第2話 ボーカル不在?──出会った歌姫
数日後の研究所は、妙に活気づいていた。奏は博士が作ったギターらしき楽器の音を確かめながら、その改良点をノートに書き留めている。博士は徹夜で開発したギター風の物体を得意げに見せるが、まだまだ調整不足のようだ。
「ポロン……ポロロン……」
奏が弦を弾いてみるが、調弦が不安定で妙な響きがする。思わず苦笑いして言った。
「博士、このネックの部分が少し歪んでて、弦がちゃんと張りにくいみたいです。もうちょっと補強した方がいいかも」
「むむ……確かに。ま、改良の余地はあるが、とりあえず音は出たぞ! あとは演奏者の腕次第だな!」
博士は上機嫌で胸を張る。だが奏は半ばあきれ顔で、「その腕次第の前に、作り込みが必要だと思うけど……」とぼやいた。
とはいえ博士のモチベーションは高い。
「よし、楽器ができたら今度は“バンド”を組もう。君はギターとして参加して、私は……そうだな、低音パートをやりたい気もする。あとはリズムも欲しいし、最も大事な“ボーカル”をどうするかだ」
「ボーカル……俺は遠慮したいです。恥ずかしいし……人前で歌うのはちょっと……」
奏は慌てて手を振る。博士は「なら私が歌うか? 自慢じゃないがガラガラ声だぞ」とドヤ顔で言うが、正直なところ期待できそうにない。
「うーん、どうしよう。ボーカルがいないと始まらないんだよな……」
奏はギターの音を微調整しつつ、頭を抱える。博士もさすがに難しい問題だと思ったのか、「まあすぐには見つからんかもしれんな。焦らずにいこう」と言った。
そんな行き詰まり感を拭うためか、奏は「少し外を散歩してきます」と研究所を出た。練習ばかりで気が滅入りかけていたし、作りかけの曲のアイデアも行き詰まっている。外の空気を吸ってリフレッシュしたかったのだ。
街はずれの雑木林へ足を向けると、さわさわと草木が風に揺れる音だけが耳に入る。人の気配はほとんどなく、静寂が漂っていた。
「……こんな田舎っぽい風景も、悪くないな……」
もともと日本の都会に慣れていた奏には、どこか新鮮で奇妙な感覚だった。ここがいわゆる“異世界”というやつなのだと改めて実感する。
ぼんやり歩いていると、不意にどこからか歌声が聞こえてきた。透明感があって澄んだ声。それは童謡のような素朴なメロディを口ずさんでいるらしい。
(こんな辺境で……誰が歌ってるんだろう?)
奏は思わず足を止め、歌声の方へ耳を澄ませる。すると雑木林の奥、小さな草むらで、一人の少女が座り込んでいるのが見えた。褐色の髪が目を引き、遠目でも儚げな雰囲気を感じる。どうやら歌っているのはこの少女らしい。
奏は近づきながら、その歌声に聞き惚れていた。文化祭で自分が聞かせたかった音とはまるで違う、伸びやかで透き通る音色。言葉にならない感動が湧き上がる。
「……こんな綺麗な声があるなんて……」
ついつい口に出してしまった瞬間、少女ははっと気づき、警戒心を露わに立ち上がった。
「だ、誰……!? いつからそこにいたの?」
焦った顔で身構える少女に、奏は両手を挙げて謝罪する。
「ごめん、勝手に聴いちゃって……すごくいい声だったから、つい……」
「いい声……? 私はただ、昔からある唄をちょっと口ずさんでいただけで……」
少女は戸惑いながら上目遣いでこちらを見つめる。奏はその瞳に吸い込まれそうになるが、なんとか気を取り直して自己紹介を始めた。
「俺は高橋奏。日本から来た……って言っても、伝わらないかもしれないけど、とにかくこの世界じゃ余所者なんだ。色々あって、今“音楽”っていうものを広めようとしてて……」
言葉に詰まる奏を見て、少女は首をかしげる。
「音楽……? あんまり馴染みがないけど……娯楽みたいなもの、なの?」
「まあ、そんな感じかな。でもね、あなたの声……すごく魅力的だから、もし良かったら一緒にやってみない?」
まだ何も説明できていないのに勧誘している自分に奏は苦笑するが、それほど彼女の歌声に衝撃を受けていたのだ。
「君の声なら、きっと多くの人を感動させられるよ。……今、俺はバンドを組もうとしてるんだけど、ボーカルがいなくて困ってて……」
少女はますます混乱気味に「バンド……? ボーカル……?」と首を振る。だが、その目には好奇心も混ざっているように見えた。奏はスマホを取り出し、ほんの短い音源を聴かせる。文化祭用に録っていた自作デモだ。
「これは俺が作った曲で……下手かもしれないけど、聴いてみてほしい」
スマホから流れるメロディに、少女は息をのむように目を見開く。
「こんな音、初めて……胸がドキドキする……」
やがて音が止まると、彼女はそっと涙を拭うようにして言った。
「……私、テフナって言います。歌は好きだけど……本当に私なんかが役に立つのかな……」
「立つよ! 絶対立つって……いや、むしろ君にしかできないっていうか……」
勢い込んで言ってしまった奏は、照れながら続ける。
「一緒に“曲”を作ってみよう。俺もまだ未熟だけど、せっかくなら君の声を活かせる曲を作りたいんだ……」
テフナは少し考えた末、決意したように微笑んだ。
「……わかった。やってみる。私も、自分の声が誰かの役に立つなら……」
こうしてテフナを連れて研究所に戻った奏だったが、博士は雑木林へ散歩に行ったきりの奏が女の子を連れてきたので目を丸くしていた。
「いやあ、どこで見つけてきたんだね?」
「見つけた、って言い方は失礼ですよ博士……。とにかくこの子がうちのボーカルになってくれるんです!」
博士はガラガラ声の自分には無理だと思っていたので、思わぬ朗報に大喜び。しかしテフナはまだ少し緊張している様子だ。
夕方になり、研究所の一角で奏は照れながらギターを持ち、テフナにメロディを教え始める。
「この曲……実はこのまえ披露しようとして、大失敗した曲なんだけど……いつか誰かに聴いてもらえたらと思ってて……」
「失敗……?」
「うん。でも、君が歌ってくれたら、今度こそうまくいく気がする。どうかな……?」
奏が弱気に問いかけると、テフナは柔らかな笑みを浮かべる。
「すごく素敵なメロディ。上手に歌えるようになりたい……教えてくれる?」
「もちろん……!」
奏は一瞬、父への劣等感が頭をもたげるが、テフナの眩しい笑顔を見ると不思議と前向きになれる。音楽を否定された苦い記憶が、少しずつ薄れていく気がした。
「よし、そうと決まれば、さっそくバンドの体制を考えようじゃないか!」
博士が鼻息荒く提案するが、奏は苦笑して言う。
「バンド名とかメンバー構成とか、いろいろ決めることはあるけど……まずはしっかり曲を練習して形にしないと。俺、たくさん曲を作ってみるんで、テフナが歌いやすいように調整していきましょう」
「う、うん。よろしくね、奏」
その日は夜遅くまで、奏がギターを鳴らし、テフナが声を合わせる音が研究所に響いていた。博士はそんな二人をほほ笑ましそうに眺めつつ、次なる発明の構想を練っている。
まだバンド名も決まっていないし、肝心のリズム隊も不在だが、ボーカル不在という大きな問題が解決しただけでも大きな前進だ。これからどんな音楽が生まれるのか、奏はワクワクと不安が入り混じった気持ちで胸を弾ませていた。