第80話:彼の不在
第五章 魔物襲来
時は遡り、マルス祭でユーリが倒れた時のこと。
ユーリが鉄の矢に撃ち抜かれ、最初に思考を復活させたのはノアだった。
「ッ、ユーリぃ!」
ノアは血だらけで倒れたユーリの体を起こそうとして、すぐやめた。
(駄目じゃ! ここは抱き寄せることはしてはいけない!!)
そう、それよりも先にしないといけないことがある。
「わらわは治癒魔術を掛ける! レイは撃った相手を捕まえるかして来い!」
「ッ! 了解!」
ノアの声で我に返ったレイは、周囲を見回す。先ほどの矢は、舞台上に敷かれていた防御魔法を貫いて、ユーリに襲いかかった。ということは、それなりの結界突破魔法を付与されていたはず。
つまり、魔力の残滓から射出方向を割り出せるのだ。
もちろん魔力に敏感な者しか出来ないことだ。
しかし―――
「……見つけた」
レイに限っては、相手が悪すぎた。
バサリ、と音がした。
今まではいなかった巨体が、ゆっくりと体を起こす。
「グオオオオオオオオオオ!!!」
レイの、龍化だった。
その大きさは、以前ユーリと戦ったレイの部下の龍化した姿より、軽く二倍はありそうな巨体。
その巨体を持って、レイは口から光弾を放った。
―――ダダダァン!!!
舞台の一番端に着弾する。そして次の瞬間には、レイがその着弾地点の真上に移動していた。ぱっと見ただけではユーリの瞬間移動と同じに見えるが、レイのこれは、純粋な魔法による加速魔法だったりする。
そして、砂煙の晴れたそこには、倒れ伏した人狼と呼べるような姿の、魔物たちがいた。
その数およそ十。
(魔物だって……!?)
レイは静かに驚嘆する。
魔物と言うのは基本的に理性がない。つまり、結界突破や矢での攻撃など、そんな知恵は持ち合わせていないのが普通だ。
しかし現にこの魔物たちは、矢に結界突破魔法を付与し、舞台の結界を突破してみせた。
結界突破は高度な魔法だ。ということはこの魔物たちが協力して、複数で発動させた、ということなんだろう。それも魔物の行動とはなかなか言い難い。というかあり得ない。
「一体何が起こってるんだ……?」
レイは光弾によって倒れ、消えていく魔物を眺めながら思案していた。
そしてノアの方はと言うと。
「くッ……、この矢、毒が塗られておるのか……!?」
刺さった矢を抜き取り、治癒魔術を掛け始めたノアは、その治りの遅さに違和感を感じた。そしてユーリの持つ解析能力の劣化したようなもので調べてみると、なにかの毒に侵されていることが分かったのだ。
解析魔術はユーリの魔術なので、いくら繋がっているとはいえノアが行使すると劣化してしまう。ゆえに、なにかの毒、としか分からなかったのだ。
しかし血が止まらないところを見ると、何か溶血毒みたいなものが入っているのだろう。
これでは血が、止まらない。
(血が……クソッ、どうにかして毒を分解……分解? そうじゃ!)
ふと思いつき、隣で気を失っているリナリアに目を向ける。
「リナリア、起きるのじゃ!!」
しかしリナリアは眠っているのではなく、気絶しているのだ。ちょっとやそっとじゃ起きはしない。
しかしノアには時間がなかった。
「こンのたわけが……起きんかいドあほゥ!!」
げしぃ!
