第4話 初ライブ──“出会いの曲”が繋ぐ奇跡
博士の研究所は普段から雑多な空間だが、今日は特に騒がしい。舞台と呼べるほど本格的ではないが、博士が準備した即席のステージや電飾、照明が慌ただしく設置されている。棚や机から引っ張り出された資材がそこかしこに積まれ、作業するメンバーたちの声が飛び交っていた。
「奏、ここにケーブルをつなげばライトが点くのかな?」
「いや、こっちはスピーカーの配線かも……博士、どの線がどれなのか分かりにくいんですけど!」
「ははは、いろいろ試してみるんだ。失敗が発明の母だぞ!」
博士は笑いながらも、各所を飛び回って細かいチェックをしている。奏は呆れつつも、ライブのために熱心な姿に嬉しさを覚えた。
一方、ボーカルのテフナとドラムのナナは、楽器の位置やリハーサルの音量などを確認している。といっても、ナナはいつも通り無口でコツコツ作業をこなし、テフナは「初めてのライブだし、どんなふうになるのかな……」と期待と不安が入り混じった表情だ。
夕方が近づくにつれ、ステージの体裁はなんとか整った。だが、最大の問題は“お客さん”をどれだけ呼べるかだ。博士と奏が考えて「チケット」を作り、街のあちこちに配ってみたが、住民たちはいまいち反応が鈍い。
「音楽……? そんな余裕はないよ」「無料だって言われても、怪しそうだし……」
もともと娯楽が乏しいこの国では、「ライブ」という言葉自体が何を指しているのか理解してもらえない。チケットを受け取ってもらえないことも多く、奏は頭を抱えた。
「……どうしよう。客がゼロとか……ありえるよね」
初めてのライブに向けて気合を入れていた奏だが、このままでは完全に空振りに終わる恐れが高い。ステージ脇で肩を落としていると、テフナが凜とした表情で立ち上がった。
「私、広場で歌ってくる。……ほんの少しでもいいから、本物の“声”を聴いてもらえたら、興味を持ってくれるかもしれない」
「え、でも……危なくない? 道端で急に歌って、変な人に絡まれたりしないかな……」
奏は心配するが、テフナは首を振って笑う。
「大丈夫。みんなの努力を無駄にしたくないの。……信じて、行ってくるね」
博士も「うむ、気をつけるんだよ」と声をかけるが、テフナの熱意を感じ取り、あえて止めようとはしない。こうしてテフナは、町の中心へと足を運んだ。
夕刻の広場は、疲れた顔の人々が行き交うだけで、特に華やかな雰囲気はない。戦争の長い停戦状態により、物資も足りず、貧しい暮らしを強いられる住民たちばかりだ。
「……ここで歌って、本当に人が集まるのかな……」
一瞬、テフナの心にも不安がよぎる。だが、思い切って息を吸い込み、口を開いた。ほんの短いフレーズでいいから、声ひとつで示してみよう。
「……♪……」
清らかな響きが夕暮れの広場にそっと溶け込む。はじめは誰も気づかないが、徐々に足を止める者が現れ、耳を傾ける者が増えていく。無理やり叫んだり声を張り上げているわけではない。ただ静かに、透き通る音色が人々の胸に入っていくような感覚だった。
「え、なんだ、この声……聞いたことない感じだ……」
「なんだか胸があったかくなる……」
最初は怪訝そうな顔をしていた通行人も、テフナの歌声に引き寄せられるように集まり始める。歌い終わった後、テフナは少し照れくさそうに口を開く。
「……実は、今夜、町はずれの研究所で“ライブ”をやるんです。私たち、音楽ってものを作ってるんですけど、よかったら聴きに来てください……お金もいらないから……」
戸惑う人々の中から、「ライブ? って何……?」「研究所って、あの博士のとこか……」という声が上がる。だが、テフナがもう一度短いフレーズをアカペラで歌うと、少しずつ興味を抱く者が出てきた。
「こんなに綺麗な歌があるなら、聞いてみてもいいかも……」
「なあ、行ってみようぜ。無料って言うし……」
その場にいた何人かが声をかけあい、口コミのように情報が広がっていく。テフナは成功を確信したわけではないが、“音楽”という未知の刺激が人々を動かす手応えを感じていた。
研究所に集う人々──本番直前
日が落ちる頃。博士の研究所には信じられないほど多くの人が集まっていた。テフナが広場で歌った噂が瞬く間に広がり、「聞いたことのない面白いものがあるらしい」「無料なら試しに行ってみよう」という流れができたのだ。
「奏、見てよ……こんなにたくさん……!」
テフナが戻ってきたとき、研究所の周辺に立ち尽くす人の多さに、奏は驚きのあまり息をのむ。さっきまで客ゼロを恐れていたのが嘘のようだ。
「……ありがとう、テフナ。本当に歌いに行ってくれて……成功したんだな」
