プロローグ
ある夏の朝、山間の小さな集落はいつもの静けさを失っていた。
辺りは黒い煙でおおわれ、人々の怒号や泣き声であふれていた。
「…歩けるか?」
煤にまみれた顔を唯一となった肉親の幼い息子にむける。
息子がうなずくのを見ると二人は大きな川のある林へゆっくり歩きだした。
戦乱の世とはいえこんな辺鄙な所まで…
誰が何のために集落を襲ったのか男にはわからないが
疲れ切った今、何も考えることができなかった。
川まであと少しのところで息子が急に歩くのを止め
遠くをじっと見つめていた。
「休みたいか?」
息子は首を横に振り、あれは人?と聞いてくる。
息子が言う方を見ると、さっきまで誰もいなかった場所に美しい女性がたたずんでいた。
見たことのない髪の色。あざやかな衣。この世の人間とは思えない。
もしかしたら自分達はもう死んでいるのかも、と男は思った。
ここはあの世なのか。
しばらくするとその女性がゆっくり口を開いた。
「私に何か用か?」
この出会いはこの親子にとって幸運だった。
そして子孫にも幸運なことだと。
…遠い先の彼らの何代目かの子孫は思う。
おいしい話には落し穴があるのね、やっぱり。