「いだぁ!!」
何をやったかは言うまでもない。
「いったぁ……なんなのよ……」
「リナリア、起きたか!」
「し、師匠? どうしたの、ってご主人様!?」
リナリアの目は、命を流し続けるユーリを捉えた。
「い、いや……」
「取り乱すのは後にせい! 今はユーリを助ける事が最優先じゃ!」
「う、うん!」
リナリアは血だらけのユーリをみて、半狂乱になりかける。しかしノアの言葉で平静を取り戻した。
「師匠、私は何をすればいいの!?」
「八卦魔術は震と坎、雷水解をユーリに掛けるのじゃ!」
「え、それじゃあご主人様の魔力が……」
「違う、今ユーリには毒がまわっておる。それを分解せんことには治るもんも治らんのじゃ!」
リナリアはユーリを見る。その顔は嫌に青褪めていた。
「分かった、でも毒の種類が分からないとどうしようもないよ」
「おそらく溶血毒ではあろう。しかし詳しいことは分からん」
「……分かったわ。慎重にやれってことね」
「理解が早くて助かるのう」
ノアは額に汗を浮かべながら、ニヤリと笑った。
本当はノアも八卦魔術を使うことが出来る。しかしノアは今、ユーリの血液を流さないことに集中しているため、他の動作が出来ないのだ。
その集中している作業と言うのは、血の循環。簡易な血管を作りだしているのだ。つまり破れた大動脈を、それ以上血が流れ出さないように保護している状態と言ってもいい。
どちらにせよ、他のことを出来る状態ではなかった。
「ふぅ……。震、坎、術式融合……雷水解」
雷水解とは、分解の魔術。慎重にやれば毒を分解できるのではないか、とノアは考えた。
「………あ、見つけた」
そしてどうやら、リナリアはそれに応える事が出来たようだ。
「よし……よし……、これで、どうよ!」
「む? おお、治癒が効いてきたぞ!」
(後は血管をつなぎ止めるだけ……いや、駄目じゃ。これ以上はユーリの体の負担になりすぎる……ッ)
これ以上は拙いと判断したノアは、治癒魔術を一旦やめる。リナリアが不思議そうな眼で見るが、リナリアはリナリアでノアがユーリの不利になる様なことはしないと断言できるので、特に異議は唱えなかった。
とりあえず血管を軽く膜を張るくらいまで治療したので、これ以上血が流れ出る事はないだろう。
しかし、そう思いながらノアは周りを見る。
血。
血。
血。
周囲は当たり前だが、真っ赤に染まっていた。もちろんこれは、ユーリの血だ。
どこかで輸血できればいいのじゃが。そう思うも、こんな場所にそのような設備があるはずもなく、ギリギリのラインでユーリは一命を取り留めていることになる。
「これでひとまず、なんとかなったか……」
「ねぇ、師匠。なんでご主人様がこんなことになってんの」
リナリアは少し落ち着いたせいか、言葉の端々に怒りを隠そうともせずに訊ねた。
そのことで逆にノアは、滾る怒りを抑える事が出来た。……実のところ、ノアの怒りはすでに激怒と言っていいレベルにまでなっている。それを抑える事が出来たのは、ユーリを助けたいという想いと、リナリアの怒りのおかげであった。
「お主が倒れてから、ユーリは奇襲を受けた」
「でもご主人様には私を助けてくれた、あの義体魔法があるじゃない?」
「あれはユーリには効かんのじゃよ」
そう、あれは自分以外に無敵の治癒を誇る魔法。術者本人の傷は、掠り傷であろうと直すことは出来ない。
「それに、このようなことをした相手は、じきにレイが示してくれよう」
「それはなんとも、信頼されてるのかな?」
ノアの言葉に応えるように、空から人化したレイが下りてきた。
「分かったのか?」
「うん。撃ったのは十体の魔物だった」
「……魔物、じゃと?」
「ああ。ノア、リナリア、何かがおかしい。今すぐ状況を把握して―――」
『きゃああああああああああああああああああああ!!!』
いきなりの叫び声に、三人はバッと振り返る。
「………あ、アンネ!?」
そこには大きな四つ手の魔物に体を掴まれた、アンネルベルその人がいた。
◆◇◆◇◆◇◆
ユーリが倒れた頃、アンネはマルス祭闘技場の、選手控室にほど近い場所を歩いていた。その手にピンク色の果実の入った紙袋を抱えて。
試合中だからかすれ違う人はおらず、アンネは狭いながらも悠々と通路を進む。
(確か今日はユーリさんの試合はないし、リナリアさんとレイさんの試合もこれで終わり。一緒に食事にでも誘おうっと)