「ううん、私もびっくり。こんなに来てくれるなんて……でも、頑張らなきゃね」
博士は準備していた電飾を一斉に点灯し、「よし、ステージ照明、ちゃんと機能してるぞ!」と興奮気味。ナナはドラムスティックを握りしめ、黙々と深呼吸している。客席から「いつ始まるんだ?」という声が聞こえ、緊張感が一気に高まる。
「……それじゃ、行こうか。初ライブ、成功させよう」
奏がギターを抱えながら、メンバーたちに声をかける。テフナは微笑んで大きく頷き、ナナと博士も頷き返す。こうして、奇妙な研究所での初ライブが幕を開けようとしていた。
照明が落とされ、ナナのドラムがカウントを取る。タン、タン、タン…… 第一曲目はテンポのある明るいナンバーだ。奏が提案して作り上げた新曲で、テフナの伸びやかな声を活かし、博士のベースが低くうなる。客席の人々は初めて接する“音楽”という体験に戸惑いつつも、次第に惹きこまれていく。
続けて二曲、三曲と披露。どの曲も、この国では耳慣れない不思議なメロディやリズムが満載だ。客席からは「すごい……」「こんな楽しいものがあるのか」といった声が囁かれる。
そして迎えたラスト曲。テフナがマイクを握り、観客に向かって静かに話し始める。
「この曲は、私が奏と出会ったときに教えてもらった、大切な歌です。もともと、奏が日本という国で作った曲なんだって……。私にとっては“音楽”と出会った瞬間でもあります。皆さんにも、ぜひ聴いてほしい……」
ドラムが静かなリズムを刻み、博士のベースがゆったりとした低音を添える。奏はギターを構え、ほんの少し照れながらも、ずっと大事にしていた曲のイントロを爪弾き始めた。
**「**あなたと出会って 見えた光が
暗い夜でも 胸を照らすよ
さあ 一歩ずつ 物語が今動き出す
迷い続けても 手探りでいい
過去の傷跡 抱えていても
繋がる想いが 明日を変えてく
あの日の小さな 声の調べは
世界の片隅に 新しい道を開いた
出会いが始めるストーリー 信じて進むんだ**」
テフナの声が優しく伸びやかに広がり、奏のギターが柔らかくそれを支える。客席の人々は息を飲むように聴き入っている。今この空間にあるのは、初めて知る“音楽”が放つ力——まるで魔法のような、それでいて温かなものだ。
曲が終わった瞬間、しんとした静寂が降りる。誰もが言葉を失っていたが、やがて会場のあちこちから拍手が起こり、それはみるみる大きく膨れ上がる。興奮で声を上げる人、涙ぐむ人、驚きのあまり立ち尽くす人……様々な感情が渦巻きながら、研究所は熱気に包まれた。
ステージ上で、奏はギターを下ろし、深く息を吐く。文化祭であんなにも悔しい思いをした曲が、こんなにも大勢の心に届くなんて信じられなかった。
(父さんのように上手になれるか分からないけど……ここで生まれた“音”には確かに人を動かす力があるんだ……)
思わず胸が熱くなり、込み上げるものを感じながらステージ袖へと引きあげると、そこにはまぶしい笑顔のテフナが待っていた。彼女は小さくガッツポーズをして、「やったね!」と目を輝かせる。奏はその姿に笑みを返し、心の中でこっそりつぶやく。
(ありがとう、テフナ。君が歌ってくれたおかげで、この曲はようやく完成した気がするよ……)
こうしてホーピーズの初ライブは大成功を収めた。研究所には観客たちの熱気がしばらく残り、さまざまな感想が飛び交う。「こんなに胸が震えたのは初めて」「何だか元気がわいてきた」と喜ぶ声を聞いて、博士もナナも満足げな表情を見せる。
公演後、客たちは名残惜しそうに帰っていくが、「またやってくれよ!」「金を払ってでも聴きたい」という言葉を残していく者までいた。娯楽に飢えていたこの国で、“音楽”という言葉が新たな希望を運び始めたのだ。
ナナはドラムスティックを片手に「……こんなに人がいるなんて……ちょっとびっくり……」とつぶやき、博士は「ははは、照明の調子も良かったし、うまくいったな!」と上機嫌。奏はギターを抱えたまま、まだどこか信じられない思いで顔をほころばせていた。
「みんな、本当にありがとう。大成功だね……!」
テフナは頬を赤らめながら、嬉しそうにみんなを見つめる。奏はその姿を見て、苦い記憶だった文化祭がようやく報われたような気がした。
(まだまだ父さんには及ばないけど……俺には俺の音がある。これからもっと上手くなって、多くの人を笑顔にできるかもしれない)
心の奥に、確かな手応えが芽生えた夜だった。斯くしてホーピーズの初ステージは終幕を迎え、新たな物語が動き出す予感が、研究所の温かな灯りの中で静かに満ちていた。