1−3
明神高校の校内に、昼休みの開始を知らせる鐘が鳴る。
喧騒を取り戻した教室の中で、森吹雪は、大きく伸びをした。
「吹雪、学食行こー?」
別のクラスの女子たちが、彼女に声をかける。
吹雪を含め、派手な髪色とメイクをした一団が、教室の一角を占めた。
吹雪が、彰の姿を一瞥して言う。
「すぐ追いかけるから、席とっといて」
「わかったー」
そう言うと、彼女たちは大声で談笑しながら、足早に教室を出ていった。
吹雪が、立ち上がり、彰の席へと向かう。
この騒ぎの中でも、彼は机に突っ伏したまま、いまだ寝息を立てていた。
(最近、いつも寝てるわね。こいつ)
吹雪から見ても、彰は以前から、物静かな性格ではあった。
しかし、現在の彼の孤立ぶりは、度を越しているように思えた。
(深雪のことが、あってからよね……)
深雪は、吹雪の双子の姉だった。
その彼女が先月、強盗犯にナイフで刺されるという事件が起きた。
その日以来、彰は周囲との関わりを、一切持たなくなっていった。
学校には来るが、誰かと話すことはない。ただ窓の外を眺めているか、1日の大半を寝て過ごしていた。
時折、垣間見る彰の表情は、いつも焦燥感に満ちていた。
なぜ彼は、あれほどまで疲れ切った顔をしているのか。事件のショックで、ろくに眠れていないのかもしれない。
(彰、昔から深雪のこと、好きだったから)
家が近所である3人は、いわゆる幼馴染であった。
幼少の頃はよく一緒に遊び、その中心はいつも深雪だった。
深雪が、決まって最初に何かを言い出し、吹雪が文句を言う。
彰は、2人を仲裁する役割というのが、いつもの流れだった。
しかし、小学6年生の時の、あることをきっかけに、その関係は崩れ去ってしまう。
それは、姉妹の仲も例外ではない。その出来事があってから、吹雪と深雪の間には、どこか険悪な雰囲気が漂うようになった。
彰に至っては、その日以来、学校に来なくなってしまった。
中学に上がってからは、登校を再開するようになったものの、同じ校舎で過ごしていたにもかかわらず、姉妹と関わることはほとんどなくなってしまった。
(まさか高校に入って、3人とも同じクラスになるとは思わなかったけど)
とはいえ、子どもの頃の関係に戻ったわけではない。
接する機会が増えはしたが、依然として3人の間に言葉数は少なく、そこには確かな溝があった。
(高校生になってから、それぞれの生活も、大きく変わったし)
深雪は、クラス委員やサッカー部の活動で、忙しそうだった。
吹雪は、高校に入ってから急激に交友関係が広がり、そうした仲間たちとともに、昔から憧れていたファッションやアルバイトに精を出すようになった。
それに比べ、彰はいつもおとなしく、目立たない存在だった。
しかし、話ができる友人もわずかにはおり、たまに談笑する姿が目に入った。
(でも、それももう、過去のことだけど……)
今の彰は、話しかけられても無視をするか、小声で拒絶するだけだった。
もうクラスメイトの中では、彼に話しかける人はいなくなってしまった。
吹雪を除いて――
「彰、起きて。もう昼休みよ」
彼女が、彰の体を強く揺さぶる。
「ん……」
彰が、ゆっくりと体を起こした。
話しかけてきた相手を見て、それが吹雪だと認識すると、すぐに彼女を睨みつける。
これが、今の2人の距離だった。
「学食行くなら、早く行った方がいいわよ。いいメニューがなくなるから」
吹雪の声に、彰は答えない。
視線を合わすことすらせず、窓の外をじっと見つめる。
(またか……)
吹雪は、それ以上は言葉が出ず、彼を置いて教室を出ていった。
食堂までの廊下を、吹雪は歩いていた。
なぜこんな仲になってしまったのだろう。
そう自問して、彼女はすぐさま首を振る。
(原因は、わかっているじゃない。あたしのせいよ)
小学6年生の夏。
彰が深雪のために書いたラブレターを、吹雪が教室で読み上げたことで、3人の仲にひびが入った。
理由は、単なる嫉妬だった。
これまで3人で仲良くやってきたはずが、自分だけを差し置いて、彰と深雪が恋人関係になることが許せなかったのだ。
ひどいことをしている、という自覚はあった。
幼い彰の、愕然とした表情を見て、彼女はかつてないほどの罪悪感を抱いた。
それだけではない。周囲から囃し立てられ、深雪も困惑していたのだろう。
クラスの皆がいる前で、普段なら言わないようなセリフを口にしてしまう。
『彰と恋人になるなんて、絶対にありえない』
この言葉が、彼にとどめを刺してしまった。
その日以来、小学校卒業まで、彰が登校してくることはなかった。
反省した吹雪が、何度謝りに行っても、彼が許すことはなかった。
そうした軋轢が、今も続いている。それは、姉妹の間でも同様だった。
同居しているにもかかわらず、会話はいつも表面的で、もう何年もの間、2人の仲はどこかぎくしゃくし続けていた。
ここ数ヶ月、彰と深雪の関係は、少しずつ修復されつつあるように映った。
しかし、吹雪だけは小学6年生の夏に、置き去りにされたままだった。
(彰、今日も深雪のお見舞い、行くのかしら)
深雪のいる病院に、吹雪は足が向かないでいた。
既に1か月ほど入院しているものの、最初に何度か顔を出して以来、すっかり遠ざかってしまっていた。
それは、深雪との不仲だけが理由ではない。今の彼女と会うのが、吹雪は嫌だったのだ。
生来の利発さが影を潜め、支離滅裂なことを口走る深雪を、吹雪は見ていられなかった。
その点、足繁く見舞いに通う彰を、吹雪は強いと思った。
(あたしも、たまには行こうかな――)
そんなことを考えながら、彼女は食堂へと急いだ。
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