第82話:二日目の朝
魔物が学園に襲来して、二日目の朝。
ノアは皆が寝入ってる中、一人で寝所にされていた大講堂を出た。
学園自体は防御魔術が効いていて安全であると広報されたので、ある程度の安心感を生徒たちに与えた。しかも本格的に発動した防御魔術は外部の音声や衝撃をも防ぐので、本当に魔物が襲ってきているのか、実際に魔物が襲ってくるところを見ていないので疑問に思う者もいるくらいだ。
しかし実際、学園の外には異常なほどの魔物が押し寄せてきている。
そこが、ノアには腑に落ちなかった。
「なにか学園に重要なものがあるのか……? それともこれが囮だとでも言うのか……?」
重要なもの、とすればノアが知らない学園にある秘宝とかであろうか。もしくは王族貴族自体を壊滅、または拉致する、とか。囮だとすれば次に襲われるのは王城であろうか。
いずれにせよ、ノアがここを離れることは出来そうにないが。
「わらわが消える、か」
ノアは廊下を歩きながら、右手を見つめて握ったり開いたりする。
どこかで頭の隅に引っかかっていたはずだ。なぜ魔物はアンネに“触れられた”のか。アンネにはユーリが与えた三つの腕輪があったはず。それによってアンネの身を脅かすものは基本的に排除されるはずだった。
それなのに、結果はどうだ。
ノアは小さくため息を吐いた。
つまり、腕輪とユーリのリンクが途切れたのだろう。そう見て間違いはない。どうやらユーリの死の危機が、自動的に他との魔力的パスを閉じてしまったのだ。
つまり、
「わらわとの繋がりも、閉じてしまった、か」
実際、ノアの魔力は転移をしてから回復していない。それどころか、ノアの体を構成する理力すら奪ってしまったのだ。
ノアは自分の髪の毛を頭から撫でるようにして滑らせる。しかしそれは肩まで来て、無くなってしまった。
……自分の持つ魔力では足らず、体を構成する理力まで使った結果、長かった髪の毛の分だけ理力を消費した。このまま魔術を使い続ければ、そのうち体のどこかを欠損してしまう恐れがある。……いや、確実にするだろう。果たしてそれは腕か足か。
ちなみにこのことをノアは秘密にしている。昨日は口走ってしまったが、どうにかはぐらかした。
自身を構成する理力を失っても、ノアが存在していられる可能性もある。つまりこの体になる前、猫の姿だけ見えるという異世界に来た当初のような状況になる可能性もある。
しかしながら、それは可能性の範囲であって、確実ではない。であればこそ用心に越したことはないだろう。
どちらにせよ、もうあまり魔術は使えない。しかしこれでは学園まで来た意味がない。
だからこそ、情報斥候としての役割を果たそうとした。丁度いいことに、王城にリナリア、ドレブナイズにレイがいる。双方との念話のやり取りで、戦況は大きく違ってくるだろうとこは明白だ。
【あー、あー、リナリア聞こえるかの?】
【師匠? どうしたの?】
朝早い時間にもかかわらず、リナリアの声ははっきりしていた。あまり眠れなかったのかもしれない。
【こちらは防御魔術があるおかげで当面の問題はないぞ。城の方はどうじゃ?】
【こっちにも魔物が来てるけど、そっちほどじゃないと思うわ。軍を動員してもまだ余裕があるし。ギルドにも緊急クエストが出されて、各町村にもハンターが配備されて迎撃するみたい】
【ふむ、そうか。また何か動きがあったら連絡する。そちらも頼むぞ?】
【分かったわ】
そう言うと、念話は切れた。
ふむ。とりあえずは問題ないか。
ノアは事態の推移を見るため、学園の外が見える高い塔へ向かった。
◆クレスミスト城◆
「それで、ノア殿はなんと?」
「あ、ラルム王。学園は防御魔法のおかげで平和そのものみたいですよ。師匠も焦っていませんでしたし、問題はないかと」
「ふむ、そうか。ありがとう」
クレスミスト王国ラルム・クレスミスト王は、安心したように玉座に背を預けた。
「あなた、部下の目の前なのですからシャキッとしてくださいな」
「む、すまぬな」
その玉座の隣に立つは、王妃フィーネリア・クレスミスト。さらにその横には第一王女であるアンネルベル・クレスミストが立っている。
そこには、いつもはいるはずの第二王女セラフィム・クレスミストと第三王女ルチアーナ・クレスミストはいない。
昨日のうちに一度連絡はあったものの、ここまで不安になるとは思いもしなかったとラルムは内心苦笑する。
