8 書斎にて 二
夜更けに男女が一つの部屋にいる。
片方は薄化粧の部屋着のわたし。もう片方は浮かない顔で考え込んでいる楼主様。
楼主様は物言いたげな表情をしており、わたしはそんな彼を見つめている。
何かが起こってもおかしくない状況だけど、二人の間に艶っぽい雰囲気は一切無かった。
「…それでは、貴女はいつ帰れるか分からないということですか?」
「そうなりますね…最悪、こっちで生涯を終える勢いです」
わたしはこの世界に居るこを楽観的に考えていた。
多分それは衣食住の心配がなく生活が営んでいけているから。
それにここはこの間まで送っていた学生生活と大きくかけ離れた空想の世界で、
なんというか夢の住人のようにいつかは醒めて現実の世界に戻ると思っていた。
「今日はもう遅い時間だし、この話はまたの機会でいいですか?…それにわたし眠いんです」
伺うように視線を楼主様に向ける。
だが楼主様の視線は謎の物体に注がれ返事はない。
「急ぐようなことなんですか?」
「……」
「大体それ、持ち歩くにはちょっと大きいし、こっちで処分した方がいいと思いますよ。
楼主様が無理ならわたしが燃やすなり埋めるなりしましょうか?」
「黙ってください」
楼主様は吐き捨てるように言った。
なんかカチンときたんですけど。
小さな親切大きなお世話ですか。
楼主様は小さく息を吐いた。
「私も眠れるものなら眠りたいですよ」
さっきまでの高慢な感じでは鳴りを潜め落ち着いた声をしていた。
人によっては冷たく感じるかもしれない。
「………私にも穏やかな毎日が訪れるものだと思っていました」
やはり視線は合わせずに楼主様は呟いた。
穏やか…わたし、この人の姿は滅多に見ないしてっきり有閑マダム的な生活を送ってると思ってたんですけど。
「お茶屋の楼主は穏やかじゃないですか?」
答えはなかった。
他に言い方があればいいんだけど、楼主様の事をよく知らないし気軽にあれこれ聞ける雰囲気ではないし。
そういえば名前もまだ知らなかった。
「あのー、楼主様のお名前はなんというですか?」
「何を言ってるんです貴女は」
「そういえば聞いてなかったと思って」
「…牡丹です」
「えっ?」
「なんでもありません」
「いやあの、牡丹の国で牡丹って名前は珍しいんじゃないかなぁと思って。
あっ、でもこっちじゃ普通ですか?牡丹ってきれいな名前だし」
でもそれって名か?名字か?そもそも本名?
わたしがそう思ってると楼主様は怪訝そうな顔をする。
「牡丹の国……そう呼ぶ者もいましたね」
この国の名前は他にあるってこと?
そうなるとわたしがあの少年から教えてもらった知識って一体…
「…今更ですがここって何という国なんですか?」
「伍です。伍の国とも呼ばれています」
そう言って足元に無造作にあった紙を拾うとおそらく伍、と書いてわたしに渡してくれた。
「伍ですか…」
するといきなり楼主様が立ち上がった。
「誰か来るようです」
「こんな時間にですか?」わたしも立ち上がる。
「あるいは…」
「あるいは?」
わたしに向き直ると楼主様は言う。
「暴れてください」
「はっ?」
「今貴女が逃げ出しても怪しまれるだけだと思いますから…」
逃げ出す、って
「ちょっと!わかるように説明し…てって…きゃ!」
楼主様はわたしを机の上に押し付けてきた。
そして両手をわたしの顔の両側につき、上から覆い被っている。
「ちょっと!なんなのよ!」
「いい案が思い浮かばないんです。我慢してください」
小声でそう言うと、いきなりわたしの着ているものを引き裂いた。
胸元からそれも力一杯に。
「なにすんのよ!」
「もっと抵抗してください」
「はぁ?!」
唐突すぎ!
両手は楼主によって頭辺りで机に押しつけられているのでとりあえずわたしは自由になる足でばたついた。
「胸、無いですね」
はっ?今の最高にムカついたんですけど。
何か罵り言葉を吐こうとしたら右胸を噛まれた。それもなんというか丸々!
「ぎゃああーーー」
変態!てか痛い!!
恥ずかしいやらなんやらで思いっきり蹴を入れたら、みぞおちに入ったらしく楼主はよろめいた。
「…手加減はいりませんね」
そう小さく呟くとわたしの頬を叩いた。
それも渾身の力をふりしぼったんじゃないかと思う程強く。
「んっ…ごほっっ」
痛い…もう頬なのか胸なのか頭なのか何処が痛いのか分からない…
わたしがぐったりしていると楼主様はあばらの辺りにあの薄汚れた布に包まれた物を押しつけてきた。
そしてわたしの頬に触れ、離れていった。
いつの間にか部屋に誰か入ってきたようだった。
わたしは胸元を謎の物体ごと引き寄せ起き上がった。頭がくらくらして気持ち悪い。
誰かの話し声はするが内容がうまく理解できない。
人が来る気配がしたので立ち上がろうとすると気持ち悪さが口元まできて……
「うっっ…」
わたしは吐き出した。
その後のことはよく覚えていない。
目が覚めた時には謎の物体を胸元に抱いていつもの寝台に横たわっていた。