8−2
九頭町の公園前に停められた、パトカーの群れ。
その中のある1台では、彰と生駒が2人きりで、後部座席に並んでいた。
「思えば、こうして2人だけで話したのは、初めてっすね」
生駒が言った。
たしかにそうだ、と彰は思った。
(これまでは、吹雪か天城さんが、必ず一緒だったから)
彰は先ほどまで、今日起こった一連の流れを、生駒に話していた。
ただし、レンゴクアプリなしでは説明ができない部分は伏せてある。また、懐のナイフについても黙っていた。
話をしている間、生駒はずっと黙っていた。
そして、話を終えた今も、彼は何も聞いてこない。
(……追及、しないのだろうか)
そのことに安堵する反面、彰は嵐のような罪悪感に襲われる。
心の中に、どうしても引っかかっていることがあったからだ。
「――僕は、日向を殺してしまったのだと思います」
生駒が、顔を彰に向ける。
「彼が、秋月くんの身代わりになったことっすか?」
彰が、自分の手を見て言う。
「日向が伸ばした手を、無我夢中で掴みました。
そうしないと、僕は死んでいたでしょうから。
でも、頭の中には少しだけ、『代わりに彼が死ねばいい』という思いもあったんです」
と、彰は生駒を見る。
「これは、罪になりますか?」
生駒が、考えるように目をつぶりながら、ゆっくりと言う。
「詳しい事情にもよるので、絶対にそう、とは言い切れないっすが――
今回の件は、一般的に『緊急避難』に当たるケースだと思うっす」
刑法第37条。
自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。 ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
「きみは、崖に落ちかけるという、生命の危機に瀕していたっす。
それを、日向の腕に掴まるということで、危機から脱したっす。
その結果、彼を死なせてしまったとして、誰もきみを責めることはできないっす。
ましてや、その危機は自分で招いたものではなく、他人に突き落とされることで発生したものっすからね。
そうしなければ死ぬ、という状況である以上、自分の命を守る権利は、万人に認められているところっす。
なので、そうしたやむを得ない行為を罰しないよう、刑法は配慮しているんっす」
緊急避難については、彰も耳にしたことくらいはあった。
しかし、本当に聞きたいのは、そういうことではない。レンゴクアプリを知らない生駒は、そもそも前提を誤っているのだ。
「あくまで、例えばの話です。
この世の人間はすべて、死の運命が定められているものとして――
今日の、あの時間に、日向は死亡する運命でした。
でもそれは、最初から決まっていたわけじゃない。
なぜなら、運命は変えられるからです。
日向の死が運命づけられたのは、僕が彼に会おうと決めた瞬間。
僕の『彼に会う』という行動によって、『彼の死亡』という形に、未来が書き換えられたんです」
彰が、すがるような思いで生駒を見る。
「それを知りながら、彼に会うために、僕はここに来ました。これは、殺人ですか?」
黙って話を聞いていた生駒が、ようやく口を開いた。
「なるほど。秋月くんが行動した結果、日向が死亡した。両者の間には、運命という確実で予測可能な因果関係がある。
しかもきみは、自分の行動が招くであろう結果を、認識していたってことっすね?」
彰が、うなずく。
「今の話が、すべて真実だと仮定しても――
刑法でいう『殺人』には、当たらないと思うっすね」
「……本当ですか?」
生駒の回答を、彰は意外に思った。
「殺人罪を犯したと言うためには、人を『殺す』という行為をした事実が必要っす。
人が『死んだ』という結果があって、それが何者かの行為によって引き起こされた関係にあったとしても……
あらゆる行為が、殺人に該当するわけじゃないんっす。
一般的に、刑法の実行行為とは『結果発生の現実的危険のある行為』を言うっす。
なので、秋月くんがした『日向に会う』という行為は、普通に考えて殺人の実行行為とは認められないっす」
「そうですか……」
法律に詳しくない彰だったが、生駒の話には説得力が感じられた。
自分は、日向を殺していないのかもしれない。
そう思えるだけで、彰の心は少し軽くなった。
「ちなみに、今の話は、どこまで本当なんすか?」
生駒が、何気ない調子で言った。
「……最初に言いましたよ。すべて、例え話です」
彰は、できるだけ平静を装いつつ、そう返した。
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