第90話:闇に堕ちる
突然攻撃された。それはなぜだろう。どうやって行ったのか。
ノアは学園の中を走りながら思考する。
状況からみると、狙撃か、そもそも体内に何か仕込まれていたか。とすれば、前者ならば狙撃手を行動不能にすればよいが、後者ならば原因を見つけて感染者を捜しそれを取り除く手段を考えねばならず、酷く対応が複雑になる。
そもそも簡単に狙撃と言うが、防御を抜いての狙撃となるととんでもない魔力を要する。それこそ理力でもない限り不可能と言ってもよいだろう。なので前者は無視する。ならば後者はと言われても、今この段階で起爆する理由がない。
「ふぅむ、何とはなしに嫌な感じじゃ」
走りながら一人口を開く。
「最初は狙撃かとも思ったのじゃが……、んー、そう事は簡単には進まんもんじゃのぅ」
ノアは走りながらいくつもの角を曲がり、階段を上ったり下がったりしながらどんどん大講堂から離れていく。実は目的地はない。目標点もない。だが意味はある。
……すでに何が起こっているのか、ある程度の推測は出来ている。それは酷く感覚的なもので、誰かに説明を求められても困るようなものではあるが、それでも漠然とした確信のようなものがあった。
この学園が狙われた理由はまだ確認中だ。しかしこれに対してもある程度可能性は出ている。とすればそれら全てに対して対策をすれば、問題はない。
そんな、海に落ちた指輪を探すために海の水をなくしてしまおう、みたいな超人的な思考実験をするのがノアという生き物で、それが出来るのもノアの能力だった。
「さて随分と走ってきたが――」
不意に立ち止まって、ノアは後ろを振り返る。
「――そちの気分は如何かな?」
「……」
そこに初めからいたような、もしくは突然現れたような。ソレは、そんな不気味で不吉な雰囲気を身に纏っていた。
「確かに、学園の防御結界は素晴らしいものじゃろう。そう、外からの攻撃に対しては最硬と言っていいじゃろうな。たとえ仮に内に入られたとして、それでもなおその効力はそれほど衰えはしない。……しかし、である」
ノアは片目を瞑り、うっすら笑いながらこう続けた。
「ひとつ、方法がある」
話しかけられたその相手は、男性であった。しかしその頭には一本の捩れた角があり、ただの人でないことは明らかであった。
その姿はボロボロの貫頭衣を着ており、また、ボサボサの髪の奥からのっぺりとした感情のない瞳がノアを見据えていた。
ノアも、最初は違う可能性を考えていた。一番あり得ると思っていたのが、操られている、ということ。兵士が殺害された時、その場にはもう一人の男しかいなかった。しかし、その男がやったかもしれないなど、ティアリスの口からは一言も出なかった。
これでもティアリスのことは高く評価しているし、それだけ信用するに値する彼女だからこそ、その可能性を考えてなおノアに話さなかったということは、隣にいた男が犯人だということがほぼ確定でありえないと判断したから。
しかし操られているとしたらまたそれは別の話だ。
ただ操られているのだとしたら記憶がないのも頷ける話となるであろう。しかし、それはないような気がした。操る方法をノアは知らないし、そんな術があるなどとは聞いたことがない。もし存在したとして、このタイミングで男を殺す理由がない。考えてもデメリットばかりなのだ。
また、殺された男に時限式の何かが植えつけられていたのではないかとも思ったが、それもまた先ほどと同じでタイミングがおかしい。
次に外から狙撃されたのではないかと思ったが、それはそれで多量の瘴気を犠牲にして一発の弾丸を撃ち込むというのはとてもリスクがあることで、失敗すれば警戒が強まり二度目はないと思わざるを得ない。しかしそれを撃ったとしたら、やはりタイミングがおかしいのだ。それに多量の瘴気を使うのならば、いっそ中に誰か初めから侵入していればいいのではないだろうか。
