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竹駒駅前の広場は、騒然としていた。
事故を目の当たりにした通行人たちの多くが、青ざめた表情で成り行きを見守っている。
そうした中、何人かの有志たちは協力をして、運転席に声をかけていたり、救急車を呼ぼうとしていた。
彰のイヤホンから、声がする。
『周辺の情報が更新されました。高橋恒男、82歳。消滅までの時間、0秒。消滅しました。領域解放までの時間、47時間59分』
吹雪が彰の腕を、ぎゅっと掴んでいた。
彰はそれを、そっと解かせる。
抱きしめていた腕を下ろし、彼女をゆっくりと立たせた。
「彰……」
吹雪が、うっすらと涙を浮かべていた。
しかし、彰は意に介することなく、事故車両へと歩いていく。人混みをすり抜けて、車内を見通せる位置を探した。
スマホの画面を見る。
やはり、死亡していたのは暴走していた方の運転手だった。
彰は、周囲から怪しまれないよう、ドライバーたちを心配するふりをしながら、スマホカメラを運転席に向けた。
アプリが老人を捕捉したことを示す、黄色い外形線が表示される。
すると、画面の老人が体を起こし、腕をこちらへ伸ばしてくる。
彰のスマホを掴み、必死の形相で語りかけてくる。
「なぜ、私が死ななければならないんだ!
この暴走は、車の故障のせいだ。私は悪くない!」
スマホ越しに、老人の握力を感じる。
彰は構わず、撮影ボタンを押下した。
シャッター音がしたあと、老人の姿勢は現実のそれと同じく、ハンドルに覆いかぶさったものへと変化する。
『高橋恒男の領域を取得しました。森深雪の情報を再配置しますか?』
はい、と彰は答えた。
「きみ! 撮影はやめてください!」
警察官の制服を着た男性に、声をかけられる。竹駒駅はすぐ近くに交番があるため、そこから駆けつけたのだろう。
彰はその場を離れ、吹雪のところへ戻った。
「彰、今……何をしたの?」
吹雪がおそるおそる尋ねた。
「そんなことより吹雪。なんできみがここにいるの?」
彰は、冷たく言い放った。
その声色に気圧されたのか、吹雪は押し黙ってしまう。
彼は、苛立っていた。
想定外のトラブル続きだったこと。また、吹雪を巻き込んでしまったこと。
そして何より、深雪を危険にさらしてしまったこと。
(あの運転手が死亡したのは、偶然だ。
元々レンゴクアプリには、あの老人が消滅するなんて情報はなかった。
きっと、僕たちの行動で、未来が変わったのだろう。
もしあの人が死ななかったら。今日はもう、近所で人が死ぬ予定はなかった。
深雪は、タイムリミットを迎えてしまったに違いない……)
考えただけでも、ぞっとする思いだった。
自分の一連のミスが、ここまでの事態を引き起こしてしまった。
(吹雪を見殺しにする、という選択肢もあったけど)
彼女が死ねば、その領域を使って再配置ができる。
そうした方法が、頭をよぎったことを、彰は否定できなかった。
それでも、彼はしなかった。
その理由を、自身でもうまく説明できずにいた。考えるより先に、体が動いていた。
甘いのではないか、と彰は自問する。
自分は、深雪を守り続けなければならない。
にもかかわらず、こんな判断をしていて、やり遂げられるのか。覚悟が足りないのではないか。
(もし、また同じ状況になったら、僕は……)
「きみたち、大丈夫?」
内村綾子に声をかけられ、彰は我に返った。
「あ……ありがとうございます、大丈夫です」
反射的に、そう返事をする。
彼女は軽く頭を下げ、その場から立ち去っていった。
ふと吹雪に目をやると、彼女は泣いていた。
無理もない、と彰は思った。
あともう少しで、猛スピードの車に轢かれるところだったのだから。
もし、老人が進路を変えなければ、自分たちのところに突っ込んでいた。
それを、彼女も理解しているだろう。怖かったに違いない。
吹雪に、文句を言いたい気持ちはあった。
元はといえば、彼女が後をつけてきたことが原因なのだ。
しかし、こうして深雪と同じ顔で泣かれると、今は責める気分になれなかった。
彰が、大きく息を吐いた。
そして、吹雪に向かって言う。
「帰るよ」
彼女が、こくりとうなずいた。
今回で、第1話は終了です。
次回より、第2話「死神少年」を開始します。
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