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18.穿て穿て疑いを

「人魚の鱗。土産物等として人工で軽く造れます。様はレプリカですよ。持って良く観察すれば分かるはずだ。王はお分かりになっているのでしょう」

「ああ」


そう言ってエルフィナンが指先を伸ばし、その鱗をそっと持ち上げると、それは室内の光を受けて淡いブルーを放った。

その場に居た全員が嫌でも思い知る。これはただの人魚の鱗、しかし殺人現場に在る事でそれは大きな意味を持つのだ。


「犯人は人魚だとでも? 面白い事をおっしゃいますね、エルフィナン王」

「そんな事は言ってはおらん。だが犯人がこれを残して言った事は明白だ。愚かなグローカスがまさか自分でばら撒いたとは思えない」

「これは犯人からのメッセージ…」

「人魚…に関係する誰か?」

「それとも…何か…ではないのか。心当たりがあり過ぎるだろう、シャトラール」


じいと何かを言いたそうにしている感情のない瞳がシャトラールを見つめた。シャトラールはそれを受け止めてもなお作り物の様な笑みを返してその意図を逸らしたのだった。


「分かりませんね」


エルフィナンはその場で眉根を寄せて嫌悪の感情を表に出すと、その場に居た使用人に遺体をどこか冷暗の効く場所に運ぶ様に命じ、黙って部屋から出て行った。その姿を見送ったリシアスは仕方ないねえと苦笑いした後にシャトラールに視線を向ける。


「君も悪いねえ。何故人魚の一族であろうと言う者が、人が死んで尚その宝をかくしつづけるのさ。王も僕も期待はしてたのに。君は今ならあの事を喋るんじゃないかって」

「死者を愚弄するつもりも私にはない。そしてあの事はフェアリーテイルだと何回言えば気が済むんだ、リシアス」

「……諦めたつもりはさらさらない。僕らは飢えている。死神に怯えている…お前には分かるまいシャトラール」

「リシアス…」


疲れ果てた様にリシアスを呼ぶ声は今にも消え入りそうだった。ルナはその様子を見ながらずっと考え込んでいた。

王も、リシアスも、そして死んだグローカスでさえも皆が皆同じ事を口にしていた、「アレ」とは一体何なのだろう。たしかリシアスは人間の根底を変える、と言っていた。皆が皆喉から手が出るほど欲しがる、シャトラールがフェアリーテイル…お伽噺だと言い続ける「アレ」とは…

リシアスの後ろ姿を見送った後には、遺体の移動を言いつけられたであろう使用人たちがぞろぞろと部屋に姿を見せ始めていた。シャトラールは動かす前に写真を取る事を命じてからロイに部屋に戻るよう言い含めるとルナの方へ向いた。


「早朝から散々な目に会いましたね。後は私の方で片をつけますのでルナ、貴女もお部屋にお戻りを」

「…いいえ、シャトラール様。遺体の搬送の準備が出来るまでで結構です、どうか部屋の中の様子をもっと詳しく拝見できませんか。こんな私でも犯人探しのお手伝いが出来るかもしれません」

「なりません、レディにその様な事をさせるなど」


まあ当然であろう答えがシャトラールの口から凛として零れた。それでもルナは諦めずに頑として反論する。


「貴方が傍に立っていれば問題ないでしょう。私も容疑者の一人なのですから、互いが互いを見張り合えばいいわ」

「私の方が突然貴女を襲う犯人だったならどうするのです」

「今は貴方を信じるしかないわ」

「…ルナ」


シャトラールは少し困ったように口角と眉根を下げた。声が聞こえずとも彼が何を思っているのかが伝わってくるようだ。ややあって疲れた様な彼の大きなため息が一つ聞こえると、ゆっくりとその唇から声が零れた。


「…今だけですよ」

「感謝します、シャトラール様」


静かに頭を下げ、彼の後に付いて行く。ベッドの青白いグローカスの顔に苦痛の表情は無い。命の火が消えたその表情に遭遇する度に辛い。それが自分と少しばかりのアクシデントがあった相手でも、だ。せめて犯人だけでも見つけてあげるのが弔いになろう。前に進むシャトラールに気がつかれぬ様、意識を集中し、遺体の横たわるベッドにそっと手を触れた。意識の海を泳ぎ、数時間前の映像の欠片を探していく。僅かなノイズも聞き逃さぬ様に意識の触手を伸ばして探る。

