1−2
それは、先月の出来事だった。
ぐったりとした深雪を、両腕に抱えていた。
彼女の腹には、深々とナイフが突き刺さっている。
『森深雪は、既に消滅しています。領域解放までの時間、47時間44分』
彰の持つスマホが、何かを伝えていた。
しかし、彼の耳には何も入ってこない。
「通ります! 無関係の方は離れてください!」
少し離れたところで、救急隊員が、野次馬をかけ分けていた。
救急車を呼んだのは、自分だろうか。彰は思い出せなかった。
『繰り返します。レンゴクアプリがインストールされました。利用者登録を行ってください』
「……さっきから、何を言っているの? レンゴクアプリって?」
彰が、ささやくようにつぶやいた。
『レンゴクアプリは、死者の情報を閲覧・操作できるソフトウェアです』
その言葉を、彰はすぐには理解できなかった。
数呼吸を置いて、単語の意味を、少しずつとらえ始める。
「死者の情報って、どういうこと? まさか、深雪を助けられるの?」
『利用者登録のない方には、情報を開示できません』
助けられない、とは言わなかった。
その事実に気づき、彰は呆然とスマホを見つめる。
「どいてください!」
誰かが、彰の肩を掴み、押しのけた。
深雪の周囲を、救急隊員たちが、あっという間に取り囲む。
「どなたか、状況を説明できますか?」
彰の耳に、隊員の声が届く。
しかし今、彼は何も考えることができなかった。
代わりに、野次馬の誰かが答える。
強盗犯の1人が、女の子を刺した、と――
宝石店を横切った際に、彼らは出くわしてしまった。
逃亡する犯人の行く手を、塞ぐ形になってしまった。
怒声を上げる男を前に、彼は状況が理解できず、立ち尽くしてしまった。
ナイフの切っ先が向けられるのを見て、怯えて足を震わせるだけだった。
(深雪が、かばってくれたんだ……)
走り去っていく、3人組の強盗犯。
いずれも覆面をしていたため、顔はわからない。
しかし、その中の、深雪を刺した男。
わずかにずれたネックウォーマーの隙間から、双竜のタトゥーがこちらを覗いていた。
「きみ、被害者の友人ですか? 彼女のご家族と、連絡はとれますか?」
隊員の呼びかけに、彰は何も返すことができなかった。
救急車に載せた深雪を囲んで、数人が慌ただしく言い合っていた。
部活で日に焼けた彼女の肌が、今は陶磁器のような白色に見えた。
(……これは、何の冗談だろう。深雪が一体、何をしたというのか)
彰のまぶたから、涙が溢れてくる。
(約束したんだ。来月の誕生日を、2人で祝おうって)
彰は、拳を握りしめた。
このまま終わらせることなど、できない、と。
深雪はこれまで、何度も自分を救ってくれた。
今度はこちらが、彼女を助ける番だ。
(何か、僕にできることはないのか)
彰は、再びスマホの画面を覗き込んだ。
レンゴクアプリ、というタイトルのウィンドウが表示されている。
(このアプリは、何?)
無論、彼にインストールした記憶はない。
勝手にスマホに登録され、意味不明な話をひとりでに語り始めていた。
しかし、彰には予感があった。
このアプリには、人知を超えた力がある、と。
なぜそう感じたのか、彼自身もわからない。
だが、深雪に死が訪れようとしているこのタイミングで、死者の情報を操作できるというアプリが現れた。
(偶然とは思えない。これはきっと、そういう運命なんだ)
深雪が、救急車で運ばれていく。
けたたましく鳴り響くサイレンの中で、彰は決意を固めた。
それからまもなくして、彰はレンゴクアプリの利用者登録をした。
人死にの現場を巡る、彼の日常は、こうして幕を開けたのだった。
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