アンネは王城や学園でも、その身分の高さゆえに孤独であることが多かった。だから、初めてとも言える心許せる仲間に、心の奥底では普通以上に依存していた。
とはいえ、自分の身分を理解し、相手への影響なども考えられるのが彼女なので、それがあからさまに表立って出ることはなかったのだが。
(ノアさんも暇してるだろうし、今日はラビスでも食べに行こうかな)
ラビスとはいつかユーリが食べていた、桃のような林檎のような味のする果実のことである。これがノアはお気に入りだった。
それを知っていたため、アンネはわざわざ街へ繰り出し、探してきたのだ。なんともまぁ、無意識ではあろうが健気な子である。
「もうそろそろ試合が終わるとは思うんだけど……まだかな。リナリアさんは大丈夫かな……」
アンネは、おそらく負けるであろうリナリアに思いを馳せる。
リナリアは意識的に魔法を使い始めてまだ間がない。それに引き換え、龍族と言うのは何百年を生きる種族だ。レイもおそらくは見た目通りの年齢ではない。
それを考えるとやはり、リナリアでは荷が重い。重すぎると考えざるを得ない。
しかしまぁ、それは仕方のないことだ。きっとレイに対抗できるのなんて、それこそ現状ではユーリやノアくらいしかいないのだから。
そんなことをつらつら考えながら、舞台に上がる少し手前まで来て、足を止める。
ここからだと舞台は見えずとも歓声等は良く聞こえるし、試合が終わったリナリアとレイを迎える事が出来る。
そう、思っていた。
―――しかし。
「………なに、あれ」
アンネが足を止めたのは、そんな理由からではなかった。
その選手が入退場する場所、そこに、異形が立ちはだかっていたからだ。
「な、なんですか、貴方は……」
「………」
異形は答えない。
それは二本足で立ち、二対四本の手を持ち、筋骨隆々の体を持ったその頭は、なぜが雄牛の顔をしていた。
ユーリがこの場に居たなら、その異形をこう呼んだだろう。
―――ミノタウロス、と。
「……ッ!」
アンネは本能に突き動かされ、後ろに飛び退く。
次の瞬間、
―――ヴォン!
先ほどまで居た場所に、雄牛の手が通り過ぎる。
(速過ぎる……ッ!)
本来のミノタウロスとは手が四本だったりと差異はあるが、その伝説に違わぬ怪力を持って、アンネのいた場所を薙ぐ。結果、もともと狭い通路の壁に当り、手が片方壁に埋まってしまった。
これを見て、アンネは誤った判断を下す。
(よく分からないけど、これは好機!)
アンネは一気に走りだす。雄牛の傍らを通り抜け、舞台上に上がろうとしたのだ。そうすれば実力者も多い場所に出る事が出来、この雄牛も倒すことが出来るだろうと、そう考えた結果だった。
壁にめり込んだ手も、そう簡単に抜けると思えないほど埋まっている。
これなら大丈夫だ。そう思って走り出し、傍らを抜けるそのタイミングで、雄牛が行動を起こす。
「ガアアアアアアアアアアア!!!」
壁にめり込んだ手を力任せに引き抜いたのだ。
「キャッ!!」
抜いた反動で頭上に降り注ぐ瓦礫を両手で防ぎ、足を止めてしまう。
次の瞬間にはアンネへ雄牛の手が迫っていた。
(ヤバい!!)
アンネは脊髄反射的に、目の前に防御用の氷の壁を張る。しかしそんな即席の防御魔法は、雄牛の怪力の前には紙も同然なことは必至であった。
その雄牛の手は軽々と氷の壁を叩き割り、アンネへとその手を伸ばす―――
「……え?」
―――かに見えた。
しかし、なぜかアンネに触れるその直前。雄牛の手は止まっていた。
まるで、見えない何かに押しとどめられているような……
(なんで……、ッ! これ、ユーリさんの……ッ!)
そこで目に入ったのは、いつかパーティーの最中にユーリからプレゼントされた、三つの腕輪。
その腕輪が僅かながら光っていたのだ。
(これはもしかして、物理攻撃反射の腕輪が反応しているんですか……?)
ユーリの魔力が無くならない限り、永久にアンネを護るはずのユーリが創ったブレスレットである。
(……あれ?)
しかし今、その腕輪はよく見ると少しずつ光が失われているのが分かる。
(なんで、これ、もしかしてユーリさんに何か……)
―――ドンッ!
その音で我に返る。
雄牛が怒り、壁を殴りつけた音だ。
(そうだ、こんなことしてる場合じゃない!)
