子が飛び回っているものだ。陽子や中性子も二種類のクォークからできている。つまり、すべてのものは人間だろうが、植物だろうが、プラスチックやパソコン、空気に至るまですべて、アップクォーク、ダウンクォーク、電子のたった三つからできているのだ。


 これら三つの素粒子の、どこに命が宿っているというのだ? 人間の体もシャーペンの芯もつきつめれば、同じものからできている。


 人間の意識だって、脳の電気的な活動によるものだ。脳の一部が損傷すれば、その部分の感情または、思考能力はなくなる。


 心理学では顔面フィードバック効果というものがある。感情が顔の表情の影響を受けるというものだ。無理矢理にでも笑顔を作れば少しは気分が高揚し、嬉しいような気持ちになることがわかっている。


 自我というものは、本当に自分の意識なのだろうか? この感情は脳の電気信号やホルモンに操られているのではないか?


 こんなことを考えていると、まるで自分が機械の様に感じた。違いがないではないか。


 それならば、未来は決まっているのではないか? この世界が誕生した瞬間、否、それ以前にもっと前から既に決まっていたのかもしれない。人間を含め、この世界の構成要素は素粒子と言われるものからできているのだから、その全てを観測できれば、未来の全てを正確に予測できるのではないか? 実際にそれは不可能だが、そう考えると未来は全て完璧に確定していると言える。


 そもそも、なんのために生きているのだろう? やりたいことがあるわけでもない。死後の世界はどうなっているのだろう? それ以前に死後の世界なんてあるのだろうか? 魂はあるのだろうか? あったとして、その魂は記憶や感情を持っているのだろうか?


 死ねば確かめられる。もうやりたいことなんてないし、かすかな将来の可能性にすがって生きていく気力もない。シンプルに、今、俺には活力がなく、死にたいから死ぬのだ。この世界に可能性なんて感じられない。そろそろ自分の人生に終止符を打とう。


 俺は椅子から立ち上がると、適当に紙とペンで遺書をかいた。最後に「今までありがとうございました」と書き、俺は解放感の様なものを感じた。



 そうして、現在に至る。今、俺は七階から地面に向けて落ちている最中である。


 死んだらどうなるのかなあ?そんな事を考え、もうどうでもいいと結論付けていると、地面が眼前に迫っていた。


 グチャリ……。


 そして俺は、死んだ。



最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます‼

今回は一人でずっと考えていましたが、次回は話し合いの形で哲学する予定です。

小説らしさがなくてすみません。

そんなに長くはならない予定です。

ついでに、感想やレビュー等書いて頂けると嬉しいです。皆様の意見等もお聞かせください。

※作者は鬱ではないのでご安心ください。元気に生活しております。

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