そこで最後の可能性。元から誰か侵入していた、が思い浮かんだ。
とはいえ、これが一番簡単そうに見えて一番あり得ない。学園は結界があるから今はもっているようなものだが、実は常に違う種類の結界は張られているのだ。それが、瘴気を通さない結界である。魔物が入った瞬間その魔物を押し返すとともに、警報が鳴り響く。そんなセキュリティだ。
じゃあどうなんだ。どうなってるんだ。そんなことを考えているうちに、まさかとも思える方法が思い浮かんだ。
「すっかり忘れておったよ。わらわたちにとってそれは当たり前のことになっておったからな。わらわたち以外にそれを成せるものがおるとは思わなんだ。つまり――」
瞬間、貫頭衣の男が慣性を無視して滑るように飛び出し、刹那にノアへと己の拳を運んだ。その拳にタイミングを合わせ、トンッと押さえ込むと独楽のように男の上を回転しながら背後に潜り込む。男が再び慣性を無視して回し蹴りをするが、ノアはそれより低く体を曲げ、足払いを放つ。
「――“転移”」
その足払いにいとも簡単に男は引っかかり、床に倒れ込んだと同時にノアは距離を置いた。
――転移。同じ結果を残すものとして大別して二種類、この世界には存在する。分かりやすく言うなら、瞬間移動と座標転送だ。瞬間移動は点から点への線の移動で、感覚的には移動先を魔力で掴んで一瞬のうちに移動する方法をいう。そして、座標転送は点から点へ跳躍する方法である。これは間にどんな障害があろうとも関係ない。魔力が届かなかろうと、その空間に直接飛んでしまう。そんな魔術だ。
しかし両者は同じような結果をもたらすが、過程は全く違うのでもちろん消費する魔力も段違いだ。月と鼈くらい違う。簡単に言うと瞬間移動が5000くらいで座標転送が50万くらい。
この結界でいえば、瞬間移動だと前段階の魔力で点と点をつなげる段階で結界に阻まれ、転移することは出来ない。しかし座標転送であるなら、それは可能となる。
しかしながら、目に見えて無理な問題がある。単純な魔力量問題である。
「……ふむ。その体にすでにほとんど魔力はないと見える」
男はふらりと立ち上がる。その目にはやはり意思は感じられず、ただ動くだけの人形のようだった。
その錆びた双眸に何が映っているのか、ノアには想像もつかない。
ただ分かるのはこの男が自分の敵であることその一点のみ。そして、その一点だけ分かっていれば行動に迷いはない。
「どれだけの魔力を使ったのか。……いや、どれだけの魔物を生贄にしたのか気になるところではあるが……」
飛び出た手を受け流し、繰り出された足を弾く。嵐のような、人体の構造を無視したかのような不気味で無様な連撃を受けながらも、ノアは思考の海に浸る。
ほぼ間違いなくこの男は、座標転送型の転移を行ったのだろう。自分もこの転移を使って結界の敷かれた学園に入ったのだから。しかしそれだけの魔力はこの世界にいる誰もが持ちようもないものだ。しかしそれならば、外部からの助けがあれば可能なのだろうか。
男の魔力には違和感がある。
割れたガラスを見ているような、廃墟の瓦礫を見ているような。結果だけ言えば、いろんな波長が混ざっているように見える。つまり、多数の魔力が歪に混ざっている状態だと言えるだろう。
しかしそれは聞いたこともない魔術で、おそらくは禁術になっていたりするのではないだろうか。現にこの敵はすでに己の意思を亡くしている。
「まぁもしかしたら魔物を使ったであろうということは、つまり瘴気を使ったということで、それが理由でおかしくなったのではなかろうかという仮説も立てられんではないが……」
柳のように攻撃をかわしたノアは、くるりと腕を回し――
「とりあえず眠れ」
――瞬時に纏われた炎に、男は灰だけを残して消えた。
◆◇◆◇◆◇◆
