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25.貴女をもはや離しはすまい

ここに来て一体何日が経過したのだろうか。

ぼんやりと窓の外を見ながらそう考えて、それすら数えていなかった事に気づく。目の前のテーブルに置かれたティーセットを見やる。仄かな湯気を立ち昇らせているカップを手に取り口に含めば香る茶葉の香り。しばらくそれに浸っていると、不意に扉の方からノックの音がした。

ドアに歩いて行って来客を確認すると、開いたドアの向こうに綺麗な髪の毛と瞳が見えたので、ルナは慌ててドアのロックを解除した。


「こんにちは、ルナ」


にこやかに微笑むその姿はいつもと何ら変わりなく、一重に知らぬ人間をも安堵させる瞳と声を持っている。そう、優しくまろやかに毒していく。


「今、お暇ですか」


声もなく頷けば、ああ良かったと本当に安堵したように溜め息をついた。


「僕の部屋で、一緒にお茶をして頂けませんか。貴女の時間を少しだけ僕に下さい」

「構いませんけど、一体どうなさったんですか」

「貴女を誘いたくなった、では理由がないと?」


ベイビーブルーの瞳がその明るい髪色の間から覗き、真摯な眼差しで以ってこちらを捕らえに掛かる。そうなると逃げられなくなってしまうので慌てて視線を逸らし、そんな事ありません、と消えそうな声で答えるしかできない。照れ隠しと見たのかどうなのかクス、と笑い声がした。


「貴女もこの数日籠りきりで退屈でしょう。良い退屈しのぎもご案内しましょう」


しかも退屈しているのまでバレていた。

(これも…彼が知らずに使っている古来の力、なのかしら…)

いけないいけないと両手を頬にあてて誤魔化しながら、ルナはそっと顔をあげてシャトラールを見た。あちらはずっと見ていたらしく、途端にガチリと視線が咬みあう。


「あ…す、すいません…」

「いいえ。よろしければそのまま僕を見つめていて欲しいものです、シンシア。そのついでと言ってはなんですが、この手を取って頂ければティーパーティーにお連れいたしますので」

「え、あ、…はい」


なんでこんなに照れてるんだ。自分でも訳が分からずおずおずと言われるがままに指先をにこやかに微笑むシャトラールの手の上に乗せる。頭上で参りましょう、という低く柔らかな声がした途端に、彼がくん、と手を引いて導くのが分かった。一体どこに連れて行かれるんだろう。

髪の間から覗く薄蒼の瞳がやおらこちらを見ては微笑む。


「僕を信じて」


ドキン。

心臓が一つ跳ねる。この人は、ダメだと言うのに。

(なぜか…会った事がある気がするのは…なぜだろう…)

会った当初はそんな事微塵も思わなかったが、心の中に引っ掛かりを感じていた。それが日々を過ごすにつれて徐々に輪郭を帯びていた。この人に、私は懐かしさを感じる。うっすらとした霞の様な懐かしさを。

(何故……)

それが分からない。分からないから少し苦しい。笑いかけられる度に悲しくなる。

(貴方は……一体誰……)

聞こえない相手に虚ろの様に問い掛けていたら、いつの間にか大きな木製のドアの前に来ていた。小さくシャトラールが口を動かして何かを唱えるとドアのロックが外れる音がし、ドアが観音開きに開く。


「ここは……」


中に歩みを促されたルナがシャトラールに導かれるまま脚を踏み入れると、そこには壁一面の図書の山が広がっていた。古世紀の西洋の大図書館を思わせる様な上から下まで古書が詰まった棚。棚に届く様に設置された梯子。崩れ落ちた本。紙の匂い。ぼうと呆けていたルナに変わらず柔らかな声が響き落ちる。


「僕の…いえ、代々のマーフォーク家の歴史を収めた図書室ですよ。驚かれましたか」

「ええ…すごいです…」

「勿論、最新の本もございますよ。娯楽におあつらえ向きなモノ、果て性欲を持て余した方の娯楽にしつらえたものも…おっと女性の前で失礼を」


どうやら若き主様のちょっとしたジョークらしかったので敢えていいえ、とそっけなく応えておく。まあそう隠されずともこっちは血と欲と性にまみれた日常をクソみたいに見てきたのでそのぐらいはかわいいものだけれど。

