第11話 帰還のタイムリミット
戦争の気配が日に日に濃厚になる中、ホーピーズはあちこちでライブを開き、人々に音楽の力で笑顔と希望を届け続けていた。悲しみを抱えながらも前に進むメンバーたちを、国民は熱く支持していた。しかし、そんな熱気に目をつけた者たちがいた。
ある日、研究所のドアが乱暴に開け放たれ、政府の役人が数名ずかずかと入ってくる。彼らは高圧的な態度で博士や奏を見下ろした。
「貴様らの人気は知っている。国民の士気を高めるために、次のライブでは戦意を鼓舞する曲を歌え。……拒否するなら、その音楽活動、今後一切させんぞ」
あまりに理不尽な要求に、博士は激昂しかけるが、ナナが慌てて腕を掴み、抑える。相手は国の権力を握る連中だ。安易に逆らえば研究所も潰されかねない。
奏は唇を噛みしめ、「そんな……俺たちの音楽を、戦意高揚の道具に使うなんて……」と抗議しようとするが、役人は鼻で笑うだけ。結局、彼らは脅しの言葉を残して帰っていった。
博士は拳を握り、壁をどんと叩く。
「くそっ……音楽は人を笑顔にするためにある。こんな形で利用されてたまるか……」
ナナも悔しそうにうつむく。彼女はいつも表情を見せないが、このときばかりは明確に憤りを感じ取れるほどだった。奏も胸の奥が苦しくなる。テフナが命を懸けてまで願った音楽が、戦争を推し進める道具にされるなんて想像もしたくない。
その夜、博士は研究所の書庫をひっくり返すように読み漁っていた。戦争をどう止めるか、あるいはどうやって権力のプロパガンダを回避するか――考え得る資料はすべて探すつもりなのだ。
「……さて、確かこの辺に……」
博士は埃まみれの書物を一冊取り出し、薄いろうそくの火でページを照らす。そこには、この国に古くから伝わる“童謡”についての歴史的な記述があった。
「あの童謡……テフナが街はずれで口ずさんでいたメロディと、そっくりだな……」
博士は以前から「この童謡は、この国の音階体系とは少し異質だ」と感じていたらしい。それがずっと引っかかっていた。
「そう言えば最初にテフナを見つけたとき、あの子が口ずさんでいたメロディは、他の歌とはどこか違っていた……」
ページをめくり続けるうちに、博士の目が急に大きく見開かれる。そこに書かれていたのは、この童謡が“日本”という国からやってきた“異世界転生者”の手によるものだという伝承。しかも、その転生者はある周期が来ると元の世界へ帰ってしまうというのだ。
「日本……? 異世界転生……?」
博士は眉をひそめ、横で見守る奏を振り返る。
「なぁ、奏。君は自分が『日本人』だと言っていたよな。それに、スマホから最初に流れた音楽も、あの童謡と似た響きがあるというか……」
「似てるかどうかはわからないけど……でも、この童謡って、テフナが街はずれで歌ってた、あの曲だよね?」
そう、奏とテフナが出会ったきっかけになったメロディ。普段この国では聞かない調子の曲だと二人で話していたのが、今まさに博士の手による調査で裏づけられようとしている。
翌朝、博士はナナも交えて三人で朝食をとる場で、この童謡の記述を改めて共有する。
「……どうやら、この童謡を遺した“日本”という国からの転生者は、最終的に元の世界へ帰ってしまったらしい。さらに『一定の周期で転生者は帰還する』と書かれている」
奏は息を呑む。
「ってことは……俺も、いつかは元の世界に強制的に戻されるのか……?」
博士は神妙な面持ちでうなずく。
「恐らく……周期は個人差があるのか、正確な期間までは書かれていないが、数週間から数カ月ほどで戻ったという記述がある。つまり……」
言葉を詰まらせる博士に、ナナが視線で促す。博士は小さく息をついた。
「……あと一か月ほどで、君は元の世界へ帰ってしまうかもしれない。いえ、ほぼそうなるだろうな」
その場に重い沈黙が落ちる。奏は胸の中がかき乱される思いだった。
(まだ戦争が止まってないどころか、むしろ悪化しそうな気配なのに……こんな中途半端なところで、俺だけ帰るなんて……)
そんな折、政府からの圧力はますます強まっていた。戦争を推し進めようとする権力は、バンドの人気を利用して国民の士気を高揚させようと狙っている。
「……戦意を鼓舞する曲を歌え、か。くだらん要求だ」
博士は唾を吐き捨てるように言い、ナナも険しい顔を崩さない。奏は拳を握りしめ、強い口調で応える。
「俺……絶対そんな曲は歌わない。テフナが作ろうとしたのは、人を傷つけるためじゃなくて、笑顔にする音楽だ。だからこそ俺たちはこの国で音楽を広めてきたんだ。戦争のプロパガンダなんかに利用されたくない」
それでも、権力に逆らえば活動を禁止され、下手をすれば処分されかねない。博士は地図を眺めながら唸る。
「正面から反抗するのは危険すぎる。とはいえ、戦争に協力するなんて論外だ。……何か策を考えなければな」
そして、もう一つの問題――奏があと一か月で元の世界に帰るかもしれないという事実。
「……奏、君はどうする? 帰るまでの短い間に、この国で一体何ができると思う?」
博士がそう問うと、奏はしばらく沈黙して、やがて堅い決意を込めた目で答えた。
「……だからこそ、今できることをやりたい。プロパガンダに利用されるんじゃなくて、最後の最後まで俺たちは音楽の力を信じ続けたいんだ。テフナだったらきっと、そう願ったはずだから……」
ナナもうなずき、「テフナがいたら、きっと同じこと言う……」とぽつりと呟く。博士は深いため息をつきながらも、決意を固めるかのように目を閉じる。
「わかった。君が戻るまでの間、私も協力しよう。もう一度、人を笑顔にするための音楽で、この戦争を止めるきっかけを作れるかどうか挑戦だ。時間は短いが……やるしかない」
ここにきて、時間が刻一刻と迫っていることをメンバー全員が痛感する。止まりそうな停戦が崩れ始め、プロパガンダの波が押し寄せる中で、彼らは音楽を手放さず最後まで戦い抜く道を選ぶのだった。奏に残された時間はわずか――だが、そのわずかな間に何を成せるのか。テフナの遺した思いを胸に、バンド“ダンダン楽団”は新たな覚悟を胸に抱いていた。