で。
「私たち螺旋階段降りたじゃない?」
「そうだね」
「ずいぶん深くまで降りたじゃない?」
「そうだね」
「もうかれこれ1時間くらい降りてるじゃない?」
「そうだね」
「底はまだかね君」
「まだみたいだねえ」
リナリアとレイが階段を降り始めて早一時間。何故か全く下の階に着く気配がしないのだ。
試しに石ころを下に投げては見みたものの、落下音はそのままどこにも着地せずにフェードアウトしていった。
「これはあれかな。実際降りてるのか、実は降りてないっていう可能性もあるかなー」
「ああ。スターをちゃんと取らずにボスへ向かう感じね」
「ちょっとよく分かんないな」
「お尻からヒャッフーすれば行けるかもしれないわよ?」
「だから全く何の話か全然分からないよ」
もちろん教えたのは惰眠を貪っているあの男である。
とはいえ、このまま降りて大丈夫なのかという一抹の不安は決して拭えないもので、悠長なことをしている場合でもない。
リナリアとしては無駄な行為という確証がない限りこのまま降りるのがいいと思っているのだが、レイは逆に1時間降り続けるという異常な事態に、引き返すのがベターだと考えている。
「どうしようかね」
「どうしようかね」
ついには立ち止まり、二人して首を傾げてしまう。
……もうひとつ選択肢はあった。二手に分かれるという方法だ。しかし、不慣れな場所でしかも生命の危機に陥ってもいない状況下では愚策であることは明らかなので、今まで二人共声には出さなかった。
しかし、リナリアとレイに命の危機がないのであって、地上で戦っている学園の人たちや仲間たちの命が危険にさらされていることに間違いはない。
「となると、だ。危険ではあるけど二手に分かれてみるかい?」
「そうね……、やっぱりそう思う?」
2人の意見は一致した。
「じゃあ僕は少しの間戻ってみるから、リナリアはそのまま降りてみて」
「わかったわ。でも三十分くらい戻って何もなかったらまた降りて来てよ」
「そうだね、そうするよ」
「それじゃ、また」
「うん」
そういうと、リナリアは下へ、レイは上へと足を進めた。
果たしてこの判断がどうなるのか。
――それはおよそ十分後に判明した。
「ん?」
リナリアの視線の先に、闇が広がっていた。
いや、正確にいうと、階段が途中で途切れていたのだ。
一寸先の闇はどうにもこうにもきな臭い感じしかしなかった。風が、下へ向かって吸い込まれているのがわかる。
「ある意味これで階段ループ説は無くなったわけだけど……、参ったわね」
となるとレイが間違いでリナリアが正解だったということで、そのことにちょっとだけ優越感に浸る。しかしこの後の手が見つからないため、結局は袋小路に違いはない。
「ふぅむ……どうしようかしら……。ここで待ってればレイがまた戻ってくるだろうけど、そんなに待ってる余裕あるのかしら……」
悩む。
とはいえ、それは一瞬であった。現在進行形で仲間が危難にあっているのだ。自分だけが安全にだなんてそんなムシのいい話はないだろう。
もちろん選択肢は一つだけ。
「巽、巽、術式融合、巽為風」
小さく呟く。
八卦における、巽。その意味するところは、風や不安定なもの。
「カフッ」
そして象徴となる部位は、内臓である。
リナリアは口から垂れる血を強引に拭い、一歩踏み出す。
「……待ってなさいよ、さっさと済ませてすぐに帰るわ」
リナリアはその身に巽為風による風を受けながら、ゆっくりと奈落へ堕ちていった。
4年ぶりです。オリンピック小説です。
感想等で生存報告を、とのありがたいお言葉をいただけたので、稚拙ながらも続きを投稿させていただきました。
私はほどほどに生きてます。ここだと、現在はほとんど読み専ですけどね。
次回はもうマジでいつになるか分からんですので、記憶の片隅にでも置いていただけると幸いです。