1−1
人通りの少ない夜道の、電柱の影に、秋月彰は潜んでいた。
もうすぐ、午前2時。
そんな時刻にもかかわらず、彼は暗闇に潜みながら、古ぼけたアパートを見つめている。
怪しい、という自覚はあった。
だからこそ、周辺住民に見つからぬよう、彰はできるだけ身動きをせず、時が来るのをじっと待ち構えていた。
(眠い)
彼は、既に疲労困憊だった。
特に、この数週間は働き詰めで、ろくに寝ていない。
はぁ、と白いため息を吐く。
12月に入り、少しずつ寒さを感じるようになってきた。
(こんな状況になるなんて……
ほんの1か月前は、想像もしていなかったのに)
もうすぐ、12月17日。
それは、彰の幼馴染である、森深雪の誕生日だった。
同学年である2人は、幼少の頃から仲がよかった。
しかし、小学6年生のある時期を境に、彼らはすれ違ってしまう。
中学では、同じ校舎で過ごしていたにもかかわらず、会話をすることすらほとんどなくなってしまった。
ところが今年、高校に上がると、そうした状況に変化が生まれる。
偶然、同じクラスになったことをきっかけに、止まっていた2人の関係が動き始めた。
(今はもう、僕たちは恋人同士だ。長年の想いが、やっと実を結んだんだ)
そして、ある日。
今度の深雪の誕生日は、2人だけで祝おうと、彰から提案をした。
その時の、深雪のはにかんだ笑顔を、彰は今も鮮明に覚えている。
停滞していた2人の時間が、急速に進むのを、彼は実感していた。
(なのに今、深雪は深雪でなくなってしまっている……)
彰が、あたりを見回す。
誰かに見つかり、警察に通報されることは、絶対に避けなければならなかった。
なぜなら彼は、目の前のアパートの1室に、忍び込もうとしているからだ。
まもなく、この家で人が死ぬ。
そのことを、彰は知っている。
耳につけたイヤホンマイクに触れ、彼は言った。
「レンゴクアプリ、登録者の残り時間は?」
すると、抑揚の乏しい声が返ってくる。
『蟹江啓三、消滅までの時間、3分です』
201号室、という札が掲げられた部屋に、彰はいた。
彼は、どのように部屋に忍び込むかを、昨日からずっと考えていた。
そして、夕方の下見に来た際、ドアに鍵がかかっていないことを知り、安堵する。
最悪の場合、窓を割って入ることも、覚悟していたからだ。
そこは、キッチンと6畳間の和室があるだけの、狭い部屋だった。
畳の部屋の真ん中には、老人の男性が布団の上で横たわっている。
この老人が、もうすぐ息を引き取ることを、彰は知っていた。
元々、体調が良くないのか、薬の袋が散乱している。また、しばらく風呂に入っていないのか、部屋に体臭が充満していた。
彰が老人に近づくと、イヤホンから無機質な声がする。
『蟹江啓三までの距離、0メートルです』
ポケットからスマホを取り出し、彰は画面を見る。
「レンゴクアプリ」というロゴが入ったウィンドウの中に、現在地周辺の地図が表示されていた。
老人がいる地点の、赤くて丸い点をタッチする。
『蟹江啓三、93歳。消滅までの時間、45秒』
あと45秒で、彼は死ぬ。
彰は、この老人と面識はなかった。
それでも、まもなく眼前で人が死ぬという状況に、彼は何とも言えない気持ちになる。
(もし、僕が助けようとしていたら、この人は死ななかっただろうか)
これは、直接手を下していないだけの、人殺し行為なのではないか。
そう思うと、胸が苦しくなり、喉の奥から吐き気が込み上げてくる。
(でも、やるしかない)
『登録者の情報が更新されました。蟹江啓三、消滅までの時間、0秒。消滅しました。領域解放までの時間、47時間59分』
レンゴクアプリによる、自動音声通知がした。
その後、地図上の赤い点が、グレーに変わる。
画面にあるカメラマークをタッチして、レンズを老人に向けた。
表示が切り替わり、スマホカメラを通した景色が映し出される。
画面の老人は、黄色い線で縁取られている。
アプリが、彼を捕捉したことを表していた。
不意に、画面の老人が唇だけを動かした。
イヤホンを通じ、弱々しく話しかけてくる。
『おまえさんは……誰かね?』
彰は、無言でシャッターボタンを押した。
カシャ、という音が、狭い室内に反響する。
すると、画面の老人が、ゆっくりと口を閉じていった。
『蟹江敬三の領域を取得しました。森深雪の情報を再配置しますか?』
はい、と彰が答える。
『対象者の情報が更新されました。森深雪、領域解放までの時間、47時間58分』
緊張が解け、彼は深いため息を吐いた。
(今日は、比較的負担が少なくて、よかった)
無論、いつも都合よく、身近で人が死ぬとは限らない。
一昨日は、電車で5駅の距離を、深夜に歩いて往復する羽目にあった。
(とにかく、これであと2日、深雪が無事でいられる)
睡魔で気が遠くなるのをこらえながら、彰はアパートを後にした。
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