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2−2

 その日、明神警察署内の空気は、朝から張り詰めていた。

 昨日、竹駒駅付近であった死亡交通事故のことが、全体朝礼の中で触れられたからだ。


 今年は例年より死亡事故が少なく、このままいきたい、という雰囲気が皆に漂っていた。

 しかし、もうじき年末というこの時期に、今回の事故が起こる。


「これ以上は増やさないよう、全員が気を引き締めて、業務に当たるように」


 と、最後に署長が締めて、この日は解散となった。


 生駒誠は、朝礼のあと、所属する生活安全課の部屋へ移動する。

 昨夜、当直だった彼は、眠気で重くなった目蓋を擦りつつ、自席に座った。


「生駒ちゃん、おはよう」


 振り返ると、会計課の鳥海暢子が立っていた。

 先日、勤続30年で表彰されたばかりの大ベテランだ。


「おはようっす、鳥海さん」


「ねぇ、昨日の経費申請だけど、領収書添付の仕方が間違っているわ」


「え、まじっすか?」


 暢子の文句を聞き流しながら、生駒は経費精算の手ほどきを受ける。

 面倒見はいいが、小言が多いのが玉に瑕、というのが彼女の評判だった。


 そして、話が長い。


「生駒ちゃんも、そろそろ中堅って歳なんだから、しっかりね」


 生駒は苦笑し、頭をかいた。

 28歳である彼は、もう中堅なんて呼ばれるのか、と少し気後れしてしまう。


 彼が警察官になったのは、どちらかといえば後ろ向きな理由だった。

 元々は、弁護士になろうとしていた。大学では法学を専攻し、入学当初は司法試験の合格を目指していた。


 しかし、2年生が終わる頃には、その目標は霧消してしまった。

 実際に学ぶうちに、彼は法律への興味を失っていく。成績は悪くなかったが、勉強すればするほど、それを仕事にしたいという意欲はなくなっていった。


 法律とは、問題があるところに生み出される、他人間のルールだ。

 人々の間に、諍いがなければ作られない。市民の活動は原則、国に規制されることなく、自由であるべきだからだ。


 それはすなわち、人は法の数だけ争っている、ということだ。


 わざわざ法が、財産や罪刑について定めているのは、それらに関する揉め事が多いからだ。

 過去の裁判例を読み返すと、そうした場面でこれまでいかに多くの人々が、欲深く利己的な闘いを続けてきたかがわかる。


 弁護士とは、その争いの中で、利益を得る職業だ。

 誰かの代わりに権利を主張し、訴え、報酬を受け取る。


 それが悪い、と考えているわけでない。

 しかし、争い事が苦手な彼にとって、それは素直になりたいと思える職業ではなくなっていた。


 結局、生駒が警察官を志したのは、採用試験の科目と自身の専攻に、親和性があったからだ。

 加えて、争いが嫌いなら、いっそそれを予防できる仕事に就こう、という程度の理由だった。


 暢子が、口を開く。


「生駒ちゃん、今日は外出だっけ?」


「そっす。明神高校の全校集会にお邪魔して、闇バイトや薬物禁止の案内をするっす」


「冬休みが近いものね。休暇が長いと、誘惑が多いから――」


 暢子がふと、何かを思い出したらしき仕草を見せる。

 まだ喋るのか、と生駒は内心、疎ましく思っていた。


「最近、明高ってよく聞くわね。

 この前あった宝石強盗で、逃げようとする犯人に刺されたのも、そこの生徒じゃなかった?」


 そう言われて、生駒も思い出す。先日、隣の白竜市であった事件だ。

 高校生のカップルのうち、女の子の方が、腹部をナイフで刺された。


 幸い、一命はとりとめたと聞いているが、テレビや新聞でも、大きな騒ぎになった。

 犯人はまだ捕まっていないとのことだが、管轄が違うこともあり、詳しい捜査状況はよくわかっていなかった。


 暢子が、続ける。


「それに昨日、竹駒駅近くで、死亡事故があったでしょ?」


「はい。さっき朝礼で言ってたっすね」


「地域課の人に聞いたんだけどね。ほら、駅前交番の。

 その人が言うには、あの事故現場にも、明高の生徒がいたみたい。


 それで、事故を起こした運転手が、亡くなったでしょ?

 その写真を、明高の子が、スマホで撮ってたんだって」


 ほう、と生駒は腕を組んだ。


 死体マニアか何かだろうか、と彼は想像する。

 それはもちろん、褒められたことではない。しかし、中高生の子がそういうものに興味を持つのは、さほど珍しくはないようにも思えた。


(でも、今回は事故っすよね?

 事前に知るなんて不可能っすから、たまたま居合わせたということっすかね?)


「これは噂なんだけど。最近、そういうことが多いらしいの。

 人死にの現場に、明高の生徒が、よく居合わせるんだって」


「えっ、そうなんすか?」


 よくいる、となると話は変わってくる。

 それは、人が死ぬ情報が、どこかで出回っている可能性を示すからだ。


 闇サイトか何かだろうか。

 昨日の事故は別だとして、例えば自殺や病死なら、ネットを通じてあらかじめ情報を得ることができたケースは、あったかもしれない。


「署の中でも、少し話題になってるみたい。その高校生、『死神』だって」


(――死神高校生)


 生駒の想像は、より悪い方向へ進んでいく。

 もしサイトに載せられているのが、殺人予告というケースだったら……


 その情報を信じ、死体を写真に収めたくて、現場に向かう人々。

 その人たちは最悪の場合、共犯とみなされる可能性がある。殺人犯の犯行を後押ししたとして、罪に問われる余地が、刑法には存在しているのだ。


(これは、ちょっと調べた方がいいかもしれないっすね)


 さらなる情報を引き出すために、生駒はもう少しだけ、暢子の長話に付き合う決意をした。

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