そんな部屋の奥に案内され、そこには休憩室の様な空間が用意されていた。吹き抜けの天井からは光が少しだけ零れて地面を照らす。段上げされたように一つ高めの位置に作られた小さめの空間のような所に一つのテーブルと二足のイスだけが設えてあった。そのテーブルの上にはティーセットが整然と置かれている。そこの一つのイスを引かれて座る様に導かれたルナは、素直にそのまま腰を降ろす。次いでシャトラールも目の前に腰を降ろすと、ティーポットの中のお茶をそのまま静かにカップの中に注ぎ、キレイな水色をたゆたわせたカップを前に押し出す。ぺこりと頭を下げて持ち上げ、唇を縁につける。その一連の仕草もシャトラールはじぃ、と食い入る様に見ているのだから、本当に恥ずかしい。

コトリとカップを置いたルナを見計らうかのように、シャトラールは静かにその唇をつうと開いた。


「……ここなら良いと思いまして」

「……なにか」


ニコリ、とごく自然に微笑んだシャトラールは、目に掛かっていた前髪をそっとどけると、その指先をそっと耳に持って行ってから下に降ろし、再度口を開いた。


「……貴女に、彼らが此処に来た当初から欲しがっている例のモノを教えて差し上げようと」

「……アレ……?」


そのままチラリと視線を下に向けるので釣られるようにしてそちらを見るけれど、唯の地面だ。訝しがってまたシャトラールに視線を戻せば、その瞳は少し悲しげにこちらを見返していた。


「……この、下に。海の中の宮殿に」

「海の中……」

「彼女は、海に還りたがったんです」


そう言ってシャトラールはニコリとまた微笑んだ。彼は持っていたティーカップをそっと置くと、カップの中の水色がちゃぷりと小さなさざ波を立てた。


「彼女……」

「……始祖です。僕らの始祖。人に捕まり、人に弄ばれて僕らを生み出した、と言われる唯一人のエヴァ。僕らの祖先はそして、人の過ちを封印する為に彼女を海の底に封印した。彼女の心臓を」

「心臓…」

「そう。そして封印の前に、僕ら一族はそれを口にしている。故に僕らはこの姿を保っている」


指を組み、それを口元に持ってきた彼はそしてそのまま悲しげな眼差しを向けてきた。


「というのも、それが儀式だったんですね。彼女は……再生するんです。しかしその効果が出るのは全ての一族ではない。副作用として死ぬ場合もある。そして生き延びたのが……僕たちです」

「……」


思いがけない真実にルナは思わず息を呑んだ。手元が震えているのに次に気づいておそるおそるカップを降ろす。なんて、そんな。人魚の心臓を食べる? そんな事がずっと行われてきた? まるで都市伝説みたいな話だ。怯えたように震える自分を見ながら、シャトラールはにべもなく話を続ける。


「僕たちは、というか僕は見た目より長生きしてるんです……驚きましたね」


それでも弟はだいたいそのまま、と言った感じですが。彼は儀式の事すら覚えていないので、この事はしりません。そう言ってシャトラールはそっと立ち上がり、こちらに歩み寄った。そしてそっとルナの頬に手を伸ばすと、さすりと指を滑らせる。


「どうして、僕がこんな事を貴女にお話ししたのか分かります……?」

「え……」


真面目な表情のまま、シャトラールは一つ沈黙を溜めた後にゆっくりと息を吸い込む。



「貴女を僕の所に置きたいからです」

「……シャト……ラールさま…?」


二の句が告げずにいると突然両腕が伸びて背中に回り、ぎゅうと力を込められた。とどのつまりは、抱きしめられている。突然の事に心臓がバクバク悲鳴をあげている。耳元でシャトラールのまろやかな声が聞こえた。


「貴女の目的を知っています。貴女の本当の素性も知っています。捕われの姫君。哀れな捕われ人。僕が貴女を救って差し上げます、あのSEVENSINSの忌まわしき悪魔から」

