8−5
放課後。
職員室から出てきた吹雪が、室内に向かって一礼する。
「失礼します」
日直だった吹雪が、学級日誌を担任教師に届けたところだった。
2人1組で担当するのが通例のはずが、ペアの生徒が病欠しており、この日は日直の雑務を1人でこなす羽目になってしまった。
(もう。遅くなっちゃったじゃない)
人気のない廊下を、教室に向かって歩く。
校内を包む静寂が、彼女の憂鬱な気持ちを、よりいっそう駆り立てた。
(あたし。今日、誕生日なのに)
別段、予定があるわけではない。
祝福を望んでいたわけでもない。
それでも、今日という特別な日に、何か素敵なことが起こってほしい。
そんな淡い期待を抱いていたものの、こんな時間になってしまったとあっては、もはや何も起こりそうに思えなかった。
(みんな、帰っちゃったよね)
彰からも、「今日は用がある」と聞かされていた。
そのため、領域取得の活動も予定していなかった。
(昨日、再配置したばかりだし)
彼女は、昨夜の件の疲労が抜けきれずにいた。
署に連行されるといったことはなかったものの、凛たちから解放されて、家に着く頃には既に就寝の時間となっていた。
結局、吹雪がなぜあの場にいたかについて、深くは追及されなかった。
彰も同様だった、と彼女は聞いている。
そのことが、吹雪には不気味に思えた。
生駒や凛は、自分たちのことをどう見ているのか。
本当にこんな生活が、今後も続いていくのだろうか。
誰か止めてほしい。そんな思いが、吹雪の中で確実に芽生えていた。
教室に戻った吹雪は、まだ残っている生徒がいることに気がついた。
「彰?」
窓の外を見つめながら、彼は佇んでいた。
しかし、差し込む夕日が逆光となり、細かな表情までは窺うことができない。
(……もしかして、あたしを待ってた?)
そんなはずはない、と吹雪は即座に否定する。
彰に嫌われているという自覚が、彼女には依然としてあった。
「どうしたのよ。今日、用があるんじゃなかったの?」
と、吹雪は彰に近づいていく。
その途中、吹雪のつま先に、何かがぶつかった。
それは、綺麗な包装紙でラッピングされた、小さな箱だった。
その形は大きく変形していて、外側には踏み付られけたような足跡がある。
「これ、何?」
「捨てたんだよ。いらなくなったから」
箱の中には、手袋が入っていた。
そのシンプルすぎるデザインは、吹雪の好みではなかったが、手触りはとても良かった。
それを見て、彼女にはおおよその察しがついてしまった。
「……誕生日プレゼント? 深雪のための?」
彰が、自嘲気味に笑う。
「深雪、今日は涼風くんとデートだってさ。僕との約束も忘れて。
万が一と思って、放課後まで待ってみたけど、連絡の1つもなかった」
「約束? 深雪と約束なんて、してたの?」
彰が、うつむく。
「吹雪は、知らなかっただろうけど。僕と深雪は、恋人同士なんだ。
深雪が刺された、あの事件が起こる、少し前から」
吹雪は、首を振った。
「そんなはずないわ。
だって深雪は、夏の終わり頃にはもう、涼風くんと付き合っていたから」
「嘘だ!」
彰が、叫んだ。
「涼風くんが、恋人だって? この1か月間、彼は何をしてた?
僕は、深雪のために毎日、町を駆けずり回ったよ。
それなのに、彼は深雪の見舞いにすら来ていないじゃないか!」
「……それは、涼風くんが、深雪に負い目を感じてたからよ」
涼風は、深雪が刺されたことを、心底案じていた。
そのことを、吹雪はよく知っていた。彼は事あるごとに、深雪の様子を尋ねてきたからだ。
にもかかわらず、彼が病院に顔を出せなかったのは……
深雪を守れなかったという、引け目があったからだ。
「あの事件の日、彰も現場にいたのよね。だったら、見たんでしょ?
日向に襲われた時、深雪と涼風くんが、2人で並んでいたのを――」
「うるさい!」
彰が、奥歯を噛みしめる。
憤怒のこもった視線が、吹雪に向けられ、彼女を射抜いた。
(どうしてあたしが、そんな目で見られないといけないの……?)
途端に、吹雪の目から、涙が溢れてくる。
自分だって、彰や深雪のために、奔走した。
その結果が、この仕打ちなのか。
吹雪が、声を震わせて言う。
「もう、嫌だよ……
こんな目にあってまで、何で深雪のために、あたしが頑張らないといけないの……?」
涙で潤んだ視界の中で、吹雪は彰を捉える。
「ねぇ。あたしじゃ、ダメなの? 深雪の代わりには、なれないの?」
吹雪が、つい口にしてしまう。
秘めていた、彰への想いを。
「……」
彰からの、返事はなかった。
通学鞄を乱暴に掴み取ると、足早に教室を出て行ってしまう。
残された吹雪は、感情の行き場を失い、その場で泣き崩れた。
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