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5.


 見上げても計り知れないほどの大きさの、荘厳で煌びやかなゲートと呼ばれる扉の前で、黒衣の死神はその普段のんき極まりない顔になにやら少しばかり真剣さを帯びさせて立っていた。

 漆黒のローブが風もないのにゆらりと揺れる長身で細身の身体は、真っ白な世界――冥府と呼ばれる死後の世界――ではとてつもなく目立つが、そんなことは気にならないように、相変わらずこれ大きいよね、と思考は全くいつもののほほんとしたものであるのだが。

 ここはアンリが死神として人間の魂を回収した後に解き放つ場所。普段暇そうに骨董屋の店主と共にお茶をすすっているばかりがアンリではないことだけは一応いっておく。こう見えても最高神に次ぐ位を持つ立派な「神」である。

 そんな偉い神が今こうして立っている場所が冥府といわれる、人間の言う「天国」と「地獄」を管轄下に置く世界。上も下も右も左も、空間そのものの概念などないようにどこまでも白く、穏やかな世界。そしてこの大きなゲートの向こうに、魂の世界が在る。

 普段仕事以外でここには来ないアンリがなぜここにいるのかといえば、ある人物に会うためだった。

「はぁ……ほんとにあんなこと言っちゃったけど、大丈夫かなぁ。絶対怒られるよねぇ」

 ゲートを見上げていた視線をがっくりと地面ともいえない白い下に落として、アンリは盛大にため息をついた。

 そう、あんなこと。

 下界の少年にした約束事を思い出して、死神が困り果てたように眉根を寄せて、抱き締めていた死神の鎌に視線をめぐらせる。そこには物言わぬ深緑の薔薇の蔦が絡みついていた。

「こんなことになるなんて、死神やって長いけど初めてだよほんと。ね?」

 長い間自身と共に過ごしている蔦に向かってぶつぶつと独りごちるアンリが、しかし腹を決めたように一つ息を吐いたとき、すぐ後ろに誰かの気配を感じた。

「お待たせ」

 気軽な声がかかり、アンリがそれにくるりと身体を反転させてみると、一人の男が立っていた。

 青紫の視線の先に立っているのは少し長めの黒髪にトパーズの瞳が印象的な、アンリと年が変わらない感じの男だった。首に飾られている血のように赤いチョーカー以外は全て黒という、これまたこの白い世界では目立つことこの上ない装束を身に着けた「神」。

「もう、リューリク遅いよ?」

 アンリがその黒い神をリューリクと呼び、待たされたことに対してぷっと頬を膨らませて軽く睨んだ。

「ごめんごめん。てかお前から呼び出すなんて珍しいこともあるもんだな」

 気軽な口調そのままにリューリクはアンリに歩み寄り、悪びれた様子もなく笑う。

「うん。ちょっとお願いがあってね。あのね」

 正面に立ったリューリクと同じ高さの視線を結び、アンリは少しだけ声を抑えて、時間を惜しむように今日この神を呼んだ理由を切り出した。

 リューリクは常世を管理する神の一人。ここはアンリの住む天界とはまったく別に存在する世界で、ここを統べる神も勿論アンリの上に立つ最高神とはまた違う神だ。その神の下で、リューリクは常世を管理する立場にある一人だった。他にも神は何人かいるが、アンリは昔から仲がいいリューリクに今回のことに協力してもらおうと呼び出した。

 本来常世は、いくら高位の神であるアンリでも立ち入ることはできない世界だ。人間の魂を回収してここに放つまではアンリの仕事であっても、それ以上のかかわりは禁忌で、まして下界で不可思議な骨董屋を営んでいる店主と呼ばれるだけの男が、アンリに提案したことは前代未聞だろう。魂を常世から一時的であるとはいえ連れ出すことなど、考えたこともなければやったものなどいない。

 しかしナオとアンリ自身がかかわり、悪戯をされて散々な目に合ってしまったが、やはりどこか優しい死神は思う。小さな子供に最愛の父親との最期の時間をあげたいと。だからリューリクまで巻き込んででもナオの父親の魂を連れ出したいと考えた。

 リューリクが反対して協力してくれなければ、もう諦めて常世に入り込んでナオのお父さん拉致っちゃうしかないよね。と腹を決めてもいるアンリが、いつもよりもまじめな顔と声のままリューリクへことのいきさつを話した。

 しかし当然ながらリューリクがそれを驚きもしないで聞くはずがなく、話を聞くにしたがってトパーズ色の瞳を徐々に真ん丸くし始める。一体このバカな死神は何を言ってんだといわんばかりに宝石の瞳でアンリをじっと見つめて、話が終わるとまだわからないといった様子でぽかんとしていた。

「ってことなんだけど……」

 アンリが一気に話をしていたせいか大きく息を吐きながら言うと、リューリクがハッと我に返ったように瞬きをした。

「いやいや、お前バカじゃないの?」

「……なんなのさいきなり」

「なんなのさじゃないだろ。そんなことできると思ってんの?」

 呆れ果てたリューリクが黒髪をざっくりとかき上げてため息を落とした。しかしここで引き下がれないアンリが宝物の死神の鎌を握る手にきゅっと力をこめると、眉間に皺を刻んだまま言葉を返した。