「リナリア殿の情報は聞いたか。学園はまだ問題ない。今はこの街の防備を固めることに専念せよ! そして我が国民を救うのだ!」
『はっ!』
王の間に集まった兵士、騎士たちが声をそろえて返事をする。そしてそれと同時、王国総軍軍隊長バイマーが立ち上がり、前へ出る。そして王に向かい一礼すると反転し、集まった兵士と騎士たちに大声を上げる。
「ではこの場を借りて守りの再編成を行う! まず城門正面には―――」
その声を聞きながら、リナリアは思う。この戦い、どこか歪んでいる、と。
そしてアンネは思いを馳せる。学園に残された愛しき妹たちのこと。そして、ユーリのことを。
◆ドレブナイズ◆
そのころ一方ユーリはというと。
「………」
運びこまれた医務室で、いまだ覚醒の時を待っていた。
「はぁ……、早く目を覚ましてよね。僕だけじゃあの子らを止めることすら出来ないんだから」
その隣で椅子に座りながらため息をつくのは、世界最強種であり、その頂点に立つ龍王の息子。レイネスティア・ドラゴニス。その整いすぎた美貌とは反し、その顔には憂いの色が張り付いていた。
その懸念というのは、学園のことではなく、王城のことでもない。……ユーリの周りにいる女性関係のことだった。
といっても、ユーリが恋人云々言っているわけではない。従者であるノア、奴隷であるリナリア。最近ではアンネルベルもそうかもしれない。この三人は、どうやら若干ユーリに依存している傾向がある。だから、ユーリが倒れたときの三人の迫力は、龍人であるレイですら冷や汗ものだった。
「早く起きないと、彼女たちも心労で倒れてしまうかもしれないよ? それでもいいのかい?」
レイは未だ目覚めないユーリに話しかける。しかしその瞼が動くことはなかった。
「はぁ……、眠れる姫を目覚めさせるのは王子の接吻って昔から相場は決まってるけど……。王子が眠っちゃったらどうしようもないねぇ」
ましてここに姫はいないし。
そんなことを考えていると、医務室のドアが軽くノックされた。
「はい?」
「入ってもいいでしょうか?」
「ああ、いいよ」
そうして扉が開かれたそこには、白っぽい髪の色をした、背の低い女の子が立っていた。
「えっと……」
「あ、私はカルミナと申します」
「カルミナ?」
どこかで聞いたような……。そんな既視感に苛まれた。しかし正解はあっさりと彼女の口から発せられた。
「マルス祭でユーリと戦った者です。彼が凶刃に倒れたと聞き、お見舞いにと思いまして」
そういうとカルミナは右手に持った花束を差し出した。
そう、カルミナとはユーリが三回戦で戦った相手である。レイはそれを思い出し、軽くうなずいた。
「ありがとう。花はそこの瓶にさしてもらえるかな。僕だとごちゃごちゃになりそうで」
「分かりました」
そういうと、カルミナは瓶に魔法で水を注ぎ、花を入れて整えた。たったそれだけで無機質だった医務室が華やかになったのは、流石としか言いようがない。
「それで、ユーリはどうなんです?」
「傷は致命傷。でもノアの治療魔法でなんとか一命を取り留めたってところかな。今は安定してる。でもいつ目覚めるかは分からない」
「……そうですか」
そうとだけ言って、カルミナはユーリを見つめる。顔色は多少悪いが、それでも胸が上下していることから生きていると分かる。
それを数秒見つめ、カルミナは立ち上がった。
「どこに行くの?」
レイは訊ねる。
「魔物の元へ」
カルミナは身を翻しながら言った。
「ユーリをやった魔物は僕が塵にしたよ?」
レイは無感情に訊ねる。
「関係ありません。その全てが今は、憎い」
その言葉に感情を乗せ、カルミナは言った。
「そう、なら―――」
レイは立ち上がりながら言った。
「僕も付き合おう。こんな僕だけど、大切なものは分かっているつもりだ」
その目に強い光を込めて。
それを見てしまったがため、カルミナも拒絶することは出来なかった。
「……分かりました」
「でもあんまり無茶はさせないからね」
先ほどまでの空気を綺麗さっぱり吹き飛ばして笑顔でそう言ったレイに対し、カルミナはどこか呆れたような、安心したような表情で受け止めた。
どうも、芍薬牡丹です。
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というか設定に雁字搦めで身動きががが。