そう思い、アンネは舞台へ走り出した。
アンネは高位の魔術師なので、本来こんな時は攻撃魔法の一つでも唱えればいいのだろう。しかし長年深窓の令嬢として育てられ、戦場など出たことのない彼女にとってはこれが初めての実戦。しかもいきなり命を狙われ、文字通り命の危機を感じている。
……普通の判断が出来るはずもなかったのだ。
「はぁッ、はぁッ!」
(もうちょっと、もうちょっとで!)
舞台につながる出口が、すぐそこに見えた。
もうちょっと、あと少し。……その考えが、隙を生んだ。
―――パキン
そんな音が聞こえた。
(え?)
ふと目を落とす。
腕輪が、その光を、消していた。
(あ、あれ? ちょっと待って、それじゃあ……ッ!!)
―――バシンッ!
瞬間、かなりの勢いで視界がブレた。
「がぁ!」
いきなりのことに、息が絞り出される。
良く分からないけど、腹部が締め付けられるように痛い。
(なに、これ……!)
いきなりのことに閉じていた目を、ゆっくりと開く。
そこには―――
「ひぃッ!!」
眼前すれすれに、雄牛の顔が。
「き、きゃああああああああああああああああああああ!!!」
その声に反応したのは、舞台にいたノアだった。
「………あ、アンネ!?」
そう、いつの間にかアンネは舞台袖まで足を運ぶことに成功していたのだ。
だからこそ、そこにいたリナリアやレイに会うことが出来、……雄牛の魔物はノアの怒りを全身に受けることになった。
「なんでこう次から次へと厄介事がぁ……ッ!」
その時、リナリアは見た。ノアの瞳が金緑色に輝き、瞳孔が縦に割れているのを。それは正に、猫の目だった。
「その身で贖え!」
ノアは遥か100メートル以上先の魔物へ、異常な脚力で跳ぶ。すぐに魔物に到達するように見えたが、やはり距離があるためか、魔物がカウンターを狙うかのように手を掲げ、その手に火が灯る。
それを見たリナリアは、勢いよく地面に手を着き、言い放った。
「坤!」
それは地を表す八卦。
それと同時、魔物の足元が泥に変わり、バランスを崩す。
「師匠、今!」
リナリアの声を受け、ノアは髪の毛を一本抜く。
「変化、大鎌」
その言葉で、一本の黒髪は、一本の大鎌へと変化する。
「お主は永久に迷宮で迷っておれ!」
―――ズバンッ!
一刀両断。
その太刀筋には、そう言って差し支えないだろう。
―――ずるり
なぜなら、頭から真っ二つに断ち切られていたのだから。
「きゃッ」
そして力を失くしたその手から、アンネが滑り落ちる。
「おっと」
そしてそれを抱える腕が二本。
「大丈夫だった?」
レイ、その人だった。
「あぅ、は、はい、大丈夫です……」
「そ。良かった」
レイは優しくアンネを地面へ降ろす。
そうしている内に、魔物は瘴気の乖離による肉体の消滅を迎えていた。
そしてその中から出てくる、オレンジ色のゴルフボールほどの大きさの石。陽石。
これは魔物の体内に入っている石で、魔物の気質によって陽石と陰石に分かれる。そしてまれに出てくるのが魔虹珠、というわけだ。これはしばしばギルドで魔物を倒した証明として使われるが、今は置いておく。
「ちっ。なんなんじゃ、一体……」
ノアが吐き捨てるように呟く。
確かに、これは異常事態だ。いきなり魔物が現れ、しかも若干の理性が見られる。……いや、あれはもしかしたら操られているのかもしれないが。
なんにせよ、普通ではない。
「ノアさん、一体……ってユーリさん!?」
「とりあえずユーリは無事じゃが、詳しい説明はあとじゃ。とにかく今は―――」
「ユーリ様はおられますか!」
「―――なんじゃ次は!!」
ノアは舞台袖を睨みつける。そこには、年若い兵士がいた。未だにぶち切れてるノアの威圧を一身に受けてしまった、可哀想な兵士である。
「ひッ……、あ、あの……」
「……んん、……すまん。なんぞ用かの?」
「あ、すいません。ご報告をしに来たのですが……」
「わらわが受け取ろう」
「ハッ。では」
年若い兵士は、軽く息を吸った。
「………フォレスティン学園が魔物の大群に襲われております。至急援軍を」
『……は?』
それは、この場をさらに混乱させるには、十分すぎるものだった。
なんか指が進んだ結果。
ヒャッハーァ!