「!!!!」


抱きしめられながら思わぬ彼からの言葉にルナは震えた。もうバレているなんて……! 震えている自分に、シャトラールの大きな掌がゆっくりと背を撫でる。


「怯えないで。……どうして僕があの悪魔の陰謀と知りながら貴女をこの施設に受け入れたのか、それを分かって。貴女を手に入れたかった、貴女をただこの手に」

「シャト…ラールさま……」


それ以上の言葉が出て来なかった。彼の腕の中で身体は震えの止まらない身体を抱きしめていると、突然顔を上に向けられた。薄い水色の瞳がこちらを覗きこむ。


「あの日からずっとずっと、お逢いしたかった……」

「あの……ひ……」


彼は、彼は、私を……知っている……? 思わずシャトラールの二の腕を掴むと、彼は驚いた様だったがすぐに表情を緩めて諭す様に囁きかけてくる。


「……貴女が、ルーナの名で呼ばれていた頃。僕はとあるパーティで貴女とお逢いしてるんです…冷たい月の様に冷え冷えとした空気を持った貴女を。…覚えておいででは…無いですよね……貴女には嫌な記憶だ……」


ぞあ、と背中を這いずり回る悪寒が気分すら飲みこんでいく。嫌だ、いやだいやだいやだ…!


「い……いや……貴方……あなた何を知ってるの……あなたなんで知ってるの!!!」


ぐるぐると回り、落ちていく理性。噴き出す汗、止まらない涙。今の自分がまるで自分じゃない、これは、これは自分じゃない……!


「ルナ……ルナ落ち着いて……僕は何もしない、何もしない!」


酷くうろたえたシャトラールがルナを思い切り抱きしめて腕の中に引きこんだ。空気が足りなくなって喘ぐルナを必死になって宥めようとする。は…は…と自分の喘ぐ声が自分の中で響き渡るのを自覚しながら、ルナは涙に濡れた目で必死にシャトラールを見上げた。彼は泣きそうな目でこちらを見下ろす。なぜ、貴方がそんなに泣きそうなのだ。


「僕は…僕の一族はマーフォーク…不正を許さぬようにと、昔からあのテロ集団を見張ってきたんです。……おそらく、否確実にあの悪魔もこちらの事を把握しているんでしょう。そんな中、貴女がまだ完全に捕われていた頃、僕は貴女に会い、そして貴女に惹かれた。焦がれて、何としても貴女を救おうと。狡くても汚くても、僕は貴女を……」

「言わないで……あの頃は……あの頃の事は……っ!!」


嗚呼、嗚呼分かった。この人が何故懐かしかったのかを。同じ世界に居たからだ。一時でも同じ世界に居て、一瞬でも会っていたから。過呼吸気味になり、引きつるようにひいひいと喘ぎながらシャトラールの胸の中で必死にあがいた。それをさせまいとしてシャトラールも力を込めてルナを抑え込み、そのまま本棚の傍にある長椅子にルナを押し倒した。ひっ、とルナが声をあげるのも気にせず、シャトラールがそのまま唇を重ねて息を吹き込む。


「んんっ……ふ……ふ……ぅ……」


やがて息を吹き込まれて、落ち着きを取り戻してきたルナを、シャトラールは優しく髪を撫でながら覗きこむ。


「……落ち着いた?」

「は……あ……しゃ……とらーる……さま」


涙を涎を流しながらルナは、朦朧とした意識を何とか覚醒させようとしながらシャトラールを見上げる。優しい色の瞳が、申し訳なさそうにこちらを覗きこんでいる。


「ねえ、ルナ……僕のモノになって。僕とココにいて」

「シャトラール様……それは」

「肯定以外の答えは聴きたくない、ルナ」


そして今度は熱のこもった口づけを落とされる。ちゅう、と音を立てて離された頃には、唇に残った熱は身体中を侵しかけていた。抗う様にイヤイヤと首を振るが、シャトラールは表情も変えずに囁き続けた。


「ずっとずっと待っていた…シンシア、僕の月の女神」


それは頭の中をぐるぐると回り意識をだんだんと捉えていく、まるで毒の様に、青の深海に染まる。理性という鎖をいとも容易く解きほどいていく。


「貴女をもはや離しはすまい」




何とか生きてます。

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