「できるなんて思ってないけど、してあげたいんだもんっ」

「だもんじゃねーって。思ってないならしなきゃいいんだよ」

「何でそんな冷たいのっ」

「冷たいとかの問題じゃないと思うけど? とにかく返品交換はできかねる」

「返品交換じゃないよっ。少しの間だけ僕にナオのお父さんを預けてほしいの。ナオと会って話ができたらすぐに戻ってくるから」

 腕組みをしながら言葉を聞き流すリューリクに向かって、死神がくい下がるように詰め寄った。白い世界で真っ黒な二人ぎゃーぎゃーと言い合いをすることどれくらいだろうか。そのうちにアンリがリューリクを突き放すようにして身を翻した。

「もー良いよ!! ばかぁっ」

「ちょ、バカにバカって言われたくねぇ!」

 いつも馬鹿だのなんだの言われることが多いアンリに馬鹿と言われて、さすがにリューリクが驚きむっとしたが、アンリはそんな神の顔を見ることもなく少々荒っぽい足取りでずんずんと大きなゲートに歩き出した。それにリューリクがまた目を丸くして驚き、後を追いかける。

「お前どこ行くんだよ」

「どこって中に入るに決まってるでしょっ」

 顔を赤くしてぷんすか怒りながらアンリが返すと、リューリクが慌てて死神の黒衣を引っ張るように掴んだ。ぐいっと後ろに引っ張られたアンリが黒衣の下でバランスを崩して思わずよろめいた。

「きゃっ。何するのっ」

「お前ほんと馬鹿かっ。なんで正面から行くんだよ!」

「そんなの知らないよ!どうせ見つかるなら正面からでもどこからでも同じじゃないさ!」

「あほかっ。部外者がここを通ったら一瞬にして消されるぞ!?」

「へ……? そうなの?」

 真剣なリューリクの言葉と顔つきで、その言葉が嘘ではないことを理解したアンリがぴたっと足を止めた。白い中ですったもんだしていた黒い神二人はそこで一旦互いに姿勢を直して再び向き合う形で視線を交わらせた。リューリクが大きなため息をつき、アンリへと言葉をかける。

「ここは死んだ者と俺たちしか入れない世界だ。いくらお前が天界で偉い神だろうとそれは変わらない」

「そんなの、知ってるもん」

「それに、魂を外に出すなんてこともしちゃいけないことなんだよ」

「知ってるってば!」

 リューリクに分かりきったことを言われて、思わずアンリがカチンと来て睨み返した。しかしリューリクがその眼差しを柔らかく受け止めた。

「だから、協力してやる」

「………………へ?」

 あまりにもあっさりと言われたことに、アンリが予想外のあまり間の抜けた声を出した。それがおかしかったのかいつものアンリの反応だと思ったのかは分からないが、リューリクは小さく笑った。

「お前だと確実にばれるけど、俺ならまだばれない可能性の方が高いかもしれない。……まぁ、ここの上の神のことだからなんかしら気付くかもしれないけどさ」

「だよね……リューリク?」

「なんだ?」

 気軽な様子で自分を見ている黒い神に向かって、アンリは戸惑った様子で言葉を零した。

「いいの? ほんとに」

「は?」

「だって怒られるなんてものじゃすまないかもしれないよ? 位降ろされるかもだし……」

 先ほどまでの勢いはどこに行ったのかと突っ込みたくなるほどに弱気なアンリを、リューリクはしばらく珍しいものを見るように見つめていたが、やがて小さく吹き出すと肩を揺らして笑い始めた。

「なんで笑うのさっ」

 心配して言ったことに笑われて、アンリがまた子供のようにぷうっと頬を膨らませてトパーズの瞳を見返したが、リューリクがしばらくの間笑い続け、ようやく笑いが収まってきたころにアンリの頭を被っているフード越しに極軽くはたいた。

「お前が常世の中で大乱闘して怒られるよりはずっとましだわ。もし位降ろされたらそのときはそのときってことで良いんじゃね?」

 にやりと不適に笑って見せたリューリクに、アンリははたかれた頭を抑えながらむっとして、しかしこの神の心が嬉しくて自然と眉間の皺を解きあどけない笑みを浮かべていた。

「ありがとね」

 青さを帯びるくらい白い顔を少しだけ赤くして、アンリはにっこりと微笑んだ。

「お礼は連れ出すの成功してから言えよ。じゃあ行って来るわ。いつまでもここで二人でいたら上のが出てくるかもしれないからな」

 両手を挙げて伸びをしたリューリクがアンリと視線を結んだままそう言うと同時に、闇が光にまぎれるように姿を掠めさせる。その様子を黙って見ていたアンリが小さく頷いたときには、黒い神はわずかな気配を残して完全に消えていた。白い世界の先にある魂の世界に向かって。

「ほんと、ありがとね」

 上も下もない白い中で、独りきりになったアンリは嬉しさのまま微笑を湛えて、荘厳なゲートを見上げて死神の鎌をきゅっと抱き締めた。

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