しかし、いくら探しても真っ黒な世界が広がるだけだ。それ以上も無い、それ以下も無い。何も無い。違和感があり過ぎるほどのその黒が突如ルナの意識をバチン! と弾き飛ばした。

そしてしばらくした所でルナはハッとしたように顔を上げた。その表情にはただ驚愕しか残っていない。

(……読めない…!?)

いくら探しても聞きとっても何も聞こえない。何も見えない。ただ覗きこもうとしたこちらの意識が無抵抗に弾かれた。事件現場には何かしらの思念が混じるはずなのに、何故?

(現場が此処では無い、という可能性と、後は)

弾かれた事からも考えて、誰かに邪魔された? 

(否…違うわ)

パッと浮かんだそれをすぐさま取り消した。そんな単純すぎるものではない気がする。

(この敷地内も関係しているのかもしれない。何せこの中は人魚の一族の敷地内だ。何かしらの力が働いていてもおかしくはない…)

となると、この力はちっとも役に立たない事になるわね。

(厄介だわ…)

口元に手を添えて考え込む。どうするべきか。いずれにしても出来ないからと言って手をこまねいている事など自分には似合わない。なら、自分に出来る事を今すべきだわ。

数十秒でその答えに辿りついて、ルナは意を決して顔を上げた。シャトラールが不思議そうにこちらを見たが、微笑んで誤魔化した。


「大丈夫ですか。具合が悪くなったらいつでも仰って」

「ええ」


単純にそう返し、部屋の中を見渡す。調度品やアメニティなどはほぼ他のメンバーと変わらない。パッと見て部屋自体の変化はない。濡れた服、人魚の鱗―人魚のペーパーナイフ。

ふと、ベッドの傍にあるデスクに目を向けると、この部屋の主だった人間の私物だと思われる本が数冊ばら撒かれていた。


「キーツ…『エンディミオン』…成程、グローカスの箇所を」


後ろからシャトラールの声が降りかかった。振り向き彼を見ると、シャトラールの瞳が真っ直ぐその本に向けられていた。


「エンディミオンが月の女神シンシアを探す旅で出逢ったグローカス、彼は老人の皮を被った若者でありました。青い外衣はいくつもの象徴が織り込まれ、彼の脇には真珠を散りばめた杖があり、膝に書物が置かれ、彼は懸命にそれを追っていた。…彼は死ねなかった。荒れ狂う海へ、海底に沈んでいく人、眠りを強制される船…彼は嵐によって海底に沈んでいく恋人たちを海の中の宮殿に並べる役目を担っていた」


言いながら彼は御覧なさい、とその本のページを止める暇も無く繰った。間を置いて、シャトラールの甘やかな声が朗々と詩を奏で始める。


「…〝この広大な海の中に寄るべなき哀れな人が住んでいる。衰えた残骸をさらし、千年も忌わしい人生を生き永らえて、それから独り捨てられて死んでゆく宿命の人が。誰が絶体絶命の反抗を企てる事ができるか。誰もいない。

……かれは喜びと悲しみのこの務めをいとも忠実に果たさねばならぬ。―嵐が投げた恋人たちを、残酷な海に消え失せたすべての恋人たちを、かれは並べて置かねばならないのだ、やがて時間がゆるやかに千年の間を満たすまで〟」

「…これは…犯人が残していった物なのでしょうか…」


何気なく呟いたルナに、シャトラールは困った様に苦笑して見せた。


「…そこまでは」


分かりかねますね、と疲れた様に笑う彼に、ルナは何も言う事が出来なかった。彼が手を離すとパラ、とページが重みに従って繰られ、栞が挟まっている所で閉じた。この栞は彼が読んでいたという証? それとも自分の意思を伝えたい犯人の意思?

丁度栞が挟まっている項をじっと見ながら、シャトラールは手を伸ばして栞を摘みページを持ち上げると、現れたそのページにある詩を尚もその美しい声音で読みあげていった。


「〝…力強い女神よ! あがないがたき苦悶の女王よ!わが命を縮めよ、さもなくばこの重き牢獄より、わたしを解き放て。わたしを空に放て、さもなくば殺せ!……〟成程、この抒情詩の通りに、彼を解放して差し上げた、という訳ですか…さしずめ呪われた魔女サアシイの役目を担ったとでもいうのか…」

「シャトラール様…?」


考え事をしながらブツブツと呟く彼をルナは怪訝そうに見つめる。彼は嗚呼、と声を上げてこちらを見つめ、本に挟んである栞の紐を摘みながら話し続けた。


「この抒情詩ではね、死ねない彼はエンディミオンという救済者を得て解放を待つのですが、我らがグローカスはどなたかが解放をして差し上げたらしい、と言うことです」


あくまで予想ですけれども、と彼は付け足した。良く分かった様な分からない様な答えだった。

振り向くと、遺体に刺さったペーパーナイフが室内光で光り、思わず目を細めた。柄に彫られた人魚が無表情でこちらを見つめている。刃の突き刺さった部分から血が滲み、その血がどす黒く変色している。

もがいた様な後は多少見受けられるものの、刺された事によるものだろう。抵抗の傷も見受けられるが、結局彼はそれに負けた。力が勝っていた?グローカスは曲がりなりにも力のある成人男性だ。それに勝てる人間なんているのだろうか。それはあまり現実的ではない。ルナは隣で考え込んでいるシャトラールに声をかけた。


「…後でエルフィナン王に検死の結果の詳細なデータを出して頂きましょう。グローカス様は毒を盛られていた可能性も否めません」


しばらく考え込んでいたシャトラールはフ…と息を漏らす様に言葉を紡ぐ。


「……そうですね。グローカスは真正面から刺されている。そのままでは抵抗されるのが目に見えている。…我が一族の医師でもその位は出来ますから、王に助言を頂きつつやってみましょう」

「後、私達含めた皆さんのアリバイも念の為確認しましょう。尤も、あまり意味もないかもしれませんが」

「いいえ、大事な事と思います。無駄でもそれはいずれやらざるを得まい…皆さんが落ちつきましたらまた改めて収集をかけます」


それからちらりと使用人たちを見やると、シャトラールはルナに優しく話しかけた。


「…そろそろ遺体を運ぶ準備が整った様です。ルナ、もうそろそろお部屋にお戻り下さい。こんな状況では揃って食事も気まずいでしょうし、朝食は各々の部屋へ運ばせます。それから集まって頂いてお話を聞く事に致しましょう」


そっと肩に手が置かれ、緩やかに押される。仕方がない、それまでの約束だったのだ。ルナは諦めて彼の言う事に従う事にし、グローカスの部屋を後にする事にした。

やがて遺体が担架に乗せられ、部屋から出されるのを見送ったシャトラールは先程の本に再度手を伸ばすと、あるページで手を止めた。ため息の様な声が静々と詩を読みあげる。


「〝魔界の女サアシイは、そのとき節だらけの棒をかれらの上に振っていた。しばしばふと魔女は笑い声をはり上げ、手籠から葡萄の房をその群れに投げつけた。

すると彼らは手早に貪り喰い、なおも求めて吠え猛り、毛むくじゃらの口のあたりを幾度も舌なめずりをしていた。

復讐心に燃えゆっくりと彼女はやがて宿生木の枝を取り、それに薬瓶からどくどくと黒い水をそそいだ……〟

……毒を使っているのは間違い様がないだろう…グローカス、お前には悪いが彼女は僕のシンシアだ、お前のシーラでは無い。…お前の恐れであるサアシイの役目を担ったのは……」


言葉は不意に意味を失い音を無くした。彼のベイビーブルーの瞳が一瞬影を生んだが、次の瞬間に彼は本を取りあげ、胸に抱いてから死者の部屋を後にしたのだった。






何気に最後のシャトラールのシーンがお気に入りであります。

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